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栃木県宇都宮市塙田5丁目。八幡山公園内。入口付近に日蓮宗昭徳山東妙寺があります。
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塙田睦会創立20周年記念植樹碑。
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大鳥居奉納碑(昭和35年4月15日)。
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参道石段。
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石灯籠一対(昭和14年9月25日)。
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狛犬一対(昭和11年9月30日・塚原久治郎)。
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拝殿前石灯籠一対(大正10年1月吉日)。
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手水石。
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かつての塙田村で村の鎮守。
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村高は「慶安郷帳」207石余(田122石余・畑85石余)、「元禄郷帳」352石余、「天保郷帳」359石余、「旧高旧領」358石余。「旧高旧領」によりますと、村高のうちに真禅寺・能延寺・桂林寺・清巌寺・宝蔵寺など14か寺の寺領計160石余があります。民家は二荒山神社(宇都宮大明神)の東側から大曽方面にかけ点々と散在していました。八河原の1つである精霊河原へ行く道に極楽橋があります。精霊河原は「千阿弥川原」とも称しました。安蘇沼は涸渇して小沼となって残り沼ノ坊の旧跡がありました。寛永12年に長島屋騒動が起こります。これは天候不順による凶作や、米穀商長島屋の横暴に不平をもった百姓庶民が、米価の引下げや米の自由販売を要求したもの。17世紀末頃、宇都宮町の紺屋を当村南部、城高寺門前付近に引き移し「新紺屋町」あるいは「北新町」と称しました。寛文・天和年間のものと思われる「下野国宇津宮城下之図」では、城下町のうち小田町と扇町の間から城高寺に通じる通りに「新こんや町」と記されます。なお、別に「こんや町」が道場宿(茂木)街道沿いの八日市場の北側に見え、この紺屋町に対して新紺屋町と称したものと思われます。また、正徳4年に八日市場の東側に東新町ができますが、これに対して新紺屋町が北新町とも称することになったと考えることができます。「宇都宮町名起源考」によりますと扇町と清巌寺町との間にあったとされる壁町も当村の地内。但し、新紺屋(北新)町・壁町は江戸後期になると史料的に見えなくなり、共に当村に吸収されたものと思われます。寛延3年宇都宮宿当分助郷帳によりますと、日光法会による同宿助郷村のうちに当村が見えます。「改革組合村」では鶴田村組合寄場に属し、天保年間の家数31。宝永8年「宇都宮領九万石高村付帳」によりますと、領内12筋のうち岡本筋に属し、安永年間-嘉永年間頃の「宇都宮領村高御城下迄道法附」では領内6筋のうち塙田条(筋)38か村の1村。嘉永4年の領地替に際し5筋に変更されてからも塙田筋45か村の1村。神社には須賀神社があり、夏祭りである天王祭にはお仮屋が作られて盛大に行われました。他に事代主命・誉田別命を祭神とする八幡宮、大雷神・大物主命を祭神とする雷神社があります。寺院は真言宗能延寺・浄土宗慈光寺・曹洞宗成高寺・時宗本願寺などがあります。
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拝殿。
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拝殿内。
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本殿。
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境内案内板「市民憩の森八幡山公園に鎮まる宇都宮城北の守護の八幡宮」より…『【由緒(由来)】当神社の御祭神は誉田別命(応神天皇)と併せて配神事代主命(えびすさま)倉稲魂命(稲荷さま)を祀り明正天皇の御代寛永18酉歳8月(西暦1641)宇都宮城主が北の守護神として祭祀建立したものと伝えられ奥平美作守が再建したと記され永く武の神として城下の人々の崇敬をうけてきた。旧塙田村の氏神さまとして村人の厚い信仰にささえられて今日へと守られてきている。神域を始め周囲の森は市民憩の場所となり、この御社の名称から八幡山公園と名付けられ桜の名所として多くの花見客が訪れて殷賑を極め広く親しまれている。丹塗の本殿と朱塗の鳥居は花や緑に映えて訪れる人々の心のやすらぎと雅趣を与えて静かに鎮座する。境内には琴平神社、須賀神社の両末社が鎮座され塙田の天王祭みこしは市内屈指の大型神輿で有名。【例祭日】10月新暦十五夜午前11時。末社琴平神社:同日午前11時30分。末社須賀神社:(天王祭)7月15日-7月20日』
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社務所。
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末社の須賀神社。八幡宮の真横(向って左)です。
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社殿神額。
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社殿内には神輿がありました。
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こちらは末社の琴平神社。石灯籠一対(昭和41年10月10日)。
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琴平神社は八幡宮の横(向って右)、社務所前にあります。
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