1
日本廻國納經供羪塔は、青森県十和田市大字深持柳原と大字深持谷地の境ほどにあります。御瀧大龍神(板ノ沢神社)からも近い場所です。すぐ近くに若佐大明神もあります。
2
「廻国奉納経帳」は、大空という巡礼修行者が、文政3年から12年にかけて全国各地の寺社から受けた236枚の納経証明の札を綴ったものです。大空は恐山にて巡礼の満願を迎えた後、板ノ沢集落に至り、文政13年に「日本廻国納経供養塔」を建て、その中に「廻国奉納経帳」を納めました。当時の巡礼の様子を探る上で貴重な資料となっています。平成26年に供養塔と納経帳が市の有形文化財に指定されています。
3
「廻国奉納経帳」及び「日本廻国納経供養塔」(広報とわだ)より…『廻国奉納経帳及び日本廻国納経供養塔は、文政13(1830)年香川県の薬王寺に弟子入りした「大空」が板ノ沢集落の協力を得て建立したものである。昭和五十年代、道路工事中の作業員が道路沿いにある廻国供養塔の笠石を戯れに持ち上げたところ、竿石の中に三冊の納経帳が納められていた。納経帳には修行僧・大空(埼玉県北葛飾郡杉戸町の名主・間中与市)が約十年の歳月をかけ本州の神社仏閣、二百三十六カ所を巡り歩いた記録が残されている。供養塔建立にあたっては板ノ沢集落の肝煎(江戸時代の村や町の代表)・治左衛門と老名(経験や知識のある人)・巳之助が世話人となっている。大空は、両親の供養のため四国八十八カ所霊場を二十一回巡り、薬王寺に両親の供養碑を建立した後、日本廻国に出立した。最終地は恐山の圓通寺となっている。その後、どのような径路を巡り板ノ沢に辿り着いたのかは定かでない。板ノ沢では治左衛門家に逗留、集落の人たちから弘法さんと慕われ長期間滞在したと推察される。伝承によると大空は子供と遊び、お産の手伝いをし、病気を治し、松葉を食していたという。奥瀬・浄圓寺の過去帳に「大空上座・天保二年九月十四日・治左衛門内ノ者」と記録されてある。三年前から薬王寺、松浦祐豊・現住職が板ノ沢を訪れ、地域の人たちと交流を続けている。』
4
側面。状態は良い方だと思います。
5
5.5
案内板「日本廻國納經供羪塔」より…『この「日本廻國納經供羪塔」は、今から178年前(文政13年)に現在の四国・香川県山本町の薬王寺に弟子入り出家した大空遍・老沙門によって建立された。建立に当たって当集落の肝煎・治左衛門と老名・巳之助が世話人となっている。大空遍老沙門とは現在の「埼玉県北葛飾郡杉戸町才羽」、当時・名主であった「間中与市」である。21回の四国霊場めぐりの後、全国の霊場めぐりに出立した。約10年の歳月をかけ236箇所の神社仏閣を訪ねた。最終地は下北・恐山の圓通禅寺となっている。その後、当、板の沢に滞在、集落の人たちは老僧に多大な恩恵を受け、又、老僧も集落の人達の暖かい人情に触れ長期滞在したものと思われる。伝聞によると松葉を食し、薬草に長じ当集落で死去、奥瀬・浄円寺の過去帳に「大空上座・天保二年九月十四日」と記録されてある。この廻國塔石柱の上部を30センチ四方、深さ7センチほど箱型に削り納經帖が保管されてあった。尚、薬王寺に両親と思われる廻國塔に刻まれた同じ戒名の石碑が建立されてある。平成20年7月1日設置者十和田市文化財保護協会、看板寄贈者有限会社・県南設備工業代表取締役山田靖博』
6
6.4
6.8
日本廻国納経供養塔の裏手に鳥居がありました。
7
御雷神堂とあります。
8
由緒等はわかりません。
9
再建の棟札には元治元年甲子6月18日の紀年銘が見てとれます。
10
10.5
造立の棟札の紀年銘はう~ん…弘化4年6月9日な気がします。
11
11.5
にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 東北情報へ