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八橋山不動院。秋田西国観音霊場の30番、31番札所。秋田県秋田市八橋本町。日吉八幡神社のすぐ近くです。八橋地区は江戸時代初期に旧羽州街道が整備され、今の日吉八幡神社が遷座した頃から住人が増えました。やがて、街道沿いに茶店が立ち並び、芝居興行が行われるなど、城下の町人が集う行楽地として賑わいました。地名は八つの橋があったとも、坂上田村麻呂の射った矢が走り落ちたために「矢走」と呼ばれたなどの伝説があり、矢橋・谷橋などとも記されていました。
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パンフレットによりますと、真言宗のお寺で、境内には100基ほどの庚申塔や鶏卵塚などが立ち並び、日本三大庚申の一つと称されているとのこと。入口の比較的新しい寺号標にも「日本三庚申霊場真言宗不動院」とありました。寺号標隣の一際大きな庚申塔には「岩之山 太平山 三庚申」とあります。更に反対側には「七庚申」と彫られた明治33年の庚申塔。
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七庚申(明治)。ってういか111基あるとのことで全部は見ていられませんね。
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狛犬一対(嘉永6歳癸丑4月吉日)。
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5.5
お墓です。東京力士…若梅与市?いや、与市は間違いないけど、その上は微妙に字体が違う気も…。大正9年8月21日東京力士會建立。
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6.5
「日本三庚申」を刻む五輪塔です。
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紀年銘は明治2年己巳9月。仙北郡九升田村森川治左エ門。
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詳細は見ていませんが、ほぼ全部が庚申塔・二十三夜塔及び青面金剛で、一部猿田彦や墓碑。庚申の御祭神で仏教では青面金剛、神道では猿田彦を掲げて供物を供えます。
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9.2
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9.5
9.6
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時代も結構古く、歴史を感じます。
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10.6
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111基以上ありそう。
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11.4
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太平山・青面金剛。
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狛犬三対。
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百度石。
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手水石。
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新しそうな五輪塔もありますね。
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歴代不生位とあります。
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この付近は歴代僧侶の墓が多いです。
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こちらは立派な造りですね。石灯籠一対に、石碑は亀趺の上に建てられています。
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四十二世善恵(入定仏)の墓です。中央には「當山中興開四十二世權大僧都法印正法不生位」とありました。羽陰温故誌によりますと、明治初年に発願して生のまま土葬されることを希望し、生きている内に石の唐櫃を作り境内に埋めて入定しようとするも政府から許可されなかったとのことで、21日間の断食の後に唐櫃に入れられ埋葬されたと伝わりますが詳細は不明。
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沼田則長之墓。
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いずれも歴史が古い割には碑文の状態もそこそこ良好なので、きちんと読めば色々と歴史を紐解けそうですね。
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狛犬一対。
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23.5
この狛犬は柵を向いています。
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本堂へ。石碑は古いのですが本堂は近代的ですね。
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寛文5年(1665)二代藩主佐竹義隆が三間四面の堂宇を建立して開基したと云われている古寺で真言宗智山派。寺号は八橋山金剛寺で後に改称。庚申尊を安置したことから庚申堂とも呼ばれており、境内には県内に例をみない庚申塔の林立、鶏卵塔、四十二世善恵(入定仏)の墓などがあります。
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御本尊は青面金剛童子(日本三庚申の一つ)。天平の頃、天竺婆羅門僧正が日本に渡り奈良の大仏開眼法要後、日本国土の開発を祈り三体の庚申尊像を彫刻。大阪の四天王寺と近江国八坂の堂にそれぞれ安置し、残る一体は行基菩薩が羽後国秋田郡舞鶴に安置したものが、八橋の現在地に納まったと伝えるも、明治19年の秋田の俵屋火事によって焼失したといいます。
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戸村竹窓先生之碑(窓じゃないかも)。明治6年7月8日七周忌、門人中建立。
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俳祖芭蕉翁。10月12日は読み取れますが年号は読み取れませんでした。
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鶏卵塚(産土の神・古四王神社(秋田市寺内児桜)周辺の寺内衆は禁断の習慣があり、四足の肉や鶏肉は食べず、卵も牛乳も一切口にしないという奇習がありました。但し、病気等で止むを得ず食べなければならない時は鶏卵塚を建立して供養・感謝をしたそうです。)。
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紀年銘は嘉永6年癸丑7月23日。
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三十三観音の一部。どちらも「三十番」。
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こちらの石碑は…
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私には判断しかねます。紀年銘は明治34年辛丑4月。
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