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栗原市栗駒稲屋敷後原。国道457号線沿い。道路を挟んで公園のほぼ向かい雄鋭神社(栗原郡延喜式内社七座)の社号標(交差点角)があります。九ノ戸神社も近くです。公園内の一画は大鳥中集会所です。
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大鳥公園(九ノ戸公園)の看板。
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供養椿の由来(看板より)…『天正18年、南部の九戸城主九戸左近将監政実は豊臣秀吉の小田原征伐に参戦しなかったことから、豊臣秀次を総大将とする六万五千の大軍に猛攻を受ける。迎えうつ政実は、五千の軍勢だが難攻不落の九戸城は一ケ月の激戦にも微動だにしなかった。秀次の率いる討手の大将蒲生氏郷は謀略をもって、政実主従八名を捕りおさえ、囚人扱いにして、三迫上品寺(岩ケ崎高校東南端)にて八名は惨殺され埋められた。反骨の武将政実に対する同情と、惨虐な氏郷の仕打ちに、邑人達の涙をさそった。せめて、霊魂を慰めようと心やさしい邑人達は遺体の側に一本の椿を植えた。春が来る毎に、邑人達の心情を知ってか椿の花は、真赤な色も鮮かに咲きほこる。椿の花のみが知る悲しい物語であるが、地域こぞって、椿の花共々政実主従に永遠の供養を続けたいものである。平成7年10月栗駒町史談会撰文』
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4.5
鳥居横の石碑。1基は読み取りにくかったです。もう1基は「謡曲大藏流、渋谷十左衛門先生・渋谷重太郎先生之碑」とありました。九戸城(政実)とは無関係のようです。
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その先に並んでいる石碑は庚申塔や馬頭観世音。
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南無阿弥陀佛などと彫られている石碑。こちらも詳細は読み取りにくかったです。
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石灯篭や手水石。
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政実公及び共に散った七武将を弔うための石碑でしょうか。地元の方々によって丁寧に祀られております。
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墓碑といった感じではなく、神仏を拝む感じです。
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周囲には田神、不動明王、大黒様・恵比寿様など。
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こちらには嘉永4年9月22日の紀年銘が見えます。上部の梵字はバイに見えますね…薬師如来っぽくはないですけど。
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九戸城主左近将監政実主従慰霊之碑…『豊臣秀吉の軍勢蒲生氏郷以下六万五千をもって九戸城を囲む。城主政実五千の寡兵勇戦奮斗遂に攻めあぐみ氏郷謀略を以て政実主從八名を捕え三迫上品寺まで連行寺の東南の丘に於て処刑天正十八年九月二十日であった。邑人これを哀れみ椿を植えて墓標とした。爾来数百年の星霜を経るこの地に椿を移植するに当り無念の涙をのんで逝った昔を偲び慰霊の碑を建つ。九戸城主左近将監政実、七戸彦三郎家国、円子右馬助光種、櫛引河内守清長、一戸彦次郎実富、大場四郎左衛門昌次、大里修理大夫親基、久慈備前守直治。平成元年十二月栗駒町教育委員会・宮城県文化財保護協会。石材寄贈元栗駒町史談会長伊藤廣人殿』
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