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社号標(昭和32年「伏見稲荷大社宮司藤巻正之謹書」「氏子中宮司渡邊源一郎」)。
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社殿に対して横向きの参道です。
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狛犬一対。
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手水舎。
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御祭神は誉田別命(応神天王)、武内宿祢命。
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御神徳は商売繁昌、学業成就、健康長寿、家内安全。
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畧由緒…『後冷泉天皇の御代。源頼義公、八幡太郎義家公は、朝廷の命に依り奥州の安倍貞任、宗任を平定する為に奥州街道を下向の砌当地に至りました。当時このところは小高い丘で隅田川の流れを一望出来る絶景の地であった。一休止のため陣をとりました時、川上より流れくるものを拾い上げてみますと銀杏の枝でありました。その枝をこの丘の上に差し立て都の氏神を遙かに拝み「朝敵退治のあかつきには枝葉栄ふべし」と祈願し旅立ち安倍一族を平定の後、再びこの地に帰り至りました時丘の上に差した銀杏の枝は大きく繁茂しておりましたので、義家公は御神恩に感謝し、この処に大刀一振を捧げ八幡宮を勧請いたしましたのが、康平5年(1062)当社の始と伝へられています。そしてこの銀杏は大樹となりまして、隅田川を上り下りする舟や街道を行き交う人々のよい目標となりましたが、時代は下り徳川家江戸入府後、元和4年(1618)この地は福井藩松平家の屋敷となり、邸内社として尊崇されてまいりましたが、享保10年(1725)この地が公収され屋敷の跡地は町屋となり同15年、時の町奉行大岡越前守様に依り福井町と命名され願いにより当社は地域の産土神として崇敬されてまいりました。大銀杏は延享2年(1745)9月14日台風のため中程より折れましたが、高さ6メートル位を残して繁茂しておりましたが、文化3年(1806)江戸大火の折焼失しました。御祭礼は、江戸時代8月15日に執り行われていましたが、明治の中頃より6月15日にかわり、現在は原則として6月第1土曜、日曜に執り行っています。』
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向拝下。
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御祈祷案内板。
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銀杏葉お守。
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子守唄と銀杏岡八幡神社…『江戸時代に伝わった我が国の子守唄やわらべ歌を集成し、高く評価されている「童謡集」は釈行智の著によるものです。行智(1778-1841)は、銀杏岡八幡神社の氏子一同により享和3年(1803)別当寺として勧請された覚吽院にて阿光坊と称して修験僧となり、後に住職になるなど台東区にゆかりがあります。行智は、採録した子守唄を「寝させ唄」「目覚め唄」「遊ばせ唄」など細かく分類し、子供の暮らしの背景がよく解るように書き残すなどして、その伝承に努めました。』
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一体だけの狛犬(文化11年)。
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御神木と彫られた碑。「明治神宮下附の公孫樹移植記念 昭和32年3月」とありました。
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神輿庫。
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本殿横からの入口。
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本殿。
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此葉稲荷神社。
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むしろ此葉稲荷神社の向きこそ参道に合っています。
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社殿の他に使われていない手水鉢や小祠などがあります。
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社殿前の狐は一体だけ。
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社殿の木彫り。
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此葉稲荷神社…『御祭神宇迦之御魂神。この此葉稲荷様の御創建につきましては詳らかでは有りませんが、古くから此の八幡様の境内にお祀りをされておりました。稲荷の大神様は古来から衣食住をつかさどる神様として信仰を受けて参りました。現在では商売繁盛のご加護は元より私共の普段の生活をお守り下さる神様として多くの方々より篤いご信仰を戴いており霊験灼かなるお稲荷様でもあります。』
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