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岩手県二戸市福岡。九戸城三の丸の一角。
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現鹿角街道(県道274号線・九戸城跡)から、岩谷橋を渡らずに馬淵川沿いへ下り、白鳥川(九戸城外堀)を渡って、岩谷観音堂前を通り、岩谷橋をくぐって、再び現鹿角街道(県道274号線と県道24号線が交わる交差点角)へと上がる坂道です。
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黄色の場所に「奥州道中の追分石」があります。
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こちらの地図(九戸城跡地形模型)には佐羽内坂(マスケ坂)とあります。
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何やら色々工事中でございます。
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岩谷橋をくぐって、坂道を上ります。本来はこの付近(坂下)に追分石があったそうです。
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ロードコーンだらけで趣に欠けます。
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坂道を振り返るの図。
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坂の途中から岩谷観音堂がギリギリ見えます。
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坂道を上りきり、岩谷橋北のたもと、橋の下を通る旧街道(奥州街道)と白鳥道の分岐点に追分石(福岡字落久保。高さ80cm・安永4年)があります。
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追分石「右もり岡・左白とり」。
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案内板より…『安永乙未夏(1775年)、当時の福岡通代官大巻勇助によって建立された追分石。「右もりおか 左白とり」と刻まれています。元々は右手の坂を下った所にあり、白鳥道と奥州道中の分岐点に建つ道標でした。奥州道中は、奥州白河から津軽外ヶ浜に至る八十九次(「次」は宿駅のこと)で、盛岡を過ぎると「山又山の果てしなき地」だったそうです。この石は現在でいう標識として、街道を往来した旅人の道中手掛かりの役目を果たしていました。また、右手坂の先には、奥州糠部三十三所観音霊場巡礼の第二十八番札所にかぞえられる岩谷観音堂がありますので、ご参詣ください。』
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「馬助坂」標柱より…『この坂はますけ坂とよばれ、藩政時代に盛岡と三戸を結ぶ街道の道筋にあり多くの人馬が往来しました。近世の古図には「馬助坂」とあり、馬車や馬そりが難渋した際、人足や博労が馬を助けながら上がったことに由来すると思われます。またこの辺りは九戸城三の丸の一角でもあります。』
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