青森県中津軽郡西目屋村大字田代。再訪…というか、リベンジです。なお、花咲松と馬頭観音の由緒等については以前の記事も参照ください。※岩窟については見つけることができませんでした。
以前の記事
鳥居。鳥居までの道は狭いです。車1台は余裕ですが、もしも対向車が来たらちょっと大変かも。
参道は相変わらず微妙な感じではありましたが、今回の私はちゃんとした装備でございます。
で、気合を入れて参道に入ったのですが…
荒れているのは入口付近のみで、道中は意外に歩きやすかったです。結構参拝者がいるんでしょうね。
ってことであっという間に到着。
こちらの建物は何でしょうね。
休憩所、もしくは展望台のような造りですが、眺望はありません。もしかしたら昔は綺麗に岩木山が見えたのかも知れません。
目屋の発祥地の地といわれる花咲松は、大高森という小高い森(小高森山)の途中にあります。
天平の昔(731年)、僧行基がこの地を訪れた際、千手観音を勧請したという伝承が定着しています(※知名度が上がると参拝者の交通不便を考慮して桜庭村の清水観音に遷座)。「花咲松」のいわれは、行基が松にボタンの花を咲かせ夷人に見せたからとも、津軽の殿様が南部の殿様に全山の松に真っ白な花が咲いているところを見せて自慢したからとも伝えられています。
鳥居(昭和56年9月5日寄贈・弘前市広野、畑山光弘・北海道函館市旭町、地主ヒサ)。
石碑がいくつかありましたがいずれも読み取れませんでした。
正確には読み取る気力がありませんでした。
手前の小祠。
手前の小祠も馬頭観音のようです。嶽きみの鮮度を見る限り、やはり頻繁に参拝者が来ているようです。
奥の馬頭観音。
写真には写っていませんがコウモリがいました。
両脇に馬。
中央の馬には誰かが騎乗しております。
絵馬等もいくつかありますが、位置的に見辛い感じでした。
なぜローマ字にしたのだろう。
棟札には「奉建立観音精舎一宇講中安全息災延命火病難諸除子孫長久祈所 聖主天中天 伽陵頻迦肇 哀愍衆生者 我等今敬禮」「于時明治21年旧8月2日別當正應院」とあります。その他新築記念と見える木札も貼ってありましたがよく見えませんでした。
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