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古峯神社。御祭神は日本武尊。御神徳は火災予防。日本武尊は焼津の原(静岡県)で火難を除いたことから防火の神として全国的に信仰されている神です。古くから火伏せ、防火に霊験のある神として祀られています。
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山神社。御祭神は大山祇神。御神徳は山の神様。山を統治する神で、山、森林に携わる人々から信仰されています。別名は酒解神(さけわけのかみ)といい、酒造の祖神としても祀られています。
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青麻神社。御祭神は天之御中主神。御神徳は中風の神様。古くから中風病の退除に御利益がある神として祀られており、3度お参りすると生涯中風の難より逃れられるといわれます。
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大宮子易神社。御祭神は木花開耶姫命。御神徳は安産。炎の中で御子を出産し、無事に生まれたとの故事より、古くから安産祈願の神として祀られています。
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大宮子易神社の横の石塔は何かの記念碑っぽいけどよくわからず。
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黒江太郎歌碑…『しずかなる日のさす苔にうづまりて平たき石は朝より乾く』
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裏面碑文…『黒江太郎君は明治43年12月、父辰太郎、母きぬの長男として南陽市宮内に生れ、歯科医を生業とした。その間短歌を愛好し、後年郷里金瓶に疎開中の斎藤茂吉と邂逅、爾来その門下として作歌精進に心身を傾け、「湖盆」「北に向く窓」の歌集を出版し、後進の指導に努める一方、宮内文化史研究会を結成し、郷土史の研究に励み「窿應の生涯と茂吉」「東北の熊野」その他を世に送るなど数々の文業を積み、昭和44年斎藤茂吉文化賞を授与されるという有数な歌人であり、今後に期待するところ大であったが、天は君に齢を借さず68歳を一期に黄泉の人となった。よって、発起人相謀りその文化的業績を後世に伝えるため、ここに歌碑を建立した。昭和55年7月吉日。撰文結城健三。揮毫菅井新太郎。設計芳武茂介』
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幸神社。
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御祭神は猿田彦神。本地仏馬頭観音。御神徳は交通安全・午年の守り神。道案内、交通安全の神としてお祀りしています。8月10日に四万八千日祭を斉行しており、この日にお参りすると四万八千日参拝した御利益があるといわれます。
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これは…弘前ねぷたにしか見えません。綺麗ですね。
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幸神社前石灯篭。
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大社神社。社殿前には湯殿山と彫られた供養塔があります。
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御祭神は大地主神。土地を領有する地主神。来訪神である御歳神をまつって豊かな実りをもたらしてくださります。御歳神とともに稲の神、五穀豊穣をもたらす神としてお祀りしています。
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御神徳は五穀豊穣・商売繁盛。
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石祠。向って右が湯殿山神社(少彦名命)、左が月山神社(月読命)。
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熊野大社参道石段上。
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狛犬一対。
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19.5
阿形の顔面損傷が激しいです。
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20.5
台座は無く、紀年銘は不明です。
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21.5
狛犬と一緒に石段を振り返るの図。
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石灯篭一対(昭和3年7月)。きちんと明かりを灯しています。
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23.5
オブジェ。
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24.5
熊野考古館。多くの文化財が展示されています。
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開いてなかったけど。
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鐘楼堂と授与所。
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梵鐘(洪鐘)。
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28.5
洪鐘(寛永3年銘・南陽市指定文化財1968年10月4日)…『熊野一山の社殿等の復興をめざす安部右馬助らにより、寛永3年(西暦1626年:江戸時代)に寄進された大梵鐘(大鐘)である。銘文によれば、鐘を造る経費のほとんどを安部右馬助が奉納したものと考えられ、信仰の深さと財力が知られる。第二次世界大戦中の昭和17年(西暦1942年)に、全国的に金属の回収が命じられたが、この大鐘は、文化財的な価値から免除された。【洪鐘・梵鐘】梵鐘は、撞いて時刻を知らせるための寺の鐘のことで、洪鐘は大きい鐘のこと。明治元年(西暦1868年)までは、日本では仏教と神道が一体となっており(神仏習合)、当地も熊野山證誠寺とも言われた。【安部右馬助】?~正保3年(西暦1646年:江戸時代)没。米沢藩の代官をつとめ、宮内の町作りも行った。東の石段麓の土社神社のそばに顕彰碑がある。』
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御神木など。
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手前の石塔は寄進者名碑。
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御神木と手水舎。
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御神木と拝殿。
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御神木と幣殿。
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結うさぎ。三羽のうさぎの置物。実は中におみくじが入っているのです。
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ってことで社殿は目の前ですが…
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長くなったので『熊野大社~其之肆(南陽市)』へ続く…
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