くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2018年06月

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酸ヶ湯温泉・地獄沼の近くです。向かいには東北大学植物園八甲田山文園があります。三十三観音は八甲田のすべての安全を願うために、酸ヶ湯の経営者だった郡場直世らが提唱、賛同されたお客様と共同で付近の自然石を彫って造られました。風化により現在は三十体程となっていますが、今でも酸ヶ湯の従業員が毎年お盆になると供養しているそうです。 
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周囲に石がたくさんありますが、そもそもどこが第一番なのかもわかりませんでした。ぐるっと周りながら山仙鹿内辰五郎頌碑地獄沼の方に進めばいいみたい。
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散策コースになっていますが、火山ガスが噴出しているのか、いずれにせよ硫黄の匂いで気分が悪くなりそうだったので散策は控えました。すいません。
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三十三観音付近では致死量の約8倍の硫化水素が観測されていた頃もあるようなので注意が必要なのです。八甲田のすべての生き物の安全を願うために設置された三十三観音ですが、自分の安全を優先しました。
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ってことで八甲田山ではガスと雪には気を付けましょう。
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三十三観音…『八甲田のすべての生き物の安全を願うために、三十三体の観音像が祀られました。この一帯は、火山活動に伴う水蒸気・硫化水素・亜硫酸ガスなどの噴出がみられ、火山性のガスの影響を直接受けて裸地になっています。硫気の強い部分には、地衣類のイオウゴケが生育しています。注意…登山道の外には火山性ガスの湧出地、急崖地などの危険な場所が存在します。』
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火山現象跡地…『八甲田火山は、110万年前から活動を始め、八甲田カルデラを約40万年前までに形成しました。40万年前以降に八甲田カルデラの南半分で火山活動が繰り返され、八甲田大岳などの成層火山が形成され北八甲田火山群となりました。また、八甲田カルデラの北半分は、カルデラ湖の湿原遷移により田代平湿原となりました。北八甲田火山群は、現在も山の所々から火山ガスを噴出している活火山です。』
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住所的には青森市荒川南荒川山国有林酸ケ湯沢。
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名前は地獄沼ですが、新緑や紅葉の季節には大変美しい沼です。
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近くには三十三観音やまんじゅうふかし(ふかし湯・子宝の湯)があります。
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爆裂火口跡(第四紀八甲田火山の名残り)で、現在も周辺からは硫気ガスが立ちのぼり、沼からは90度の温泉が噴出しているため沼に立ち入ることはできません。
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地獄沼(Jigokunuma Pond)…『八甲田山の火山活動末期(約800年前)の爆発によって、面積4,500㎡の沼(火口湖)が形成されました。沼の中は、魚が生息できない強酸性で90℃の熱湯が毎分2,700㍑湧き出ており、別名、底なし沼と言われています。危険ですので立ち入らないでください。』
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八甲田山です。酸ヶ湯薬師神社は酸ヶ湯のすぐ近くに鎮座しております。
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近くには大岳登山口があります。標柱は「八甲田山神社登山口」。
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「青森県八甲田-山口県秋吉台五千キロ踏破・日本山脈縦走起点」という看板もあります。1960年頃に実施された讀賣新聞社による縦走イベントらしいです。確かに「日本山脈縦走」(1960年・読売新聞社)という本が出版されているようです。東と西からそれぞれ2班に分かれて本州の山々を縦走し富士山を目指したとか。とんでもないイベントですね。このイベントを想像すると登山が楽に感じるかも。
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薬師神社鳥居。
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鳥居脇の石碑「奉納薬師神社」。裏面は笹籔のため未確認。
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参道…っていうか山道。社殿までは1分もかかりません。
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御祭神は大山祇神、木花開耶姫、少名彦名命、薬師瑠璃光如来、小山内才エ門大命。
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扁額は独特な字体です。
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揮毫は薬師寺の太胤元管主。
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御祭神説明板…『【大山祇神】日本古代の山岳の神、水源であり建築材・薪炭の供給源であった山岳を治めた神。民間語で(ヤマズミ)山の神という。【木花開耶姫(ににぎのみことの妃)】火中で三人の子を産んだという神(ホスセリノミコト・ホコホホデミコト・ホカカリノミコトの三人)。後に火山富士の火神として各地にまつらる(安産の神)(子安の神)火山の山神ともいう。【少名彦名命(少名毘古那命)】療養医薬の神(薬王医祖)。病気災害を拂う事を教えた神で病を治す薬等を教え、その法をつくりそのかたわら国造りのオオクヌシノカミの命助けた神という。病気災害【薬師瑠璃光如来(大医王佛)】萬病を治癒し寿命をのばす佛。東方浄瑠璃国(現在の日本国)の教主にして、十二誓願を発し、衆生の病原を救い無名の痼疾を治した佛。【小山内才エ門大命】この大命は横内村の人で猟をして鹿をうったが逃げた鹿の後を追ってきて見たなら、ここでいためた足を湯で治している様子を見てびっくり、そうして発見された温泉で、いわゆる鹿に教わって発見した方である。ここの温泉は最初鹿の湯といい、後分析して酸性である事が分かり酸ヶ湯と改名したもの。』
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貞享元年(1684)、横内村(現青森市内)に住む狩人(マタギ)長内佐ヱ門四郎が田茂萢岳で鹿をしとめそこない、その手負いの鹿を追って雪に染まっている血を辿っていきました。それから3日後に発見しましたが、傷を負っていたはずの鹿があっという間に岩山を駆け上がり逃げ去ってしまいます。不思議に思い、付近を探索したところ温泉が湧いているのを見つけました。その後、その温泉に薬効があることを知り「鹿の湯(鹿湯)」と名づけて小屋を建てて湯治場として利用。その「鹿の湯」がいつしか転訛し「酸ヶ湯」となったと伝えます。なお、『青森の伝説(森山泰太郎・北彰介)』では「酸性硫黄泉で、飲むとたしかにすっぱいが、そんなことではなく、シカをスカと方言のなまりで発音したための変化であろう」と書かれています。長内佐ヱ門四郎は祠を造り、その鹿を祀ったのが酸ヶ湯薬師の由来と云われ、酸ヶ湯温泉旅館では、有名なヒバ千人風呂の浴室にも神棚が安置されており、薬師様が祀られています。
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木花開耶姫かな。左後ろの像はよく見えず。
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こちらは山伏のような木像もしくは大山祇神。隣は薬師如来かな。
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七福神。よく見たら手前に後藤房之助伍長の像らしきものがありますね。
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昔の写真3枚(昭和29年5月頃・昭和32年7月1日白菊會一同、八甲田山大岳頂上全景・昭和29年5月頃当時75歳)が飾られていました。昭和29年は酸ヶ湯温泉が、四万温泉、日光湯元温泉と共に国民保養温泉地第1号に指定された年です。写真の方は酸ヶ湯温泉の鹿内仙人、鹿内辰五郎翁。鹿内辰五郎については『山仙鹿内辰五郎頌碑』の記事を参照ください。
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それにしても昔の方々は軽装ですね。学生は学ラン・学帽で登山ですもの。小学校1年生で友達100人と富士山の頂上でおにぎり食べていたくらいですものね。友達100人つくって100人でおにぎり食べている状況ですから、1人は何らかの理由で頂上に到達できなかったことはさておき…。
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