くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2018年11月

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八戸城跡周辺をさらっと散策。周囲にはおがみ神社、やぶ春や番丁庵などの美味しいお蕎麦屋さんもあります。
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やぶ春。
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番丁庵。
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八戸城角御殿表門。
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標柱。
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寛政4年(1792)、「角(すみ)御殿」と呼ばれていた屋敷地を八戸藩士の煙山覚左衛門が拝領し、同9年(1797)5月に煙山治部右衛門が表門として建立。廃藩置県後は旧八戸藩主の屋敷となり、「南部子爵邸表門」と呼ばれました。昭和52年に雪の重みで道路に倒れ、修復工事を行っていた際に、門の横木に埋納されていた高さ3.6cmの毘沙門天像(博物館に展示)と3枚の棟札が見つかっており、県重宝に指定されています。
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県重宝八戸城角御殿表門…『ここは、寛政年間には角御殿(すみごてん)と呼ばれていた。寛政4年(1792)御者頭(おものがしら)煙山(けむやま)治部右衛門がここに居住し、八戸城にふさわしい門と玄関を建てるよう命ぜられた。門はその5年後に建てられ、その時の棟札が残されているが、資金繰りの苦心談が八戸藩日記にうかがわれる。昭和53年、風雪のため倒壊したとき、毘沙門天像が門の冠木の中央から発見された。像高3.6センチの小さなものであるが、精巧な像で、棟札にも「奉修毘沙門天秘法」とあることから創建時のものであることが知られる。この寛政9年の棟札の他に、嘉永4年(1851)、明治42年(1909)修理の棟札もある。昭和55年、創建当初の形に復原した。門の構造は棟門といわれ、通常は2本の柱の上部を冠木でつなぎ、切妻屋根をのせるものであるが、この門の場合は、4本の柱を一列に並べて冠木でつなぐ大規模なもので、平衡を保つため裏側に2本の支柱を取付けるという特異な構造となっている。昭和57年3月八戸市教育委員会』
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門の中へ。現在は八戸市文化教養センター南部会館になっています。
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保存樹木「ニシキギ」。
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保存樹木「アメリカキササゲ」。樹齢約100年。
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門の外からアメリカキササゲ。
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南部家住宅表門。おがみ神社から眺められる屋敷は、屋根の架かった屋敷塀が廻り、いかにも古い武家屋敷(藩政期は逸見家屋敷。明治に南部に復姓。)の佇まいを見せ、一間半ほど引き込んだ大きな一間の棟門が建っています。屋根を架けるのに垂木を用いず、棟木から出桁へ野地板を流葺にしている板軒と呼ばれる形式はこの地方でよく見られる形式です。この門は売市熊野堂に造られた八戸藩主の別邸である南部田屋(御田屋・現八戸南部氏庭園)の表門を移築したものです。
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二ノ丸(八幡町)標柱。
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『この内丸二・三丁目の一画は、藩政時代の八戸城の二の丸にあたり、藩主一族や重臣の屋敷地であった。現在、本八戸駅に至る道路は本丸との間にあった内堀であった。南(現警察署のところ)から東を回って北側(本八戸駅のところ)には外堀が回り、周囲と区画を分けていた。この二の丸には藩の守護神だった法霊社や祈願所の豊山寺、八幡宮があった。現在内丸と呼ばれているのはこの二の丸と本丸のことである。明治維新から昭和にかけて八幡宮にちなんで「八幡町(はちまんちょう)」と呼ばれた時期もあった。昭和61年3月八戸市教育委員会』
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八戸城本丸内濠之跡(昭和8年12月本丸内濠を本道路に改修。八戸市)標柱。
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かなりひっそりと建っていました。
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明治天皇八戸行在所舊阯(昭和10年4月建設)がある市庁舎前ロータリー。コウヤマキ・エゾノコリンゴ・ヒマラヤスギ(3本)があります。ヒマラヤスギの樹高は南25m・西24.5m・北21.5m、樹齢約80年。コウヤマキは八戸藩重臣の屋敷内にあったものとされ市内最古。樹高25.5m、樹齢約250-300年。エゾノコリンゴは樹高12m、樹齢約250年。いずれもロータリーの景観をより美しく引き立てています。
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地図によると月山神社から直接伝長慶天皇御墓へ行く道がありますが、私は一旦毘沙門堂まで戻ってきました。
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毘沙門堂横にある神水の池。草でちょっと見えにくかったです。
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神水の池…『古くからこの池の周辺はよく清められ、池中には神水を深く湛えていて、参詣人が黙念して「おひねり」を投じ、その吉凶を判断する場所であった。』
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神水の池の横に金剛社。
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金剛社内。大日如来坐像(智拳印・蓮華座・二重円光)。
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毘沙門堂から伝長慶天皇御墓へ向かうには月山神社と反対側の道へ進みます。
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普賢堂。
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想像以上の末社数ですね。すべて参拝する方は相当小銭を持ってきた方がいいかも。
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普賢堂内。
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こちらはくずし字のため平成生まれの私には「塚」しか読めず。
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紀年銘は平成20年5月吉日…平成かいっ!
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伝長慶天皇御墓入口の案内板が見えてきました。
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110mの上り坂です。
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伝長慶天皇御墓。
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伝長慶天皇陵…足利幕府と対立した後醍醐天皇の孫、南朝の長慶天皇の墓と伝えられています。その葬列が始まりとされる天台寺の神輿行列は、本堂の周りを静かに3周するという特殊な形式です。
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ちなみに天皇は譲位後に南朝勢の協力を求めて、各地を潜幸したという伝説があり、全国に御陵伝説地が点在しています。
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伝長慶天皇御墓に月山神社への道がありました。150mのようです。やはりこちらの方が近いですね。
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伝長慶天皇御墓入口の案内板まで下ってきました。先に進みます。
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稲荷社。
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稲荷社内。
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大日堂は標柱のみ。
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蔵王堂。
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蔵王堂内。木造蔵王権現立像。
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天神堂。
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天神堂内。
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一王子堂跡。
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一王子堂跡…『一王子堂については詳らかでない。堂の側面の道路は旧桂清水及び祓川(長流部川)に通じ、別名福岡通り又は裏門ともいう。』
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道は本堂を一周している感じです。
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白山堂。
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白山堂内。棟札(昭和58年5月5日)。
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馬頭観音堂。
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馬頭観音堂内。
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恵比須堂は標柱のみ。
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北白川宮成久王殿下御台臨紀念碑(大正4年9月1日・侯爵西郷従徳謹書)。
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山王社。
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山王社内。ってことで本堂を中心にぐるっと回って鐘楼堂付近まで戻ってきました。
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長きに渡りお読み下さった皆様、ありがとうございました。これでも内容的には結構大雑把に書いたつもりです。ちなみに今回のルートと現在地。
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これまでの記事とその位置。また訪れてみたいお寺でした。
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姥杉の焼跡から毘沙門堂に向かう途中にあった倶利迦羅堂。
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倶利迦羅堂内。
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雷神堂。
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雷神堂内。棟札(昭和51年7月吉日)。
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毘沙門堂。
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毘沙門堂前狛犬一対・石灯籠一対。
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毘沙門堂内左右。
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正面の毘沙門天。
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毘沙門堂前の八幡宮。
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八幡宮内。阿弥陀如来かな。
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月山社鳥居。
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鳥居前の石灯籠一対。
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先が見えませんが、そんなに遠くなかったです。
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見えてきました。
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でかいっ!
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室町時代頃までに、出羽の月山から勧請されてきたものと考えられています。
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現在の社殿は平成4年の再建。
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かつては大勢の修験者がここで修業に励みました。
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月山神社拝殿内。
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修験者によって当時使われていた道が今も社殿の正面に残っています。そういえば仁王門の近くに月山神社参道入口がありましたね。この道は獣道のような細さ、険しさから、過酷な修行の一端が伺えるとのことで…修行したい方はどうぞ。
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石碑。見えにくかったので読んでいません。紀年銘は大正2年11月3日。
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月山神社本殿裏手。
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月山神社から伝長慶天皇御墓に直接行く道もあるようです。
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月山堂跡…『山中の最高所にある。堂前に小形の鰐口を吊し、堂右側には鐘楼も建っていた。明治初年、神社・仏閣に関する制度が改正された際、村社月山神社となり、鐘及び鰐口は別当三光院が管理していたが、御神体も含みいつのまにか紛失したといわれる。』
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神子石(いたこいし)…『昔、巫女が結界を破って当月山に登ろうとし、まさに堂の前に至った時、たちまち腰が動かなくなり、石に化したといわれ、月山の霊験あらたかなものとして語り継がれている。』
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で、月山社の前にはそれらしき石が3つあります…どれが神子石だろう。
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ってことで、遂にラスト『天台寺(岩手県) ~ 其之拾』へ続く…ちなみに今回のルートと現在地。
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