くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2018年04月

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環七から少し入った路地沿いに鎮座します。「上馬の駒留八幡神社」としてせたがや百景に選定。境内のクロマツは世田谷区名木百選に選定。
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鎌倉時代後期にこの地の領主であった北条左近太郎入道成願の夢の中に現れた八幡様より「祀る場所は愛馬に聞け」とのお告げがあり、愛馬の留まったところに崇敬する八幡宮を造営。地名の由来もここからきているそう。程近い場所に北条左近太郎入道成願開基(分保元年・1317)の八幡山宗円寺(若宮八幡宮の別当寺)もあります。
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境内案内板より…『祭神は天照大神、応神天皇。北条左近太郎入道成願は、当時この地の領主で、あつく八幡大神を崇敬し、徳治3年(1308)社殿を造営し、経筒を納め駒留八幡とあがめたてまつった。その後世田谷城主吉良頼康は、その子の追福のため、八幡宮に一社相殿として祀り若宮八幡と称した。また、その母常盤を弁財天として祀ったのが、厳島神社である。』
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手水舎。
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狛犬一対(明治39年・戦捷記念)。
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神楽殿。
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社殿。御祭神(摂末社含む)は応神天皇、天照皇大神、市杵島姫神、倉稲魂神、菅原道真命、埴山毘売神、国常立尊、大鳥連祖神、事代主神。経塚駒留八幡宮の創建不詳。上馬引澤の鎮守。明治5年村社。明治40年駒留八幡宮に改称。明治42年三軒茶屋(旧中馬引沢村)鎮座の天祖神社と厳島神社を合祀。戦後に駒留八幡神社」に改称。昭和41年社務所、神楽殿、神輿庫等改築。昭和53年宮神輿修復。
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五色の鈴紐。
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蟇股。
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木鼻。
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社殿横にはいくつかの末社。
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厳島神社(常盤弁財天)。周囲には水が無く、また、常盤橋の遺構が残っています。
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常盤伝説(注:諸説あり)…『天文動乱の昔、南関東の覇者世田谷城主7代吉良頼康は重臣奥沢城主大平出羽守の息女常盤の方をこの上なく寵愛していたが、他の側室達の讒訴を信じてゆくりなくこれを退けんとした。常盤の方は早くもこれを察知して城を脱出したが到底逃れがたきを悟り、「君をおきて仇し心はなけれとも浮名とる川沈みはてけり」窈窕美麗たぐいなしとうたわれ鷺草にも比すべき麗人も無実を訴えたこの悲痛な辞世を残してあわれ19才の花の命を胎内の若子諸共に田の面の露と消えはてたのである。後にこれは冤罪であることが明らかとなり頼康は後悔のほぞをかみ、遂に八幡の旧地に若子を相殿として祀る。駒留八幡がこれである。』。常盤は小川に架かる橋(後の常盤橋)にて自害(又は追手により殺害されます)しましたが、妊娠8ヶ月だった常盤の胎児を駒留八幡神社に一社相殿(若宮八幡宮)として祀り、また常盤を弁財天として境内に祀ったということです。
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駒留稲荷神社。昭和始めの区画整理にて三軒茶屋の白井稲荷を合祀。
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横にある石碑には豊受稲荷大明神とありました。
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御嶽社・榛名社・三峯社・菅原社。
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左が榛名社・三峯社・菅原社。
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右が御嶽社。
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女塚社。
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女塚社の横にある石祠には釣竿を失った恵比寿様。
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青面金剛(紀年銘は天和癸亥年十月廿二日)。総高70cm。
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宗円寺開基碑。総高103cm、水鉢付です。紀年銘なし。区画整理の際に現在の場所に移されたものです。
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表忠碑。
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戦没者慰霊殿。
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駒留八幡神社氏子区域内出身殉国軍人慰霊俗氏名。
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私の検索方法・検索ワードが悪いのか、ネットで検索しても情報が多過ぎて、中々神社仏閣のオフィシャルサイト(公式ホームページ)に辿り着けないことが多いのです。

随時更新(リンク切れはあるかも知れません。)

市町村別(順不同)
【青森市】
【弘前市】
青森県護国神社(弘前公園HP内)

【八戸市】
【平川市】

【つがる市】
【十和田市】
十和田神社(十和田湖国立公園協会HP内)

【むつ市】
大安寺

【板柳町】

【中泊町】

鰺ケ沢町】

【深浦町】

【三戸町】
三戸大神宮Twitter)

【おいらせ町】
興雲寺

【大間町】
福蔵寺・普賢院

青森県内曹洞宗寺院】(ポータルサイト)
青森県内日蓮宗寺院】(ポータルサイト)

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最勝院を訪れた際、意外に知られていなかったこの水屋の蘊蓄を語るのが、私の楽しみの一つだったのですが、残念なことに現在は立派な解説文が設置されています笑
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それだけ説明し甲斐のある水屋であるということは、下記でわかるかと思います。
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最勝院水屋の解説…『當院の水屋は平成15年4月22日に行われた国指定重要文化財五重塔への御本尊胎蔵界大日如来奉安の記念堂宇として建立された。この御本尊奉安は五重塔が建立された寛文7年以来のことで、335年目にして2度目の慶事であった。入佛開眼供養式はこの日(旧暦弘法大師正御影供)より数えて21日の間に行われた。供養式と同時に一般公開の御開帳も行われ、その間の参拝者は約3万人を数え、御本尊奉安当日境内はまさに数千人の人で埋め尽くされた。21日間に訪れた参拝者の浄財を基金とし、更に檀徒・信者・一般の方々へ寄進を募った結果大きなうねりとなって水屋建立の浄行が行われることとなった。そして、後世に伝わるものをと五重塔御本尊制作から水屋建立に至るまで、たずさわる者が一丸となって全身全霊を捧げた上に漸く出来あがったものである。形態は津軽産の総ヒバ入母屋造りの壮麗な姿を目指した和様建造物である。台輪上の東西南北四方の中備に鬼を配し天井の梁を支えている。鬼が支える格天井には逆梵字の光明真言が薬研彫にて彫刻されている。水甕は文久元年に制作された旧来のものをそのまま使用し、これまで水屋として使われ続けてきた意義と歴史を大切にしている。水甕への水は特別誂えで蝋型鋳造された龍神より頂いている。四本柱は接ぎ手無しの一尺のものを使用し、内側の敷石には水甕に向けて、寂静なる覚りへの道標として蓮華座を陽刻している。水屋の一角には「輪廻塔」があり、輪廻転生からの解脱による後生の安楽を願う参拝の場ともなっている。水天は水界の主として水をつかさどり、諸龍の王とされる。即ち龍神は水天にお使いであり象徴なのである。その為、この水屋の龍神が持つ金の玉には水天の御真言「オン バロダヤ ソワカ」が陽刻されている。龍は八部衆(天、龍、夜叉、阿修羅、迦楼羅、乾闥婆、緊那羅、摩■(※目+侯)羅伽)の一つとして仏法の守護を担っている。更には、水が我々の生活の中で大変重要なものである為、水への畏怖と尊敬の念と願いを込めて固有の龍神信仰として古来より強く崇められている。水天の使いである龍神より清浄なる御水を頂戴し、神聖さを感じつつお参り頂き、そして願いがかなうようにと特別に制作奉安されたのが當院の龍神「縛魯(※左に「口」)拏龍王」である。その御姿はまさに天へ昇りつめ、天翔るその一瞬を捉えたものである。龍神は、蝋型鋳造された実に精巧なものである。この蝋型鋳造の技法は歴史が古く、制作者の意匠が細密に表現できる特徴がある為、今の世にもその技術が伝承されているのである。原型そのままに制作された龍神の尊像は細密さを極め、特に鱗1枚1枚に作者の指紋がくっきりと浮かび上がっている等、その精巧さには驚かされるばかりである。梵字が彫られている格天井の板の厚さは一寸五分(約4.5cm)。この板にVの字に切り込むように刷毛書きの梵字が印象的に彫られている。この彫り方を薬研彫という。薬研とは薬師が漢方の薬種を粉砕する為の道具のことで、舟形で中が深くVの字にくぼんだ形をしている。薬研彫の名称はここから来ている。薬研彫は鎌倉時代に盛行した技法であり、板碑や石碑に本尊の種字をこの技法で施すのが一般的である。刷毛書きの梵字は真言宗僧侶の澄禪が有名である。刷毛を自由自在に操る事による摩訶不思議な文字文様は見る者に強い印象を与え、真言の奥深さを際だたせるものがある。更にはその刷毛書きの梵字をわざわざ逆さの梵字にして格天井へ彫り込んでいる。逆梵字を直接見上げても、鏡に映したように反転した梵字なのでそのままでは読むことが出来ない。しかし、龍神よりお水を頂く時、水甕の水面には正規な姿を現した梵字が映り込み、読誦することが出来るよう工夫が凝らされているのである。龍神の口より出でる水は激しく水面を乱す為、まずは蓮の葉に水を受け水甕に水を静かに落とし込むことにより水面を乱さぬよう考慮されている。水面には梵字が龍神に向かって右上より「オンアボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン」の順に現れている。これを光明真言と言う。光明真言は大日如来の徳が凝縮された有り難い御真言である。この御真言が天井に配されているのは、水屋が五重塔本尊の胎蔵界大日如来奉安の記念堂宇として建立された為である。この御真言を眼に焼き付け胸にいだきながら本堂の御本尊金剛界大日如来のもとへと、心身共に清らかとなり参拝頂く為でもある。そして、この光明真言の天井の梁を支えているのは四体の鬼達である。鬼達は元々よこしまな鬼、つまり邪鬼であった。邪鬼は正しい教えや言葉に耳を貸さず悪の道に浸りきり、世の中の人を悲しませ、怒らせ、邪悪な快楽の世界へ誘う悪行を繰り返し、困らせ続けてきた。そして、如来は忿怒の形相を示現し明王に姿を変え、教令(如来の教え)に従わせることにより邪鬼達をも迷いの淵から救い出そうと強く強く働きかけたのである。そして、その結果邪鬼達は改心し善鬼として如来の教えを信奉してゆくこととなった。この四体の善鬼達は人の感情を現す「喜怒哀楽」の表情を呈しつつ、仏法を護るべく天井の光明真言を今も渾身の力で必死に支えているのである。この最勝院の鬼達を「護法四善鬼」(喜鬼、怒鬼、哀鬼、楽鬼)と呼ぶ。平成16年甲申年極月吉祥日最勝院第38世法印公彰』
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当時一生懸命調べたのに…より丁寧に全部書かれています笑
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以前の記事:『最勝院五重塔水屋
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