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栃木県宇都宮市塙田5丁目。
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参道石段。
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鳥居。
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ちなみにこちらは蒲生神社東参道。
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5.5
正面参道に戻ります。
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社号標。
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しもつけ夢福神。
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「夢福神九難除けめぐり」なるものがあるようです。蒲生神社は第五祈願所。
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夢福神は人々の悪い夢や厄を食べ、良い夢や幸せを与えてくれる獏が化身した神といわれ、苦難(九難)除けとして栃木県内の下野地区にある9つの神社が夢福神を祀っているそうです。
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参道を振り返るの図。
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石段上。参道は続きます。
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シダレザクラ。
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宇都宮青友クラブ35周年記念植樹。
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平成22年11月20日。
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参道右手の森に階段。
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門も見えます。
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境内社かと思ったら墓所でした。
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参道に戻ります。
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右手の建物。
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こちらには…
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祖霊社があります。
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案内板「和算を解き明かしましょう。」…『「和算」という言葉の反対は、西洋の「洋算」。和服に洋服、和食に洋食と同じである。江戸時代も中期になれば、太平の世となり学問が盛んとなってきました。そんな中で発達したのが和算「数学」です。問、答、術(解き方)を額に書いて神社仏閣に奉納したのが「算額」と呼ばれ、絵馬の一種でもあります。蒲生神社は昔より、文武両道「学問」の神社、近年は受験生の守護神として、多くの人達が参拝に訪れています。当社は偉大な先人が考えた「和算」と現代版「数学」をここに掲示致しました。』
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江戸時代版和算(弘化4年9月)。むずっ!!
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現代版数学。
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社務所。
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手水舎。
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印度獨立首唱者丹野清翁之碑。
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碑文…『「MR,KIYOSHI TANNO'S WORK IN THE CAUSE OF INDIA'S FREEDOM WILL ALWAYS BE REMEMBERED.APRIL 1964 LALJI MEHROTRA AMBASADOR OF INDIA IN JAPAN」翁ハ明治八年舊仙臺藩士清貞ノ長子ニ生レ少年ノ頃ヨリ東洋史ニ關心ヲ抱キ三千年来ノ歴史アルアジア佛教ノ開祖釋尊ヲ生ンタ印度民族カ二百年ニ亙リ筆舌ニ盡クセヌ奴隷生活ヲ見ルニ忍ヒス二十五歳ニシテ民族解放ヲ叫ヒ凡ユル苦難ヲ超エテ半世紀ニ亙ル生涯ヲ印度獨立運動ニ挺身セシソノ事績ハ友邦印度民族トノ契リヲ結フ不滅ノ礎石ナリト謂フヘシ翁ハ名利ヲ事トセス邊幅ヲ飾ラス常ニ人類平和共存ノ大道ヲ説キ数々ノ遺訓ヲ残シテ昭和三十七年米寿ノ年歿ス茲ニ翁ノ偉業ヲ稱エ世ニ傳ヘシトスルナリ。昭和39年6月元学習院長山梨勝之進』
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こちらの碑は読みにくかったです。
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題額は「義人田中正造」かな。
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献木碑(宇都宮市農會)。
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学問の神御柱(おんばしら)…『日本では古来より、大きな柱(御柱)を奉り神様にお願い事をして参りました。この「学問の神御柱」は当神社の学問の神様(蒲生君平)に、皆様の学業向上をお願いする「御柱」です。この「御柱」の横穴に筆記用具を見事に一度で通してください。(難問を通り抜ける)但し、自分の目線より高い横穴に通してください。(夢も希望も大きく、そして目標はより高く)学問の願いは蒲生神社が叶えてくれるでしょう。』
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初代御柱(平成12年建立)。
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鉄灯篭一対。
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35.5
かなり錆びてます。
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紀年銘は昭和9年10月吉日。
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37.4
37.8
社殿前鳥居。
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社殿前に裸の人がいますが気にしないで下さい(下記参照)。
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大正元年、蒲生君平先生九十九年祭執行の際、神社創建の話が起こり蒲生会が結成し、栃木県民あげての賛同により大正15年7月に蒲生神社本殿が竣工。その後、蒲生会は蒲生神社奉賛会となり県下をはじめ全国に多くの崇敬者を得て今日に至ります。蒲生神社例大祭は先生の命日である7月5日に厳粛に行なわれ、毎月5日には月次祭が行なわれています。
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蒲生君平先生は宇都宮市に生まれた江戸後期の学者。祖先が会津藩主蒲生氏郷公であることを知り、蒲生の姓を名乗りました。幼少より学問を好み、多くの先生に学び交わり、全国の天皇陵や旧蹟を巡り、『山稜誌』を著しました。晩年は子弟に学問を教えながら著述に励むも、志半ば46歳をもって江戸で歿しました。明治2年12月、明治天皇は先生の功績を賞し、勅旌碑が建てられ、更に明治14年5月正四位を御贈位されました。
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社殿前狛犬一対。
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42.5
昭和12年5月・宇都宮市上河原町・関根榮吉奉納。
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43.5
社殿前石灯篭一対(昭和9年)。
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44.4
44.8
裸の人。
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案内板「蒲生神社」より…『御祭神蒲生君平。御祭神蒲生君平先生は会津城主蒲生氏郷を祖として明和5年宇都宮に生まれた。幼少より父祖の功業に発憤し学業に専念、特に太平記を愛読して忠誠の志を養った。林子平、高山彦九郎らと共に寛政の三奇人として知られる。藤田幽谷、滝沢馬琴、山本北山、平田篤胤らと交わり深く歴代天皇の御陵の荒廃を嘆き、その復興を志して、西国の皇陵を探査修復し山陵志、職官志、不恤緯、今書、女誡国字解、皇和表忠録など、精神文化の上に不滅の偉業を樹て文化10年46歳江戸(東京)で没した。明治天皇は特に先生の勲功を認められ明治2年藩知事戸田忠友をして旧宇都宮市街地入口南新町に先生の勅旌碑を建てさせ、さらに明治14年特者を以って正四位を追贈せられた。神社参拝の各位は君平先生の崇高なるその偉業を讃えて参拝の誠を捧げられたい。平成13年7月5日蒲生神社奉賛会』
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影山銀四郎先生歌碑(昭和47年10月8日)…『「たまきはる いのちのうちのあけぼのを はやはやひらけ大和島山」鶉居洞人』
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日下開山初代横綱力士明石志賀之助碑(明治33年10月・寛永元年初代横綱力士・碑文省略)。
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初代横綱明石志賀之助碑…『初代横綱を称え、第12代横綱陣幕久五郎が建立した碑。明治33年に御本丸に建立されたが、昭和26年、宇都宮相撲協会の手で蒲生神社に移された。陣幕は同時に栃木市に「第二代横綱綾川五郎次碑」も建立した。【明石碑全文(訳)】明石志賀之助は宇都宮藩士山内主膳の子。寛永元年大関となり、三代将軍家光公にその怪力を称えられ、日下開山横綱の称号を賜った。これが相撲横綱の元祖である。(日下開山・初代横綱力士明石志賀之助手形)蒲生報徳講』・『わたしたちの故郷・栃木県宇都宮。永年にわたり培われてきた歴史と文化を研究し、次世代へ伝承していきたいという多くの市民の思いによって、平成17年(2005)10月23日、「歴史文化を伝承する市民の会」が設立されました。このたび当会は、宇都宮出身の初代横綱・明石志賀之助(あかししがのすけ)の石像をここ蒲生神社境内に建立奉納いたしました。明石志賀之助は、江戸時代・寛永年間(1620年代)に活躍した初代横綱で、財団法人日本相撲協会・ご提供の錦絵をもとに実物大(身長221センチメートル、体重225キログラム)の石像を制作しました。地元宇都宮出身の初代横綱・明石志賀之助の誉れを広く伝えるとともに、「相撲のまち宇都宮」として相撲文化の振興を推進し、さらなる街の発展を願うものです。平成19年4月7日歴史文化を伝承する市民の会』
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手形(天下泰平一圓融合)。
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