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秋田県鹿角郡小坂町小坂鉱山字古川。
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こちらにもレールバイクがありますが、大館・小坂鉄道レールバイクとは別なので間違わないようにしてください。「小坂鉄道レールバイク」と「小坂鉄道レールパーク」という命名もかなり似ているので注意です。
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康楽館・小坂鉱山事務所・明治百年通りの向かいになります。
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明治百年通り。
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小坂町の所々に設置されてあるこちらの看板が中々見応えあります。ちなみに小坂鉄道レールパーク入口にあったこちらの看板の内容…『おら街!!1897。明治30年秋田初の電気利用開始。山間の近代都市-真昼の輝き「電気まつり」-。臨時列車に人があふれる!8月、小坂恒例の「電気まつり」は県内でも評判の一大イベント。明治36年に国内で初めて使われたというイルミネーションをいち早く取り入れ、町じゅうが夜空に浮かび上がりました。押し寄せる人たち臨時列車も満員です!(※詳しくは「小坂鉱山事務所」「郷土館」でご覧ください。)。小坂鉱山では、明治30年(1897)に秋田県初の電気利用として送電を開始。精錬所の機械を動かし、街に1,000灯もの電灯をともしたといわれています。かつて8月14日・15日・16日の山神社祭典では、歓迎灯、イルミネーション、街灯、露店や見せ物小屋、動物園などの照明が真昼のようにまばゆく輝き、別名「電気まつり」とよばれました。小坂鉄道では臨時列車が運行され、露店や見せ物小屋が立ち並んだ現在の明治百年通りは、あふれんばかりの人出となりました。』
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「電気まつり」の華やぎ、山神祭の歓迎灯、銚子第一発電所。
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線路に沿って小坂鉄道レールパーク内へ。全国でもめずらしいディーゼル機関車の運転体験ができる施設です(要予約・有料)。
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再び、おら街!!看板。今度は1909年(明治42年小坂駅創建)です。『山間の近代都市-東京駅より5年も早い開設!-東北初の私鉄だった小坂鉄道!鉱産額日本一を誇った小坂鉱山!その輸送の基点となったのが小坂駅。開業2年目で10万9千人余、17万8千トン余が行き交い、最盛期には、北海道と連結する青森駅に次ぐ膨大な量の貨物を送り出したといわれます。(※詳しくは「小坂鉱山事務所」「郷土館」でご覧ください。)。日本一の銅山・小坂鉱山の鉱山鉄道として明治42年(1909)に開業した小坂鉄道小坂線。私設鉄道法による東北地方初の私鉄として知られています。昭和2年(1927)からは一部を電化。昭和37年(1962)には線路幅を当時の国鉄と同じ幅に改軌するとともに全線がディーゼル化され、乗客数が年間200万人台となるほどにぎわいます。しかし、平成6年(1994)に旅客が、平成21年(2009)には貨物輸送も廃止となり、開業以来百年に及ぶ歴史に幕を閉じました。』
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大正の小坂駅、大正3年(1914)創建の東京駅本屋全景。
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小坂駅。改修を経て、明治42年建築の駅舎を営業当時に再現。
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駅内へ。入口の引き戸や待合室、柱の紺色の「こさか」のプレートなどは当時のもの。待合室には当時使用されていた黒板や備品類も遺されています。
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連絡旅客運賃表(奥羽線・男鹿線・五能線)。
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列車到着時刻表(昭和57年3月15日改正)。
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列車発車時刻表。
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オルセー美術館・小坂鉄道レールパーク。オルセー美術館の建物は1900年のパリ万国博覧会開催に合わせてオルレアン鉄道によって建設されたオルセー駅の鉄道駅舎兼ホテルでした。駅は1939年に役目を終えて、長らく廃墟のような状態でしたが、約半世紀の時を経て大改築。1986年に印象派美術館として会館し、世界屈指の美術館と称されてパリの観光名所に定着。そのオルセー美術館と比較し、小坂鉄道レールパークは廃墟期間も置かずに、保存と観光活用目的のテーマパーク事業化をしたという中々強気のアピール看板。
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旧小坂鉄道小坂駅本屋及びプラットホーム【明治42年(1909)建築】・旧小坂鉄道小坂駅機関車車庫【昭和37年(1962)建築・小坂製練株式会社寄贈】…『小坂鉄道は、日本有数の鉱山として発展した小坂鉱山の物資と旅客輸送を目的に、明治42年に開業した。イギリス式下見板張の小坂駅本屋は開業に合わせて建築された。機関車庫は、新鉱床発見などを背景に、輸送量増強を目的として新たに導入されたディーゼル機関車を格納するため、大規模な内部空間を持つ工場兼車庫として建築された。どちらも、小坂鉱山の近代化と発展期を支えた建造物として貴重なものである。』
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ホームへ。
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小坂鉄道のあゆみ。
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明治41年-鉱山の発展とともに増大した貨物輸送用として小坂~大館間(22.3km)が開通。皇太子殿下(後の大正天皇)が小坂鉱山を訪問。お召列車が運行。
明治42年-鉄道会社設立、旅客事業が開始。後に東北地方では北海道連絡の青森駅に次ぐ貨物運搬量となった。
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大正10年-隆盛を視察するため、秩父宮・高松宮両殿下が訪問。貴賓客車が用意され、お召列車が運行。昭和3年-一部区間を電化、以降電車とSLが混在して活躍。渓谷を縫っていく姿が「マッチ箱」の愛称で親しまれる。
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昭和37年-軌道拡幅、客車はディーゼルカーに。往時は機関車の4重連や客車の5両編成も見られた。
平成6年-町民の足として活躍するも、旅客営業の歴史を閉じる
平成21年-製錬の貨物運搬が無くなり全線廃止。百年の歴史に幕を閉じる。
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小坂駅舎前ホームを辿って車両展示場方面へ。
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駅構内奥までは約600mの路線が数本あり、ディーゼル機関車や観光トロッコ、レールバイクで普段見られない風景が見られます。他にも腕木式信号機、手動転轍機などの駅構内の設備を見学できます。
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旧小坂鉄道11号蒸気機関車(雨宮製作所製)。
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11号蒸気機関車は、軌間762㎜の狭軌用として大正15年(1926)4月に小坂鉄道に登場しました。以来、昭和37年(1962)の小坂線軌間拡幅(762㎜から1,067㎜に改軌)まで36年間にわたり、花岡・大館間(4.8㎞)、小坂・大館間(22.3㎞)で旅客や貨物の輸送に活躍。「釜汽車」とも呼ばれ、小坂線に最後まで残った蒸気機関車でした。軌間拡幅後、その使命を終え貴賓客車とともに小坂駅前に保存されていましたが、昭和60年(1985)に小坂町に寄贈され、小坂町立総合博物館郷土館で保存展示されました。また、平成11年(1999)3月には、小坂鉱山発展に貢献した小坂鉄道の歴史を伝える極めて貴重な資料として、県有形文化財に指定されました。平成26年(2014)3月、同年6月の小坂鉄道レールパーク・グランドオープンに合わせて再び旧小坂駅に帰り、大正・昭和の鉱山全盛期の証人として、ここに永久保存されています。
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(構造の概要)
1.最高気圧:12.66㎏/cm
2.火床面積:0.78m2
3.重量:20.83t(運転整備時)、16.66t(空車時)
4.水槽容量:2.14m3
5.最大寸法:長7,534㎜×幅2,127㎜×高3,098㎜
6.製造所名:株式会社雨宮製作所
7.製造月日:大正15年3月
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「釜汽車」「豆機関車」とよばれた11号蒸気機関車と機関士。
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11号蒸気機関車の後ろに連結されているのは、旧小坂鉄道貴賓客車(ハ1)(日本車輌製造製)。
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この客車は、大正5年(1916)にニ・三等客車として造られたものを改造し、貴賓客車として使用されたものです。大正10年(1921)8月4日に秩父宮、高松宮両殿下が小坂鉱山をご見学になった際には、この客車が使用されました。オープンデッキの木造客車で、側面には、同和鉱業株式会社の前身である藤田組の鉄道を表す社紋が取り付けられています。その後、歴代社長、来賓等の小坂鉱山視察のたびに使用されましたが、昭和37年(1962)の軌間拡幅とともにその使命を終えました。その後、小坂駅前に保存されていましたが、昭和60年(1985)に小坂町に寄贈されて町立総合博物館郷土館で保存展示され、平成11年(1999)3月には、11号蒸気機関車とともに県有形文化財に指定されました。平成26年(2014)3月、同年6月の小坂鉄道レールパーク・グランドオープンに合わせて再び旧小坂駅に帰り、大正・昭和の鉱山全盛期の証人として、ここに永久保存されています。
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(構造の概要)
1.定員:32人(二等座席12人・三等座席20人)
2.重量:7.62t
3.最大寸法:長9,614㎜×幅2,083㎜×高3,264㎜
4.製造所名:日本車輌製造株式会社
5.製造月日:大正5年2月
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秩父宮、高松宮両殿下をお迎えする人々とお召し列車。左上は貴賓客車の内部(大正10年)、小さな客車は「マッチ箱」ともよばれた。
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ブルートレインあけぼのとTMC200形モーターカー(奥)。
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TMC200形は、国鉄が導入した軌道用モーターカーで、全国の保線区で活躍しました。地域によって様々なバリエーションがありますが、小坂鉄道のものは積雪地帯用に除雪用の排雪板を装備しており、ハイモ(排雪モーターカーの略)とも呼ばれます。このTMC200形モーターカーは、もともと昭和56年(1981)9月に富士重工が製造し当時の国鉄に導入されたもので、平成19年(2007)に小坂鉄道に転入し主に除雪作業に使用されました。現役時代は青とグレーのツートンカラーの塗装でしたが、小坂町による修復とともに黄色に塗り替えられました。現在では、主に車両の入れ替え作業や保線作業のほか、観光トロッコの牽引用や構内の除雪作業にも使用されています。
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観光トロッコ。
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「寝台特急あけぼの」24系客車。手前から電源車(カニ24-511)、A寝台個室(宿泊車輌・スロネ24-551)、B寝台個室(宿泊車輌・オハネ24-555)、B寝台開放(休憩車輌・オハネフ24-12)。実際に宿泊することが可能です。しかも私も大好きな花善鶏めし弁当付きで。
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「寝台特急あけぼの」は、昭和45年(1970)10月1日に東北本線・奥羽本線経由で上野駅-青森駅間の運行を開始した定期寝台特急列車です。最盛期には毎日3往復(上野駅-青森駅間2往復、上野駅-秋田駅間1往復)が運行されていました。その後、昭和63年(1988)3月の青函トンネル開業によるダイヤ改正時に1往復減便され、さらに、平成2年(1990)9月1日の山形新幹線着工により1往復が列車名を「鳥海」に変更のうえ羽越本線経由とされます。また、残る1往復も陸羽東線・奥羽本線経由とされますが、平成9年(1997)3月22日の秋田新幹線開業に伴って廃止となり、羽越本線経由の「鳥海」が「あけぼの」に改称されて、毎日1往復だけの定期運行となりました。しかし、乗客の減少や車両の老朽化を理由に、平成26年(2014)3月15日のダイヤ改正で、「あけぼの」の定期運行が終了。翌年1月4日を最後に臨時運用も終了し、全面廃止となりました。「あけぼの」は、秋田県北と東京とを直結する列車として、最後まで残った特急列車でした。小坂町民にとっても、小坂鉄道大館駅から乗り換え、就職や進学での上京や帰郷、また東京出張などで利用する大切な交通機関でした。小坂町では、定期運行終了後、JR東日本に「あけぼの」に使用された客車の譲渡を申し入れ、平成27年(2015)5月、4両の24系客車が小坂鉄道レールパークに搬入されました。同年10月、動態保存の寝台客車を利用した日本初の宿泊施設として、まずB 寝台個室が開業。平成28年4月にはA寝台個室を加えてグランドオープンし、鉄道ファンのみならず多くの観光客の人気を集めています。
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(24系客車の概要)
1.最大寸法:長21,300㎜×幅2,900㎜×高4,900㎜
2.形式:24系客車
3.来歴:昭和48年(1973)から昭和55年(1980)にかけて、当時の日本国有鉄道(国鉄、現在のJR)が量産した寝台客車。ともに、保存車両をのぞいて廃車となった。21世紀初めまで全国で活躍したが、ブルートレインの廃止とともに、保存車両をのぞいて廃車となった。
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「寝台特急あけぼの」(撮影:小坂鉄道保存会工藤寿)。
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【オハネフ24-12】
1.種類:2段式B寝台車
2.重量:自重33.2t
3.換算両数:積車3.5空車3.0
4.寝台数:30(定員30名)
5.来歴:昭和48年(1973)に、富士重工業株式会社で3段式B寝台緩急車として製造された24系の基本形式といえる車両。新製時の定員は45名。後に2段式に改造され、定員30名となった。※緩急車:車掌室があり、事故や緊急事態など必要なときに列車を止める車掌弁などブレーキ装置を備える車両。主に列車の最後尾に連結される。
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【オハネ24-555】
1.種類:1人用B個室寝台車・ソロ
2.重量:自重35.5t
3.換算両数:積車3.5空車3.5
4.寝台数:28(定員28名)
5.来歴:昭和48年(1973)に、富士重工業株式会社で3段式B寝台車として製造され、後に2段式寝台となったオハネ24 42を原型とする車両。平成3年(1991)、「あけぼの」の個室寝台化に伴い、屋根を切り離し個室ユニットを線路と並行に設置する工法で改造され、定員は30名から28名となった。
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【スロネ24-551】
1.種類:1人用A個室寝台車・シングルDX
2.重量:自重37.3t
3.換算両数:積車4.0空車3.5
4.寝 台 数:11(定員22名)
5.来歴:昭和48年(1973)に、富士重工業株式会社で2段式A寝台車として製造されたオロネ24 1を原型とする車両。「あけぼの」の個室寝台化に伴い改造された。個室は11室だが個室内上部に
もベッドを設けているため、定員は22名となった。また、一室を除いて隣室との仕切りが開閉可能で、4名での利用もできる。
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【カニ24-511】
1.種類:電源車
2.重量:自重48.8t
3.換算両数:積車5.5空車5.0
4.来歴:昭和55年(1980)に、富士重工業株式会社で寝台特急「あさかぜ」、「瀬戸」、「安芸」の24系25形化(24形のマイナーチェンジ)に合わせて製造された車体長19.5mのカニ24 115を原型とする電源車。平成2年(1990)に、上野ー札幌間直通の寝台特急「北斗星」に使用するため耐寒・耐雪改造が行われた。この車両と同様に改造され500番台となった電源車11両は、「北斗星」の他「エルム」、「出雲」、「日本海」、「あけぼの」に使用された。※電源車:冷暖房装置や照明など、客車への電源を供給する車両。ディーゼル発電機を2基搭載し荷物室を備える。
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※車両の説明及び一部写真(小坂鉄道保存会)は現地案内板より引用。
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45.5
オハネフ24(開放B寝台車)の車内を常時一般公開いたしております。
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車内。
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47.1
47.2
47.3
47.4
47.5
47.6
懐かしい人には懐かしい。
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48.1
48.2
48.3
48.4
車外(ホーム)へ。
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キハ2101。
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同和鉱業キハ2100形気動車は同和鉱業が同社の小坂鉄道向けに昭和37年から製造した気動車。小坂線・花岡線を運営していた小坂鉄道事業所向けに導入された自社発注の気動車で、日本車輌(日車)東京支店でキハ2101-2107の7両が製造されました。小坂線の改軌を控えた昭和37年4月にキハ2101・2102が、同年8月にキハ2103-2105が、昭和42年にキハ2106・2107が製造されました。平成6年に小坂線の旅客営業が廃止されるまで使用されましたが、旅客営業廃止後にキハ2101・2106は廃車となり、キハ2101は小坂町総合博物館郷土館に保存展示、キハ2106は解体されずに小坂駅構内に放置された後、小坂鉄道レールパークに移されました。
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遠くにあるキハ2106(ホキ909の後方)。レールバイクか観光トロッコに乗れば近くで外観のみを見ることが可能です。
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ホキ909。軌道保守作業時に砕石(バラスト)を散布するホッパ車。ホッパとは粒状のものを下に落とすための漏斗形の装置のことで、形式記号の「ホ」はホッパ車を表します。このホキ909は、昭和36年に国鉄浜松工場で製作されたホキ800形(荷重30トン)で、軌道の内側・外側・遠近の3方向に砕石を散布可能な構造となっています。昭和62年12月に当時の国鉄精算事業団から小坂鉄道に転入し、保線作業で活躍。平成30年1月から3か月にわたって小坂鉄道保存会によって修繕されました。修繕にあたって国鉄静岡鉄道管理局所属、三河槙原駅常備時代の姿を再現。
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長くなりましたので『小坂鉄道レールパーク(小坂駅)~part2』へ続く。
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