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秋田市寺内鵜ノ木にある空素沼神社の鳥居。秋田縣護國神社参道口(秋田中央交通のバス停(護国神社前))付近。空素沼神社の鎮座地はここから離れた場所(秋田市寺内高野)、空素沼の南にあります。
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この鳥居からだと白龍神社や池田稲荷神社の方が近いです。いや、古四王神社の方がまだ近いですね。この場所には鳥居(御大典記念・平成3年8月23日、空素沼神社氏子会、空素沼神社崇敬会、寺内青年講友会奉納)と社号標(明治29年)と手水石のみがあります。
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近くの案内板でもこの位置に「空素沼神社」と記しているものがあったので、道路沿いでこの鳥居だけを見つけ、悩む方がいるかも知れません。一之鳥居と鎮座地がかなり離れていることは、神社巡りをしているとよくあることです。
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ってことで、かなり離れまして、空素沼神社正面参道の鳥居。秋田県秋田市寺内高野。
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参道鳥居。
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灯籠一対。
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パンフレットによりますと、『その昔、オオカミが集まったことから「狼沢(おいぬさわ)」や、この沢に入って帰る者がいなかったことから「帰らずの沢」などと呼ばれていたそうです。9代藩主佐竹義和の時代、日照りが続き、補蛇寺の徳善住職、赤田の是山和尚、天徳寺の義産和尚がこの沼の主に雨乞いの祈願をしたところ、霊験あらたかだったので、ここに3頭の龍神を祀りました。それが現在の空素沼神社です。神秘的な伝説がたくさんある、秋田市のパワースポットです。』とあります。
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社号標と鳥居。
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石灯籠一対(昭和41年8月23日、平野政吉建立)。
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手水石。
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神社庁より…『御祭神:高おかみ神。例祭:8月23日。創立年月日上詳なれども、当社は空素沼の南岸高所にある。沼はもと狼ヶ沢といって、小沢と田地とがあったが、元禄元年7月23日一夜にして漫々たる大沼となり、水清く沼面透徹深さ測り知られず、老杉古松四周深遠幽遂の神秘境にして里人深く畏敬、敢えて近づく者もなかった。藩主佐竹義和公の時秋田地方に大旱魃あり、藩主憂い補陀寺の徳善、赤田の是山、天徳寺の義産に雨乞を請わさせたところ、忽ち霊験あり、沼側に一祠を創建、龍神を祀った。これが当社の起源である。万延年中、河辺郡大山村勢覚寺の和尚、藩主の請により当社に祈請霊験を得、藩主大いに賀して勢覚寺の寺号を賜ると伝え聞く者、益々霊験の顕著なのに驚き、崇敬愈々深いものがあった。又曰く狼ヶ沢即ち大神ヶ沢であって天然神を祀り、その起源極めて古く高泉神に起源を求むるものもある。近年大曲仙北地方民の信仰篤く講社の結成多数、社殿の増改築を行い、春秋の講社祭には殊に参拝者が多い。』
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社殿。
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拝殿向拝神額。
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拝殿内。
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本殿覆屋。
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小道があります。高清水公園方面かな。高清水岡(古代)は秋田市寺内高清水岡。庄内にあった出羽柵が天平5年「秋田村高清水岡」に進められました。東西1,200m・南北1,100mほどの不整扇形で約67haの広がりを持ちます。標高平均約30m、最高50mの岡には名泉が湧くのでこの名があるといわれています。現在もいくつかの泉があり、地名の起こりに結びつけられたりしていますが、古代地名の源拠となったのは現在空素沼と呼ぶ堰止湖の水源となった泉と思われます。柵は秋田城となり、高清水岡は長く政治・軍事の中核となりました。このような城柵にとって用水は不可欠なものであり、この沼の豊富な水源は極めて重要な意味を持ちました。付近一帯は住宅地になり、高清水公園として市民の憩いの場・桜の名所となっています。
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パンフレット(あきたのまち再発見ぐるっと文化財マップ寺内地区編)によりますと、この道は「久保田城間道!?」と記されており、その先の空素沼に至る階段の手前に石碑群が記されており、小野小町塚などもあるそうですが行きませんでした。なぜならネットで検索したら心霊スポット的な情報ばかりがヒットしたからです。
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