くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2018年01月

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土橋の山乃神神社。
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例大祭は4月12日・9月12日。大正頃まで土橋えんぶりが行われていました。
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参道の両脇には規則正しく杉が植えられています。
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3間4方切妻平入の外陣と1間4方の内陣で構成された社殿。昭和57年4月25日再建。棟札は5枚あり、安永7年・寛政7年・天保15年・安政2年・明治30年。棟札からは安永7年(1778)まで遡ることができ、別当の藤重郎は襲名しています。また、修験者が正光院から大徳院と受け継がれているのが分かります。金石文としては「奉納安政四巳年」「七戸袋町金助」と陽刻した鰐口も残されています。また百万遍の数珠も所蔵。
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社殿内。
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社殿内にあった扁額「山神社」。
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社殿内にあった扁額「山乃神」(昭和17年5月)。
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内御堂の扉が開いたままで、向かって右には権現頭、左に山神像。
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権現頭は昭和61年12月24日に修理されており、黒光りしています。山神像は高さ38.6cmの木彫立像で、右腕を高々と上げ、左腕には何かを持っていたようですが欠損しています。
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鐘楼。かつては向拝にぶら下がっていました。
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狛犬一対(昭和17年旧4月・土橋村中)。
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入口付近にある看板には「200m先」・「1,200m先」とあります。山道を徒歩で200mと1200mではとんでもない違いです!勾配によっては登山とハイキングくらい違います。「1,200m先」の看板は「1200m」ではなく「1、200m」(100~200m)の間違いであると信じて参道を登り始めます。
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道中にはいくつか鳥居があるので迷いません。
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上の方に建物が見えました。どうやら200mだったようで一安心!!
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御祭神は倉稲魂命。
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岩手県神道青年会のHPによりますと、由緒として『明和年中(1764-1772)霊応院様(遠野・南部27代信彦)の御帰依なり。その後安永3年(1774)鳥居・鰐口・御籏御寄進なり。正一位の神位は天明3年(1783)なり。』とありました。
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水神と不動明王。
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狛犬一対。
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水神の場所から更に上ります。
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金華山。
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御神木。
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山神
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社殿。
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社殿内。
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境内案内板より。
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『遠野町の西南にあたる程洞山に鎮座しているので「程洞のお稲荷さん」として親しまれている。中世の遠野領主阿曽沼氏の一族であった宮道義が同家の鎮守として勧請したと伝えられている。境内には烏神という小社があって婦人病に霊験があるといわれ参詣する者が多かった。また境内には杉の老木が多く冷泉があり、眺めもよく避暑地に適している。』
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こちらも境内案内板より。
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『市民に親しまれている程洞のお稲荷さんは、明和2年(1765)に当時の領主阿曽沼氏の一族の宮道義が勧請したと伝えられるもので、祭日は6月9日です。境内に、子宝や腰痛などにご利益があるといまなお信仰されている、巨大なコンセイサマがまつられています。』
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本殿。本殿裏の小道を進んだところに巨石信仰と思わしき高早大明神が祀られているそうです。
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烏神・コンセイサマ。
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中央には熊野牛王符。そして八咫烏がいっぱいおりました。
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奉納されているコンセイサマです。
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種類多し。
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社号標(昭和23年春祭・奉納岩舘春次郎)・玉垣(御鎮座1100年祭記念・奉祈皇國之独立隆昌・昭和28年9月5日奉納)。
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北海道神社参拝詩碑(昭和52年8月23日・北海道神社参拝団)。
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大きな井戸。
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って井戸なのか池なのかはわかりませんが。
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御神水とあります。
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その横にある小祠。
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蛇(竜神)が祀られています。
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腰掛石2基。町指定文化財(昭和55年3月26日)。聖寿寺館(本三戸城)に放火した赤沼備中と、それを追いかけた下斗米昌家がこの場所で戦い、勝敗がつかないまま互いに疲れ果て、腰を下ろして休んだと伝えます。元は諏訪神社の後方、国道(旧八戸街道)を挟んで北側に赤沼石があり、南側に下斗米石があったといわれていますが、いつの頃かここに移されました。二つ並んでおり、大きい方が赤沼石で、小さい方が下斗米石といわれています。
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腰かけの石…『赤沼備中守と下斗米覚左衛門とが合闘したが勝負がつかないので、道端の石に腰をかけてひと休みしてから馬淵川のまん中で決闘した。その時腰をかけた石だと云われている。』
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参道石段。
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石段上にも社号標。
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石段上からの一之鳥居。
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石灯籠一対(文久3年7月27日)。
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諏訪神社は三戸郡南部町玉掛諏訪ノ平に鎮座。諏訪ノ平駅の近くです。
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御祭神は建御名方富命、八坂刃賣命。祭日は9月5日。御利益は国土開拓、武運長久、農業守護。
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南部藩主光行公が甲州から入国に際し、新領開発・藩中安全の守護神として、建久3年(1192)7月27日に諏訪平に創建(もしくは同年長野県の諏訪大社から分霊し、2代の実光が承久3年(1221)に現在の同町諏訪ノ平に祀ったと伝わります。)。以来累代の藩主に篤信されたと伝えます。当地方著名の神社として多くの人々に崇敬され、明治23年4月5日郷社に列せられます。大正12年2月3日幣帛供進神社として指定。神事の供え物は特徴的で、「特別神饌」と呼ばれ、宮司が伝統に則り赤飯や甘酒、焼き魚などを作って供えます。宝永7年(1710)の火災により貴重な史料が失われたものの、特別神饌を盛岡城に届けたとの記録や、その際に用いた木製黒漆塗りのお神酒入れが現在も残ります。また、明治に入って近くの寺が廃止され、その際に檀家を引き受けており、この地域の葬儀で神葬祭が多いのはその名残だと云います。宮司が女性というのも珍しい神社です。
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拝殿内。
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本殿覆屋。
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拝殿前の手水石(明和5年7月21日)。
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「梶」の親木。
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梶の木は神道では神聖な樹木の一つであり、諏訪神社などの神紋や日本の家紋である梶紋の紋様としても描かれています。由来を読んだところ、こちらの木は「梶」と名付けられた木の親木とのことです。
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梶の由来…『雨が降っても われもしないで 腐りもしない 文吾とも 大助とも違う 不思議なことだ 実は とても美しい そしてとても甘い そして実がうむとわれ易いので シソの葉に巻いて梅干にするには一番良い 実が甘いので梅酒には最上である と 諏訪平の佐々木要一郎さんが四十年の間一生懸命に研究しました そして 梅の実に 細かい毛のようなものが沢山生えているのが分かりました これは不思議な梅だ この梅は諏訪様の宅にある三百年も経っている古木の孫木だから御神木であろうというので佐々木さんが 私に この不思議な梅に名前をつけてくれとのことになりました 私は諏訪の大神さまにお願いして諏訪様の御神紋である梶の葉をいただいて梶 という名前をつけることにしました 佐々木さんがとても喜びまして昭和四十九年十一月六日に 諏訪様の御本社である 長野県の諏訪大社に私といっしょに 御礼参りに行ってまいしりました そして この梶の梅のことを 皆さんにお知らせして 諏訪さまの御神徳をお伝いし この梶を地方の名産として普及したいものだと 熱心に働いています このたび 私は 梶の親木である枯木を 私の宅から 神前に移し 梶の由来を記して梶の親木が腐らないように屋根をかけ 記念の碑を造り 末永く御神徳を仰ぎ 梶の実のお陰をいただく人が多くなりますようにと佐々木さんにおたのみして 親木の移転と記念碑を造っていただいた次第であります 昭和51年9月5日第31代諏訪神社宮司石井昌胤 歌詞 諏訪平 佐々木要一郎』
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境内社。
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夫婦稲荷神社です。
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立派な社殿です。
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社殿前には大小二対の狐がいます。
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こちらは諏訪稲荷社。
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本殿横に鎮座。
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裏参道。
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裏参道入口の鳥居。
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社号標。
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「南部藩主祈祷社」。
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狛犬一対(昭和10年11月26日)。
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手水舎(昭和18年9月5日奉納・栗生春次郎)。
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御神木。
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こちらはかつての鳥居でしょうか。よくわかりませんが。紀年銘は昭和17年11月です。
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忠魂碑・招魂碑・祖霊社。
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神楽殿。
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社務所。
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