1
青森県上北郡六戸町犬落瀬坪毛沢。青森県立六戸高校サッカー場と十和田国際カントリークラブゴルフ場の境に鎮座。小さいけど味のある鳥居です。小屋みたいな感じですが、地図にもきちんと掲載されている神社です。円鉢型の変わった鞘堂も味があります。
2
鞘堂の中には半間四方の小祠があります。産馬振興に功労があった杉山克巳と吉田政治の写真や、種馬として名を馳せた王慈号の写真絵馬が飾られ、御堂の外には嶋屯号の土まんじゅう型墓地もあり、産馬育成の馬護神として信仰されてきたことがわかります。小祠の中には母馬・仔馬の二体の陶製馬像が安置され、棟札には「奉納大正拾壹年五月拾五日御肖像吉田正蔵御堂柏崎岩蔵」と刻まれ、裏には「立石孫九郎同人彫刻」とあります。大正8年に御神体が納められましたが、現在は紛失しており、その後母子の馬像が納められました。この御堂は蒼前様として押込に鎮座していましたが、大正11年上町(明土)に遷座。棟札はその時のものです。その後、種市正造産馬振興会々長の尽力により、昭和35年にたてのの地(現老人福祉センター)に遷座され、現在の鞘堂が建てられました。昭和60年に老人福祉センターが完成したことにより現在地に移されました。現在地に遷座した際には神社名がはっきりしておらず、馬の守護神であることから「駒形神社」としました。押込に遷座していた際には宮城県仙台の駒形神社から分霊してきたものとも伝えられます。7月1日が御縁日。氏子は持たず、地区・集落を超え崇敬者だけで維持・管理されています。
3
隣に記念碑(青森県副知事北村正哉)。
4
裏面碑文…『昭和十一年當時、六戸村獣医師北向清藏氏の發議により六戸村農業会長吉田庭橘氏を初代会長として六戸村産馬振興会の創立を見るに至る。昭和十四年當時六戸村農業会長であった種市正造氏を二代目会長として迎え引續き今日に至る。昭和二十一年六戸村農業会は解体を命ぜられ昭和二十二年農業協同組合法に基づき旧農業会所有の財産を配分せられる事となったので六戸村産馬振興会旧種馬所敷地を無償譲渡となった。然し戦後馬産も年を追うて衰退の一途を辿り、又旧種馬所敷地は時代の変遷と同時に人家の密集地となったので処分し依て昭和三十四年田中富衛氏より会長名儀にて現在地を譲り受け、昭和三十五年五月事務所の新築移轉を見た。斯様に種市正造氏は畜産振興發展のため犠牲的精神を以て努力せられ、今日に至る。昭和42年7月1日髙橋健二書』
5
にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 東北情報へ