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青森県むつ市大畑町八幡湯坂。国道279号線大畑バイパス沿い。大畑の人々はこの集落を川向いと呼んでいます。大畑川と背後の海岸段丘に挟まれた湿地帯が多く、明治中期に幾多の困難を克服して道路を作ったといいます。
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稲荷の勧請年は定かではありませんが、現在地に鎮座しているのは3度目と云われています。背後丘陵の中腹には湧き井戸があり、傍らには石碑があり、稲荷大明神と彫られています。祠堂が有志により建立されたのは明治初期ではないかと推測されています。神使の狐が時々やって来て、夜通し鳴き叫び、漁業を本業としていた湯坂下の人々はその鳴き状態で吉兆を判断していたといいます。
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大正・昭和と戦時中にかけてイカ釣り漁が盛んになり、庄内、秋田、岩手、八戸、六ヶ所等の船が大畑港にやって来て、特に庄内の船の人々がこの湯坂下に番屋を作り一家総出でやって来たそうです。旅からの漁師やその家族、乗組員、仲買人等の出入が多く、縁あって土着する人もあり、大畑の人々は上海と呼んでいました。昭和40年に八幡宮宮司宮浦均氏に伏見稲荷を勧請してもらい、現稲荷神社と合祀して、湯坂下町内会が霊験あらたかな神として信仰。祭礼は8月8日が宵宮、9日が本祭。
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湯坂下稲荷神社の由来…『【祭神】倉稲魂命(稲荷神)【例祭】8月9日、10日【由来】明治初期に勧請され、現在地に建立されたのは3度目といわれている。昭和21年8月社殿改築。石段を設置し狐像2基を湯坂下青年団が奉仕寄贈。神使である狐が時々やってきて夜通し鳴き叫んだといわれ、その鳴き声で漁等の吉兆を判断するという不思議な語り伝えもある。大正初期から昭和36年頃までは、イカの豊漁で町全体が活気に満ち、特に庄内方面から来た船の乗組員が番屋を建てて生活していた。イカ釣が縁で旅から多くの人々が大畑に入り、中には湯坂下に定住する人が多かった。昭和40年、八幡宮宮司、宮浦耕造氏に京都の伏見稲荷神社より分霊してもらい、元稲荷神を合祀し、湯坂下町内の守護神として信仰することになった。平成2年8月社殿再建、大鳥居修復。大畑町教育委員会』
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