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宮城県石巻市北上町十三浜字菖蒲田。石巻市の北東部、新北上川の河口付近の北側。東日本大震災ではこの辺り一帯は津波に襲われ、社務所や石鳥居、神輿堂(神輿)、末社などが流されています。神社一帯も沼地のようになり、境内の杉の木も赤く立ち枯れたそうです。
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このように祈祷殿や社務所等は綺麗に再建されましたが、周囲には何も残されておらず、未だに重機等が数多く行き来して、工事現場のようになっており、土地勘の無い私でもこの付近の津波による被害がいかに凄かったのかを伺い知ることができます。
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御祭神は天児屋根命。例祭日旧9月9日。御神徳は合格祈願、家内安全、身体健康、夫婦円満、子授け、長寿、交通安全。旧村社。
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当追波地区は元来舘ヶ崎と称され、その奥地の国有林鷹ノ巣山のうち産土沢と称する山上に祀られていましたが、里人の便宜よく北上川沿いへの移動により、元和4年(1618)に現在地に遷宮したと伝えます。明和9年(1772)に仙台藩の地誌「封内風土記」に取り上げられています。明治初期、崖の中腹から突き出た周囲14mもの巨石があったから「釣山」から「釣石」(釣石大明神)に改称。舘ヶ崎は北上川門口のため、伊達藩領地の重要な要塞として伊達藩主が度々巡視。その際に社側の丘に登って四方を眺望し、波の追い来たりをご覧になられ、「舘崎に登りて見れば朝日差し綾に寄せ来る追ひ波の浜」と詠みました。昭和53年の宮城県沖地震にも耐えたことから「落ちそうで落ちない受験の神」として人気を博し、平成23年の東日本大震災にも耐えたことから更に人気が上がり、全国から合格祈願者が参拝するようになりました。また、釣の一字から大漁祈願、石が亀の頭によく似ていることから萬年長寿の祈願に参拝者が訪れます。平成10年頃から、氏子の奉仕活動として、毎年12月第2日曜日に北上川に自生しているヨシを刈り、「ヨシ合格」の巨大ヨシ輪が製作されます。「ヨシで輪を作り腰に付けておけば災難を免れるだろう」との蘇民将来の古事に倣い、この輪をくぐり抜けることで「身が清まり罪穢れは払われ、心願成就する」との思いが込められています。
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稲荷社。
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「落ちそうで落ちない受験の神」と称される巨石の釣石。
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釣石が男神で周囲約14m。
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下の巨石が女神で約8m×4m。
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御神体の巨石をしめ縄で釣りあげており、今にも落ちてきそうに見えます。
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穐葉山(寛政9丁巳年7月28日)。
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庚申塔(寛政12庚申年)。
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南無阿彌陀(佛)。秋葉山と同じく寛政9丁巳年7月28日。
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山神宮。こちらも同じく寛政9巳年2月12日。
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こちらはう~ん…御﨑宮・竹駒宮かな…微妙に読み取れず。天保十己亥年。
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こちらもわからず。
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釣石神社由来…『一、北上町十三浜追波鎮座。一、旧村社釣石神社。一、祭神天児屋根命。一、祭日九月九日。一、由来…本追波地区は元来「館ヶ崎」と称されていた。その奥地の国有林鷹ノ巣山のうち産土沢と称する山上に祀られ崇拝されていたが、時代の流れ行くまま便宜よく山間より北上川筋に移転したるを以て、古代人が元和四年(江戸時代初期)現在地に遷宮したと伝えられている。その当時、館ヶ崎は北上川海門口のため、藩祖伊達政宗公が当地方巡視された際、社側の丘に登って四方を眺望し波の追い来たりを御覧になって「追波」と改称したという。「館崎に登りて見れば朝日さし綾に寄せ来る追ひ波の浜」。「境内地には大石四つあり、その一は長さ二丈五尺ばかり、横一丈二、三尺ばかり。その二は形は円く、周囲四丈六、七尺ばかり。その三は形は少し円くて長さ七尺ばかり、横六尺ばかり。その四は長さ五尺ばかり、横三尺ばかり、厚さ二尺五寸ばかり東西を囲みて地に入るはいささか少ない。あたかもこれを釣り揚げるが如し、上に大石ありてこれを蓋し、その形窟の如し、故に土人はこれを号して釣石大明神という。」。右は「封内風土記」より索引したものであるが、現在は「釣石」と称する周囲約十四米の球状の巨石が断崖に釣り上げられたようになっている石、またその下方に長さ約八米、横約四米半の巨石が釣石と対応している石を陰陽神(道祖神などに見られる男女の性器を模した石)のご神体として崇拝されている。昭和五十三年の宮城県沖地震にも耐え、落ちそうで落ちないことから受験、釣りの一字から大漁、そして陰陽神から夫婦円満、縁結び、子宝、また階段中腹より釣り上げられた石を見れば亀の頭に良く似ていることから、背に乗り追いくる波を眺めれば満年長寿など厚く信仰されている。北上町観光協会』
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狛犬一対。
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中々個性的。
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紀年銘は明治30年。
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参道石段。
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2011・3・11東日本大震災津波浸水深ここまで。
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なぜ逆さま!?
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案内板に「階段中腹より釣り上げられた石を見れば亀の頭に良く似ている」とありましたが…どう見ていいかちょっとわかりませんでした。
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っていうかここから見れば落ちそうにない石ですね。
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古峰神社ともう1つの石段が見えます。
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上で繋がっています。
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石段を見下ろす。結構急ですね。
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釣石の上へ。
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石祠がありました。
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釣石から見下ろした祈祷殿。
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館ヶ崎公園から眺める風景。当追波地区は元来「舘ヶ崎」と称されていました。山頂の釣石神社御社殿近く「舘ヶ崎公園」にその名が残っています。この地に腰掛けて北上川河口をご覧になり、「舘崎に登りて見れば朝日差し綾に寄せ来る追ひ波の浜」と詠んだ伊達藩主の気分になって、太平洋に悠々と流れこむ風景に心を落ち着かせてみてください。きっと何かが拓けることでしょう。
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174段の石段を登りきると社殿があります。
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奥の院は大正3年新築。
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狛犬一対。
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こちらも中々個性的でございます。
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角。
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向拝。
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神額「釣石宮」。
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社殿の正面には武運長久を祈願して奉納された剣が掛けられています。現在は諸祈願成就に奉納されています。
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拝殿内正面懸額(大正3年)。
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奉納絵馬(大正11年3月・古峯原講、伊勢参宮紀念)。那須与一かな。
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奉納絵馬(昭和33年旧9月9日、社殿屋根改装記念)。
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「運と努力、運は努力の賜物である。」盧優仁(平成19年5月7日)。
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幣殿・本殿覆屋。
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石祠。
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眺望。うまいことやればハート型にできそう。
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古峰神社に向かいます。
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釣石。
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古峰神社。札には「平成14年奉納・古峰講中一同」とありました。
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古峰神社前の石段。
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