くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2019/06

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こちらは蛇王神社に向かう道中にちょっとした墓所があり、その付近に鎮座していた龍神宮です。
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龍神宮内。中央に神像と棟札、右に小祠がありました。詳細までは見ていません。
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龍神宮横にあった妻ノ神の石碑(昭和11年1月吉日・椛本ソノ建立)。
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龍神宮から更に少し進んだ場所に案内板が設置されています。
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蛇王の松…『蛇王(じゃおう)神社の境内にある赤松の大樹です。根元から三つ又になり、それがさらに分かれて五つの太幹となって、天に向かって手を広げるように伸びています。この木の幹周りは6メートル88センチあり、アカマツとしては青森県内では1位、全国では3位という太さを誇る巨木です。この地方では、昔から三つ又の木は山神が依存した神木として崇敬されており、この巨木そのものが山神の御神体とされています。』
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蛇王神社と書かれた鳥居をくぐり…
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その先へと歩いて行きます。
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すぐに左手に沼が見えてきます。
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八の太郎が棲んでいたという沼。
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沼沿いに進むと…
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すぐに蛇王神社に着きます。
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ちなみにこの沼ですが、水草で全貌がわかりにくいのですが、結構な大きさだと思います。
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蛇王神社。田子町田子椛山鎮座。
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由緒等は調べていませんが、蛇王神社には龍神(龍正大明神)が祀られており、周囲の椛山沼には蛇や龍女についての様々な伝説を残します。蛇王は竜神であり、雨乞いの神かも知れません。雨乞いをすると霊験ありとの話も伺いました。
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『水神竜神 十和田信仰』(小館衷三)には三戸町蛇沼や階上岳の八郎竜神などの記載はありますが、ここについては特に触れていなかったと思います。
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御神体。
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全部は見えませんが棟札。
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境内にある山ノ神の石祠。
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蛇王の松。
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根元部分では三頭木です。
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推定樹齢370年。樹高22m、幹回6.88m。
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根元にある鳥居と標柱。町指定文化財。
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想像を超える太さと迫力です。正直驚きました。
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この枝の伸び方が迫力を増しているんでしょうね。かっこいい松です。
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さて私はどこでしょう。
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ここです。
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青森県下北郡風間浦村蛇浦赤平。かつての蛇浦村。盛岡藩領。田名部通に属します。正保4年南部領内惣絵図には「蛇ウタ」とのみ見えます。蛇浦村は海岸線まで山が迫る山村的漁村であり、地先の海産物と松前への出稼ぎが生活基盤となっていました。中浦に属し、享保6年に天当小廻船2艘・漁船8艘を有し、享保年間には塩釜1があり、安永9年には地船1艘、漁船6艘を持っていました。享和3年に幕府から佐井が函館渡航地に指定されたことにより、文化4年下風呂境滝から蛇浦の岩崎まで新道開削。これに伴って人足伝馬の徴発が頻繁となり、文化8年北通り村々による田名部町定役銭減免愁訴が行われ、肝入宇兵衛も訴状に連署。明治初年の国誌では戸数56、「町並に家居し小店あり」とあり、やはり田畑は少なく漁業で生計をたて、北海道への出稼ぎがあり(出稼者数65人)、明治以降も生活基盤に変化はありません。明治15年に仲買人鈴木惣兵衛から青森県令に出された前年物資輸出入調によりますと、輸出にコンブ・フノリ・スルメ・乾アワビがあり、輸入は米・酒・塩・菓子などとなっており輸出超過。明治16年の河西粛四郡長への内申によりますと、「海産に富み、村内一般に富裕なり」とあり、明治19年の柴太一郎郡長への内申では漁労と出稼ぎをもって生計をなし、富者も貧者もないとしています。菅江真澄の「牧の冬枯」には次のように記されています…『(前略)釜谷の浦にでた。ここの実の名は蛇浦というが、農漁民のなりわいに蛇を忌むことがあるので、一般に蛇浦とはよばないという。』※農漁民は労働に従っているとき、蛇とはいわず、忌みことばで長虫といいました。地内に見える折戸神社ははじめ折戸山に鎮座。後に村内の稲荷神社に遷されています。下北半島史では元和3年の勧請、国誌では不詳なれど享保年間の勧請としています。旧村社。産土神。邦内郷村志には稲荷社と見え、貞享3年の勧請。なお、同書には弁才天堂(漁船為平安往古村中建之)も見えます。寺院としては慶安2年勧請の慈観軒が見え、現在は再興されている大海寺です。
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水盤(明治15年7月)。
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春日灯籠(明治38年3月)。
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春日灯籠一対(明治37年7月)。
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神前型灯籠一対(昭和53年12月吉日)。
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狛犬一対(明治37年7月)。
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社殿。本殿脇障子は明治8年4月奉納。なお、奥の院の御神体は天児屋根命。また、奥の院の神は女神様で、昔火事があった時に空から火を消したという伝説を残します。
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8月には蛇浦折戸神社祭典があります。毎年8月14日(宵宮)・15日・16日。この祭典は宵宮に行われる遷座式から始まります。町から4kmほど離れた折戸山(本州最北端の山・標高119.1m)の折戸神社奥の院に安置されている御神体を、風間浦村蛇浦赤平の当折戸神社に迎えます。つまり1年に4日間だけ神様が集落近くの折戸神社に移ります。古式の慣習で厳粛に遷座式を挙行しているのはむつ・下北地域では珍しい行事。現在の例祭では神楽渡御や子供ねぶたの運行だけでなく、漁港にステージを設け盆踊りや灯篭流し、カラオケ大会を行うなど地元民をより楽しませるプログラムが組まれているようです。御神輿は約160年前に京都で造られたもの。
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社殿内。鶴の額(明治26年12月・願主五十苅栄作)があり7つの俳句が書かれています。
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神社庁によりますと、御祭神は天児屋根命(※奥の院)。例祭日は8月15日。享保年中の頃に氏子が勧請し小社を建立。天保15年8月の大風により小社・棟札共に飛び去り紛失したため由緒不詳。明治6年5月寺社調査により村社列格。
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折戸神社…『御祭神:倉稲魂命(御稲荷様)。由来:その昔蛇浦は釜谷ヶ浦とも呼ばれ漁業の邑として開拓された。(年代については不明である)元来此の邑は、昆布、若芽、天草等海業ならびに鮑、ウニ等が豊富に繁殖したことは有名である。また背後の山地は、巨大美林が海に迫り耕地にも恵まれ遠い祖先の親達は人情に厚く釜谷衆と親しまれ平和に栄えた。邑人達は海の幸、山の幸は産土様のお授けによる恵みとして心深かく感謝し子孫繁栄を祈り折戸山とならんで此処赤平坂に稲荷神社を建立したのが貞享3年であった。明治6年一村一社の令によって翌明治7年両社一体とし村の弥榮を祈願し折戸髙山を奥の院として祀り(下北半島史による)社号を折戸神社と定めた。毎年8月大祭には折戸髙山の社から4粁の行程を厳粛に行列を整え神楽囃子も賑かに御神霊の渡御を御迎えする祭事は全國的にも類なき神事と髙く歴史家の評讃を呼ぶところである。社は長年の風雪に朽ち果て修築の功なく折戸髙山の社は昭和47年8月に此処赤平坂の社は昭和52年氏子の総力を注ぎ現在地に神明造りにて着手、翌53年4月22日(旧3月15日)大願成就落成による御開扉拝観の儀式が近時稀なる盛大祭事が執行、今日に及んだものである。主要祭事:例大祭8月15日、春祭5月8日、秋祭11月1日。昭和63年10月9日折戸神社氏子総代』
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折戸神社入口付近に山道があります。手摺りもありますが荒れていたため行ってません。
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一之鳥居脇にある社。
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井戸のような手水舎。
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社殿。
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石上社。
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同じ境内地になるのかも知れませんが、道を挟んで隣にも赤い鳥居が見えます。
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石灯籠一対(萬延元庚申年旧7月吉日)。
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狛犬一対(平成28年6月5日・氏子団体一同)。
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弁天社。
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御神木。
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弁天社から見た折戸神社参道の松。
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秋田県大館市杉沢屋布。杉沢会館隣。
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杉沢村は天正19年の史料に見えるのが初見。村内丘陵上には東西200m、南北80m、連郭の館跡があり、杉沢数馬の居住跡と伝えます。
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御祭神は誉田別命。由緒等は調べていません。
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石灯籠一対(昭和15年)。
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拝殿。
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向拝神額(平成6年5月吉日)。
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拝殿内。
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坂村真民の詩「鳥水雲」が貼ってありました…『鳥のように一途に飛んでいこう 水のように素直に流れていこう 雲のように身軽に生きていこう』
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その他絵馬(大正6年・昭和4年)など。
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本殿。稲荷っぽい。
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秋田県大館市杉沢姥沢出口。杉沢館跡地。杉沢八幡神社のすぐ近くです。
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石段が斜め過ぎて平衡感覚が狂います。
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気を付けてください。
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社殿。
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私の地図では「唐松神社」とあったのですが、神額には「神明社」とあります。
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悩めますが、正しいのは間違いなく現地の神額です。唐松神社もあるのかと思ったのですが見当たりません。但し、境内には神社跡がありました。恐らくここに唐松神社があったのではないでしょうか。
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神明社内。御祭神は天照大神。由緒等は調べていません。
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秋田県男鹿市船川港小浜下台。帆掛島(凝結凝灰岩)付近(※写真は山王神社前の海。帆掛島ではありません)。
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白い鳥居と赤い鳥居が並んでいます。
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赤い鳥居が山王神社。
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山王神社拝殿内。覆屋のようになっています。
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正面には怖い面が並んでいました。
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隣の建物。
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太平山。
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隣に金毘羅山。
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そしてその隣に手。恐らく秋田県内でたまに見かける足手荒神。民間信仰で、手足の病気や怪我に悩む人がその快癒を祈願し手型や足型を奉納するものです。
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山王神社と神明社の間の建物。
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石祠と白い布に囲まれた石像があります。
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頭まで布で覆われていて何かは判断できませんでした。
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建物の横の石碑。
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読み取りにくいのですが正面には「西国三十三所観世音」と見えます。紀年銘は文化4丁卯年。
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白い鳥居の神明社へ。
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菅江真澄の道「小浜」…『文化元年(1804)8月26日、小浜の浦に宿をとり、歌を詠む(男鹿の秋風)。「風あらき 浦の小浜の浪枕 うちも寝られず あけむこの夜は」』
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入口付近に宝篋印塔。
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先程の西国三十三所観世音の石碑の隣になります。
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神明社です。
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御祭神は天照大御神。由緒等はわかりませんでした。
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社殿の横に石碑があります。
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太平山など。
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一番右の碑は一部蔦で見えませんが「奉納大乗妙典六十六部経聖」。紀年銘は宝永7年です。
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