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青森県むつ市田名部斗南岡。
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斗南藩史跡地(斗南ヶ丘市街地跡)からも近い場所です。
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旧斗南藩墳墓の地…『明治元年9月、朝敵の汚名を着せられたまま廃藩となった会津藩は、翌明治2年9月、太政官より家名再興の沙汰をいただき、同年11月松平容大公(数え年2歳)をもって陸奥国(現在の青森県の三戸・上北・下北の三郡と岩手県の一部)に禄高三万石の立藩が許されました。しかし、豊かな会津盆地で生まれ、そこで育った人々には、斗南の地はあまりにも過酷で、「みちのくの斗南いかにと人問はば神代のままの国と答へよ(斗南藩権大参事山川浩)」と言わしめたほどでした。天慈の覆育を祈り、開拓に夢を託した藩士達ではありましたが、志半ばにして命を失った者やこの地を去る者が続出したのでした。ここではわずかに残っております旧会津藩士の墓碑を、斗南ヶ丘唯一生き残りの島影家や会津ゆかりの人々が、あたたかく見守っています。』
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古い墓石と新しい墓石が混在しております。
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斗南藩追悼之碑。
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裏面「昭和51年8月松平保定書」
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側面「此ノ地ハ明治三年六月以後旧会津斗南藩ノ墓地デ其ノ後斗南藩ハ離散シ斗南岡部落
ノ現在住民が墓地跡ヲ整地シタ処出土シ現在地ニ永代供養ス 斗南会津会」
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嶋影家墓。嶋影家については『斗南藩史跡地(斗南ヶ丘)』の記事も参照ください。
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墓誌「旧會津藩士直系明治元年九月廿日鶴ヶ城落城明治三年六月十日安渡着翌日十一日斗南岡ニ着以後名代トシテ現在地ニ居住ス」
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