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赤神神社五社堂拝殿から999段の石段を上って行きます。
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鬼が積み上げた石段なのでこのような感じです。
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赤神神社五社堂仁王門。
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仁王像。
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石灯籠一対(文政9年)。
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999段の石段は続いていますが長楽寺に寄ります。
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真言宗智山派瑠璃山長楽寺。
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赤神神社五社堂への999段の石段の途中にあります。
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山岳信仰で栄えた寺院。男鹿本山修験の拠点であり、赤神神社の別当で、秋田三十三観音霊場の第26番札所。御本尊薬師如来。
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貞観2年自覚大師により開創。日積寺永禅院の二世慈恵により開山。九ヶ寺四十八坊の堂宇伽藍が建立され営まれていましたが、江戸末期には長楽寺を含む3ヶ寺しかなっかたといいます。薬師如来を御本尊とし、民衆からも篤い信仰を集め、特に中世は安東氏、近世は佐竹氏の庇護が篤く多くの宝物を保有。明治の神仏分離令により五社堂神社と寺院とに分離。日積寺は廃寺。
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長楽寺に保管されている絹本着色、金剛・胎蔵両界曼荼羅(鎌倉時代末期の作)、絹本着色弘法大師像(鎌倉時代末期から室町時代初期の作)、木造薬師如来寄木漆箔座像は秋田県指定有形文化財となっています。木造薬師如来寄木漆箔座像は天正20年につくられた檜材の寄木造の仏像。高さ81.8cmで胎内には「作料檀那館岡大和守康儀 赤神山本堂御本尊 天正廿年 壬九月廿一日作初 亥十一月廿一日作終 本願主 永禅房 権大僧都法印円堯敬白」と墨書銘があります。写真は男鹿市のホームページで見ることができます(平成31年現在)。
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長楽寺縁起…『平安時代後期、貞観2年(860年)比叡山延暦寺の僧、圓仁(第2代管長)この地に来たりて日積寺、永禅院、長楽寺など九ヶ寺四十八坊の堂宇伽藍を建立した。然るに、明治5年神仏分離令が制定され五社堂神社と寺院とに分離され以来、長楽寺は薬師如来を神仏一統の本尊とし多くの信仰をあつめ、特に秋田城之介実季から佐竹公まで七百石を拝領手厚い庇護を受け出羽国秋田最古の霊場として栄えた。また、高僧、圓仁は松島(瑞巌寺)・岩手(毛越寺)・山形に山寺(立石寺)・青森(恐山)・男鹿の本山に永禅院、長楽寺他四十八坊を創建、6年の歳月を経て工事工房完成し比叡山に戻った。佐竹公は、藩の経済を建てる建前から阿仁の金山、八森の銀山、男鹿に大漁祈祷道場を設け、その豊漁と海上路の安全を願い長楽寺を祈祷所と定め毎年1回久保田城を出向、この地門前で祈願祭が行われ、歴代の知事が、昭和16年、第二次大戦まで続いて来られた。藩公寄進の「歓喜天像」は現在も保存され、万民の豊楽、抜苦快楽、諸願成就を願い、毎年1月16日の祈祷には、近隣から沢山の信者が集まる。これら長楽寺の歴史と仏教文化の伝統と更なる発展を願って、この度、壇信徒の支えを得て 平成7年本堂の新築を記念しこの碑を建立す。平成9年8月吉祥日。男鹿本山長楽寺第91世権大僧正坂本義順代。長楽寺檀信徒総代小坂金四郎、外役員一同。』※ちなみにこちらの碑は蓮池、五社堂駐車場付近にあります。
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大僧正授与記念碑(平成20年夏・長楽寺91代貫主義順)。
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灯籠と鐘楼。
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鐘楼。
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梵鐘。
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鐘楼より「鐘楼建立之由」(東京目黒区石川勇吉殿)…『石川氏は男鹿市加茂青砂、三左衛門の子孫にして東京に在住、氏は克く事業を興し日本興運株式会社代表取締役社長として現役せる。常に篤く仏法僧に帰依し先祖累代供養の為と男鹿市民の平和と安穏を祈願し茲に東北地方最大の鐘楼一宇を寄贈された。願わくば當家門繁栄、社運興隆、埀れ賜わらんことを、及至法界平等利益。長楽寺副住職義順謹書』・「高野槙100本記念植樹」…『智積院(京都本山)と高野山参拝。(参拝者名省略)。参拝者一同建立。平成22年11月11日』
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弘法大師壹千百年遠忌記念碑。
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999段の石段に戻ります。
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鳥居。
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長楽寺宝物殿。
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要事前連絡と書いてありましたが開いていました。どうやら平日は要予約のようです。ちなみに有料。本県最古の寺院本堂にある日本美術院特待の佐藤元彦画伯作の帆掛島の襖絵のほか、鎌倉時代以降の絵画や彫刻類を展示。鎌倉・室町時代の「絹本着色金剛胎蔵両界曼陀羅(県指定有形文化財)」も展示されています。
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宝物殿付近の石灯籠。
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ってことで長くなりましたので『五社堂(男鹿市)』へ続く。
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