くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2018年05月

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東京都新宿区内藤。御祭神:藤原鎌足公。相殿神:武甕槌命・経津主命・天児屋根命・姫神・内藤家歴代祖霊。
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社号標・石鳥居(文政6年)など。
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『当社は、江戸初期に初代内藤清成氏が屋敷内の地(現在の新宿御苑)に家祖である藤原鎌足公を祀り、(内藤神社)を草創したことに始まり、また藤原氏の氏神である奈良の春日大社より、経津主神、武甕槌神、天児屋根神、姫神の分霊を勧請合祀してあります。明治19年に新宿御苑の地より現在地へ移設、遷座され今日に至っています。当初は武州多武峯神社と称していましたが、昭和42年5月に多武峯内藤神社に改称されました。』
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手水舎(下がり藤の御神紋)。
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狛犬一対(寛政5年11月15日・石工弥助)。台座下がり藤紋。
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社殿。
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稲荷神社。神額は「稲荷大明神・八幡大菩薩」。狐一対は嘉永元年建立。
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主祭神は倉稲魂神。相殿神として八幡神、大国主神、市杵嶋姫神を祀ります。
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神楽殿。
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社務所。
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駿馬舎。
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木彫の白馬・内藤修理亮清成公の愛馬。
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駿馬塚。文化13年(1816)建立。新宿区登録有形文化財。
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『内藤清成の駿馬の伝説にかかわる石碑である。徳川家康は江戸入府後、家臣の内藤清成を呼び、現在の新宿御苑一帯を示し「馬でひと息に回れるだけの土地を与える」と語ったという。清成の乗った駿馬は、南は千駄ヶ谷、北は大久保、西は代々木、東は四谷を走り、疲れ果て死んでしまったので、大樫の下に埋めたと伝えられる。後に内藤家の森林の管理役となった中家休昌と木下正敷が、文化13年(1816)8月に樫の古木の跡に塚を造り、駿馬塚の碑を建てた。碑はその後、明治5年(1872)9月に現在地に移されたものである。』
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古そうな石燈籠。歴史を感じます。
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鉛筆の碑。
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『この地(多武峯内藤神社西方付近)は、明治20年(1887)に佐賀藩出身の眞崎仁六が眞崎鉛筆製造所(現・三菱鉛筆株式会社)を興し、鉛筆の製造を始めたところです。30年後の大正5年(1916)に品川区東大井に移転するまで、ここで鉛筆製造を行っていました。創業時は玉川上水の分水であり、現在は暗渠となっている渋谷川を利用した水車を動力にして、ここで鉛筆が造られていました。』
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社号標(昭和26年7月16日)。
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手水舎。
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唐松神社。
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神社入口にある保食大神。
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馬の絵馬が奉納されています。
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参道。
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白沢神明社は大館市白沢に鎮座。
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狛犬一対(昭和3年5月)。
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青森市の方が奉納されていました。
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石灯篭一対(昭和17年2月1日・帰還兵一同建立)。
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手水石。
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御祭神は天照大神、武甕槌神、大山祇神、応神天皇、倉稲魂神、伊邪那岐神、伊邪那美神、保食大神。
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創立年代不詳。神明講が昭和10年に創設されています。
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かつては同所山上に鎮座しており、明治3年に現地へ移転。
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明治6年村社、明治45年1月18日無格社八幡神社、相染神社、鹿戸野神社、山神社、稲荷神社、岐美二柱神社合併。大正6年4月18日神饌幣帛料供進神社指定。
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白沢獅子踊りで有名です。白沢獅子踊りは佐竹氏が秋田に転封されたときに伴ってきた人々により伝承されたものの流れをくむとされます。
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御神木。
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末社。
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末社内。
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太平山三吉大神神社(明治44年8月23日)の棟札などがありました。
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こちらの木札は「葺替太平山三吉神社々殿(昭和7年9月13日)」とあります。太平山三吉神社のようです。
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境内からの景色。
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宮城県栗原市築館。芋埣(いもぞね)という地域です。かつては芋曽根とも書き、曽根は石交りの痩地のことをいい、そのような土質から名付けられた地名と考えられます。ギャル曽根が食べても太らないのと一緒です…違う!
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参道は山道といった感じです。
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さほど勾配もないですし、綺麗にされていたのですぐ着きますよ。
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社殿。
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見當(みあたり)神社といいます。芋埣三枚田の次郎衛門という人物が祀られているようです。次郎衛門は毎日権現山の松の木に登り、20年以上という歳月をかけて一迫の清水ヶ袋の鹿島堰から芋埣までの用水路の設計図を描き上げたそうです。山から見えない狐崎へは何日も通い、狐崎次郎という地域や次郎沢という沢も現存します(見當神社の南西)。
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次郎衛門が亡くなった際に当時の殿様がその業績を称えてお宮を建立し、その三枚田家門の神・佐藤次郎衛門を祀った神社が現在の見當神社になっているようです。ただ、この言い伝えからはどうして「見當」なのかはわかりませんね。栗原市立図書館までは行けませんのでこの辺に留めておきます。
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中国獅子といった感じの狛犬一対(平成9年9月19日・佐藤建設)。
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シンプルな神社なので一層インパクトがございます。
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