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六郷一円の総鎮守。
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神橋(梶原景時寄進と伝える太鼓橋)。欄干には盃状穴と思しきものがあります。
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神門。
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脇参道。社号標(常陸産花崗石・昭和7年6月・清水竹蔵、小泉半兵衛奉納・正三位伯爵葉室長通謹書)、大鳥居:稲田産花崗石・昭和10年5月・六郷神社内久能タカ)。
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御祭神は応神天皇(誉陀和気命)。
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かつては神功皇后、比売大神と三柱を祀っていましたが、ある時の曳船祭にて一座の神輿が上総の国に流され、もう一座の神輿は荒神でしばしば祟りを受けたので土中に埋めてしまったそうです。
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六郷神社由緒(境内案内板より)…『当社は、多摩川の清流に南面する古い八幡宮であり、六郷一円の総鎮守として、ひろく崇敬されています。社記によれば、源頼義・義家の父子が、天喜5年(1057)この地の大杉に源氏の白旗をかかげて軍勢をつのり、石清水八幡に武運長久を祈ったところ、士気大いにふるい、前九年の役に勝利をおさめたので、その分霊を勧請したのが、当社の創建とされています。文治5年(1189)源頼朝もまた奥州征定のみぎり、祖先の吉例にならって戦勝を祈り、建久2年(1191)梶原景時に命じて社殿を造営しました。今なお境内に残る大きな手水石は、このとき頼朝が奉献したものであり、神門前の太鼓橋は景時の寄進と伝えられます。天正19年(1591)11月、徳川家康は18石の朱印地を寄進し、慶長5年(1600)六郷大橋の竣功に際しては、神威をたたえて祝文をたてまつり、当社の神輿をもって渡初式を挙げました。また、鷹狩りの途次にもしばしば参詣したと史書にみえます。当社が巴紋とともに葵紋を用いている所以です。江戸時代には六郷八幡宮とも呼ばれていましたが、明治5年(1872)に東京府郷社に列し、同9年より六郷神社と改称して今日に至っています。なお当社には、毎年1月7日に行われる流鏑馬(東京都無形民俗文化財)と、6月の祭礼時に少年少女が奉仕する獅子舞が伝承されています。』
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江戸名所図会に描かれた六郷八幡宮(境内案内板より)…『社殿正面の道が、慶長6年(1601)に幕府の制定した古い東海道で、松並木が続いていました。これが西方に付け替えられたのは元和9年(1623)といわれます。このとき、神域を囲っていた構堀の一部を埋めて、脇参道ができました。往還の両側に並んでいるのは八幡塚村の人家で、脇参道の鳥居からやや南寄りに、日本橋から4里(15.6km)の一里塚と、その前に高札場が描かれています。東方はるかに連なるのは房総の山山で、右手には川崎大師の屋根も見え、辺り一面は水田です。社殿の上の方にひときわ大きくめだっているのは、今も境内にある塚で、八幡塚あるいは神輿塚と呼ばれ、竹林に囲まれていた様子がうかがえます。かつて六郷六か村の中心をなし、当社の宮本でもあった八幡塚村という村名は、この聖なる塚に由来します。近代に及んで東海道は第一京浜国道となりますが、脇参道付近から六郷橋へ向かう道筋の一部は、旧東海道の幅員を比較的よく残しています。ちなみに「江戸名所図会」は、天保7年(1836)に刊行された地誌です。平野順治撰文』
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東海道跡。
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『東海道は、古くから江戸と関西方面を結ぶ重要な交通路でした。六郷は東海道における江戸の出入口で、多摩川をわたる「六郷の渡し」として活気があり、有名でした。』
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社殿。
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御本殿は享保4年(1719)の建築(三間社流れ造り)。三柱を祀る様式になっており、一柱となったのは享保4年以降と考えられています。なお、本殿扁額の「八幡宮」の文字は源忠持筆。
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本殿の後ろには六郷幼稚園があり、境内は子どもたちで溢れておりました。
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狛犬一対。
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台座には「昭和12年5月建立」とありますが、台座の紀年銘であり、狛犬は大正8年のもの。なお、先代の尾下り江戸狛犬は八幡塚前に移動。
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脇参道石灯籠一対(花崗石造り・八幡塚會奉納・昭和10年6月)。
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神楽殿。
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神楽殿前庭へ。
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石灯籠(貞享元年8月15日)や力石(六拾五貫目・明治3年10月)などがありました。
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何より注目すべきはこの狛犬です!(一対・貞享2年9月3日・大田区文化財)。
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『この狛犬は、貞享2年(1685)に六郷中町の有志が願主となり奉納された。石工は三右衛門である。江戸中期(18世紀)以降、造立願意は「現世利益」とするものが多くなるが、この狛犬は「二世安楽」を祈った中世的なものであり、注目される。また造形的にも他に類例を見ない独創的なもので、素朴かつユーモラスな芸術性に富んでいる。狛犬としては区内最古のものであり、造立年代が古いにもかかわらず、阿吽ともそろっているのも貴重である。昭和50年3月19日指定』
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花表(鳥居)造立記念碑(明和6年・別当宝珠院)。
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御手水鉢(天和3年5月・高木伊勢守源守養寄進)。やはり盃状穴があります。
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六郷神社鎮座九百参拾年祭御造営紀念碑。 
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境内末社。
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一番手前が稲荷社(宇迦御魂命)。
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向かって右から氷川神社(素盞鳴尊)、天祖神社(天照大御神)、三柱神社(日本武尊・大物主命・布津主命 <合祠>天太玉命・天児屋根命)。
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旧六郷橋の親柱。
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旧六郷橋の親柱…『慶長5年(1600)に徳川家康が架設した「六郷大橋」は貞享5年(1688)の洪水により流失して以来、六郷と川崎間の渡河は186年間の長きにわたり渡し船でした。明治7年(1874)に八幡塚村の名主鈴木左内が、私財を投じて有料橋を架けました。左内橋も4年後の明治11年(1878)の洪水により流失しました。その後、八幡塚村議会の有志7名が川崎駅の有志6名とともに架橋を共同出願し、明治16年(1883)「旧六郷橋」が開通しました。この木橋は明治30年(1897)に架け替えられ、京浜電気鉄道(現・京浜急行)へ売却、人と共に電車が木橋を渡りました。しかし明治43年(1910)当地を襲った大型台風による洪水により流失しました。木橋の流失後、東京府と神奈川県が共同で木製の仮橋を架けましたが、交通の発達と共に橋の強度を完全なものにすることが課題となり、大正9年(1920)両府県折半で鋼鉄製の新橋建設が決定しました。大正14年(1925)鉄筋コンクリート製タイドアーチ式の先代「六郷橋」が開通しました。昭和元年(1926)に旧六郷木橋の遺構である親柱は、切妻屋根を付して六郷神社境内に保存されました。建立したのは旧出雲町(旧出村)の氏子総代・金子重太郎でした。時を経て親柱を保護する屋根に傷みが見えるため、平成26年(2014)金子重太郎の三男・金子重雄と重太郎の孫、東六郷1丁目氏子総代・金子義裕が屋根を更新、修復しました。力石富司(記)』
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六郷橋年表。
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手水石(源頼朝公寄進)。
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忠魂碑(元帥伯爵東郷平八郎書(花押)・大正14年7月建立・帝国在郷軍人会六郷村分会)。
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六郷講社歌碑(富士講・明治15年8月)…「中教正宍野半詠 六郷の領の有志の人等 井戸をほりたる水いと清ければ言視て 六郷講社 富士嶺の黄金の井戸のその水を此の神井に移しけるかも」。
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六郷講社井戸枠(神水)。
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御嶽講社碑。
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合祀天祖神社碑。
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中村石斎先生褒徳碑…「石斎先生姓中村氏俗称介助石斎其号素東京人温厚篤実有文事当我六郷小学創設也先生尽力此校尋教授生徒殆十年生徒益進四方薫陶於其徳者亦不尠焉今我党之有志倶慕其徳謀垂於不朽建石以勒 明治十六年夏七月 祠官六郷幡麿 世話人 八幡塚村 雑色村 高畑村 町屋村 古川村 道塚村」。
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旗懸之杉由来碑(昭和4年)と根株(由来碑後方)。
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白旗杉(旗立杉)は枯死し、大正10年7月に伐採されました。
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扁額(海軍大将有馬良橘謹書)。
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扁額(伯爵廣橋眞光謹書)。
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神輿庫(2基)と八幡塚(神輿塚・先代の江戸狛犬一対あり)。
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社務所。
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祭事暦(境内掲示板より)
1月1日歳旦祭
1月7日流鏑馬祭
1月15日成人式
2月3日節分祭
2月18日祈年祭
6月3日例大祭
6月30日大祓
9月22日天祖神社・氷川神社歳
11月15日七五三
11月24日新嘗祭
12月30日大祓
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