くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2017年10月

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御祭神は羽山祇命。
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大同2年(807)、坂上田村麻呂が花巻・稗貫地方の蝦夷討伐の際、戦勝祈願の為に羽山山頂に羽山祇命の分霊を勧請し堂宇を建て羽山大権現と尊号したものと伝えますが、別当専蔵院にあった旧記が嘉永2年の火災によって焼失しており、沿革は不明。薬師仏が本地仏としてあり、葉山権現とされていたと考えられています。
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御由来…『当羽山神社の創建は、大同2年皇紀807年征夷大将軍坂上田村麻呂によって花巻稗貫地方の蝦夷討伐の際、戦勝とその鎮護を祈願し羽山祇命(ハヤマツミノミコト)を勧請し堂宇を建て羽山大権現と尊号したものと伝えられています。口碑の伝うる所によれば維新前に於いては村内の産土神たりしは勿論の事、南部藩主湯治の際お立ち寄り御参拝され、更には代々花巻城主の祈願所であり、士籍にある者名家を相続した時は必ず先づ此処に詣で、武運の長久を祈願したと云う。また羽黒山修験の流れをくみ荒沢薬師如来を併祀衆生の病患を救い、無明の疾病を癒すといわれ遠近の人々に篤く崇敬せられた。羽山神社の本宮は御神山羽山頂上にあり里宮はかつて湯本第十八地割(金矢と松山寺の間)にあったが、明治41年当地に移し現在に至っている。尚、旧正月16・17日、別当専蔵院の修行のもとに奇祭蘇民祭が行われていたが、参加者が年々減る傾向の為昭和36年から中止され蘇民袋争奮の勇壮な姿は今は見られない。御祭事:月次祭(毎月17日)、元旦祭(1月1日)、春祈祷(2月11日)、火防祭(御山開、4月第1日曜日)、夏季例祭(7月8日)、秋季例大祭(御山納、9月17日)、大祓並感謝祭(12月17日)』
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羽山神楽(花巻市指定無形民俗文化財)…『羽山神楽は、羽山神社の祭祀神楽として伝承されてきた。度重なる火災により神社の勧請由来や「秘伝許可控」をはじめとする神楽の伝承記録は失われているが、その芸態から見て早池峰・岳神楽の流れを汲むもので、勇壮華麗な舞を特徴とする。神楽の由来を伝えるものとして、端正な筆跡で江戸時代後期に書かれたと見られる詞章本(神楽本)があり、また小田島宮司家(専蔵院)には文政3年(1820)の年記をもつ獅子頭(権現様)に加えて、「隠居権現様」と称され年代不詳ながらより古い様式をとどめる獅子頭が祀られている。地域のシンボル「羽山」が恵み多き作神として人々の篤い信仰を集めてきたことと密接に結びついた、花巻市内でも指折りの伝統と格式を誇る神楽である。◆演目:式舞(表舞)…鶏舞・翁舞・三番叟・八幡舞・山の神舞・岩戸舞。(裏舞)…鶏舞・松迎・裏三番・八幡舞・小山の舞・岩戸舞。(番外舞)…五穀舞・天王舞・鞍馬・鐘巻・天女・高村舞他。(権現舞)◆上演期日…羽山神社の祭礼日、春祈祷、地域の祝事、各種芸能大会等。平成9年11月花巻市教育委員会』
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岩戸開きの舞。
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春日流湯本鹿踊(花巻市指定無形民俗文化財)。
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『鹿踊は、京都六波羅蜜寺の空也上人が山居の祈、猟師の犠牲になった鹿の霊を弔うために、その生態を芸能化したことに始まると伝えられている。こういった説話などから、鹿踊は怨霊鎮魂・精霊供養を祈願する踊りとされている。春日流湯本鹿踊は、東和町落合の春日流鹿踊に師事し、昭和8年に正式に伝承を受けた。現在、一番庭踊、案山子踊など八種の演目が伝えられている。権現型の獅子頭と角をいただき、ササラを頭上高く抜き出した装束に身を包んだ八頭の鹿が、前腰につけた締太鼓を打ち鳴らし、歌を歌いながら勇壮華麗に舞い踊る。花巻温泉とともに、全国にその名を知られている。◇演目…一番庭踊・二番庭踊・案山子踊・お蔵踊・厩踊・屋形踊・露喰踊・綱踊。◇上演時期…羽山神社例大祭(9月17日)の宵宮及び当日、地域の祭事・祝事、各種芸能大祭等。昭和36年7月花巻市教育委員会』
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手水舎。
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狛犬一対。
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御神木。
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拝殿。
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神楽殿。
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社務所。
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境内。
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霊水社。
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『延命長寿無病息災の羽山霊水です。この霊水は手水舎へ注いでおります。』
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弁財天社(通称妙音様)と庚申塔。
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遺族の森碑(昭和37年8月15日)。大東亜戦争の英霊顕彰の碑。
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春日大神の碑。
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境内地譲與記念碑。由緒が書かれています。
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その他様々な石塔群。
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石川方面より。
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八戸市鮫町。御祭神は事代主神。『日本むかしばなし』(鯨石)にも出てくる有名な神社。御神体は佛石(仏石・恵比須石)。拝殿は妻入、千木(外削ぎ)、鰹木5本。文化11年(1814)より毎年旧暦3月15日(現在は5月5日)を大祭と定め、船問屋西村家(山四郎を襲名)が代々管理し、現在も西村家が由緒ある恵比須石を守り、毎年盛大にお祭りを行っているそうです。
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西宮神社には次のような言い伝えがあります。その昔、八戸の鮫浦の海では荒れた日が続いて漁に出ることができなくなり村人の生活は困窮しました。ある日、一人の青年が決死の覚悟で荒れた海原に臨むも、青年は荒波にさらわれて、いよいよ死を覚悟した時に一匹の鯨が現れて彼を救いました。村人は鯨に感謝を捧げ、この鯨を八戸太郎(鮫浦太郎)と呼びました。それ以来、鯨が現れると鰯の大漁が続いたことから、八戸太郎の神恩と称え、海の守り神として崇めました。ある日のこと、八戸太郎は紀州の海で熊野裏の漁師に銛を刺されて傷つき、当社の前の鮫浦の浜に打ち上げられ、そのまま息絶えて石になりました。その石は「鯨石」と呼ばれており、現在も神社の前に祀られています。
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また、八戸藩日記には『元文二年頃、大阪から鮫浦へ入港していた通五郎船の楫取の枕もとへ仏石が現れて、鮫浦の海中から引き上げてほしいと頼んだ。しかし、夢のこととて、彼は気にもかけず出港しようとしたが、恵比須浜に来ると船が動かなくなり、不審に思い、海中を捜したところ、やはり、夢に現れた石があったという。早速取り上げて、手厚く祀ったところ船が動き出した。その年は大漁で、以来この浜を「仏浜」、その石を「仏石」とか「地蔵石」と呼ぶようになった』とあります。八戸藩主八代信真が鮫浦に立ち寄り、地元の元にその名を尋ねると「仏石」と答えました。そこで信真は地蔵というよりは福徳円満な恵比須神に似ているので、「恵比須石」と改名するように命令し、その記念として漢詩を読んでいます。その日から「仏浜」も「恵比須浜」に改名。文政元年3月21日には信真が鯨の大漁を感謝し、恵比須浜へ代参を派遣して青銅30疋を奉納したという記録も残っています。信者たちは、恵比須石にオセンダクを着せ、頭巾をかぶせ、大漁豊漁の神として釣竿を担がせています。
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西宮神社由来碑。
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西宮神社の由来…『恵比須石:八戸藩史料によれば、昔この地を佛ヶ浜と呼び、人々が佛石を祀り信仰していました。文化元年3月15日(1804年)八代藩主南部信眞公が、この石の形は事代主命像によく似ているので、今後、恵比須石、恵比須浜と呼ぶようにと仰せられ、改名され、爾来西宮神社御祭神として今日に至っております。【夷(エビス)石の詩(南部信眞)】「名を夷石と改む東海の辺り 神徳の由来萬福を伝う 限り無き春の光に櫂歌の響 魚舟商船幾艫か連る」。【鯨石】昔鮫の沖に、毎年姿を現わす鯨がおりました。その時は浜で鰯の大量が続きましたので、「八戸太郎」と名づけられ海の神様のお使いとして崇められていました。その鯨が熊野灘で鈷を打たれ、ようやく鮫の海岸にたどり着き、息絶えて、そのまま石になったと語り伝えられています。それが神社の前に横たわる鯨石です。平成10年4月吉日』
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狛犬一対(平成4年5月吉日)。
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鯨碑。
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恵比須様。
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境内にたくさんの石・石塔(読み取れず)があります。
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拝殿前の鯨石。
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確かに鯨の形をしています。
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山神社。
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神社前の風景。
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蕪島も見えます。
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