くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2017年09月

イメージ 8
三戸町大字斗内字清水田。天明の大飢饉(天明3-4年卯辰)では当地方でも多くの餓死者が出ました。4年秋には同地は豊作となりましたが不仕付が多く、道路傍や山野にも無数の死者が放置されていました。
イメージ 9
斗内の林泉寺の檀家頭であった栗谷川藤右衛門はこの無縁仏を哀れみ、せめて首だけでも葬りたいと、翌5年に林泉寺のそばの丘に首塚を立てました。 4つの塚に葬られた首の数は1千といわれ、やがて千人塚と呼ばれるようになり、同7年まで3か年にわたり寒夜30日の百万遍供養をしました。
イメージ 10
墳丘4基は盛土。正直、千人の塚があるのかと思っていました。
イメージ 11
写真ではわかりにくいですね。くれぐれも踏まないようにね。
イメージ 12
供養碑。供養塔・台座は石造。
イメージ 1
供養碑正面には「天明五巳天十月廿五日卯辰飢死渇亡無縁塔」、裏面には「林泉寺七世胤龍代沖田面施主栗谷川藤右衛門石切惣右衛門」の銘文。
イメージ 6
イメージ 7
右側面には「天下泰平國家安全五穀成就無病」、左側面には「國界安寧兵革銷風調雨順民康樂」といったように天下泰平と民の幸福を願う字句が刻まれています。
イメージ 4
イメージ 5
斗内千人塚(県重要文化財・昭和63年1月16日・史跡(塚4基、供養碑))…『ここは、「天明の大飢饉」で亡くなった人々を供養したところです。天明3年(1783)は稀にみる寒冷の年で、作物がほとんど実らず全国的な凶作となりました。食糧不足から飢饉となり、このために疫病が蔓延するなど、領内は多くの死者であふれたと言います。遺体は埋葬もされず、道端のあちこちには骨が転がり、村は荒れ果てていきました。この惨状を哀れんだ斗内の林泉寺檀頭栗谷川藤右衛門は、せめて頭骨だけでも弔いたいと思い、首一つ(死者ひとり)につき24文払うことを条件に、遺骨を集めさせます。集められた遺骨は四つの塚に納められ、傍らに石碑が建立されました。天明5年、曹洞宗普門山林泉寺の胤龍和尚が導師となって、餓死者たちの供養が行われました。現在も、地域住民による供養が続けられています。平成27年三戸町教育委員会』
イメージ 3
供養碑に刻まれた文字。
イメージ 2
イメージ 3
イメージ 2

イメージ 2
三戸郡三戸町斗内寺牛。曹洞宗普門山林泉寺。法光寺末。近くには白旗神社斗内千人塚があります。
イメージ 1
御本尊は釈迦牟尼仏。
イメージ 3
法光寺12世でもあった当寺第1世風山慶門大和尚が貞享元年(1684)に現在地から約1キロ離れた斗内田畑に厳木山林泉寺を建立。第7世月泉吟峰大和尚の安永3年(1774)2月に現在地に移転。
イメージ 4
一説によりますと、その寺は火事で焼失したともいわれ、焼失した当時の住職は、人一倍小豆が好きで、いつも小豆ばかり食べていたので村人から「あずき坊主」と呼ばれていたそう。ある日、いつものように小豆を煮ていましたが、他の用事をしているうちに出火し、寺を焼いてしまったと語り伝えられています。しかし、天明元年(1781)第7世月泉吟峰大和尚が秋田県小豆沢の吉祥院に転出しているため、そこから小豆話がでたのではないかとも伝えます。
イメージ 5
イメージ 6
地蔵尊。
イメージ 8
おそうじ地蔵。
イメージ 7
水子地蔵尊。
イメージ 9
聖観世音菩薩。
イメージ 10
聖観世音菩薩。
イメージ 11
平成元年10月18日林泉寺本堂新築記念・16世奥瀬啓道代。
イメージ 12
延命地蔵尊。
イメージ 13
林泉寺本堂新築記念碑…『普門山林泉寺は元禄年間に法光寺十二世風山慶門大和尚開山し法統連綿、禅風恢弘して年あり、降て安永三年高間舘田畑より此の地に移転し当寺七世吟峰代に本堂を再建し今日に到りし處、腐蝕老朽甚だしく、又趨勢を鑑み、檀信徒斉しく新築の望みを同じうして願を発せり、依而幾度か協議を重ね、満場の合意を得て、未だ曾てない多額の御寄付を仰ぎ、相共に、東奔西走、良材を鳩め、又、良工を撰定し、境内隣地を購ない、工事に着手し、日夜督励し、以て平成元年八月、面目一新、一大伽藍の竣成をみる、感激何ぞ堪えん。浄域山を負い、陽位に面く清川を抱き、村落を俯瞰するの佳境なり、曉昏の鐘磬必ず人心をして醒覚せしめ、佛法興隆の佑啓とならん。平成五年九月吉日本寺老大和尚を拝請し、近隣寺院、法類全檀信徒、相集い、開山忌、先住忌、晋山落慶の大法要を営む。斯に檀信徒及び、十万有縁の篤志者に衷心より感謝し、併せて御芳名を録して後昆に遺す。当山十六世代圓通啓道合掌。平成五年九月十八日。(以下總代役員氏名・世話人氏名・寄付者氏名は省略)』
イメージ 14
子持ち石(子宝石)。
イメージ 15
子々孫々子宝に恵まれますように…
イメージ 16
イメージ 3
イメージ 2

イメージ 1
三戸町斗内寺牛に鎮座。すぐ近くに林泉寺斗内千人塚があります。一の鳥居脇にあった社号標。ここから少し歩きます。
イメージ 2
二之鳥居。
イメージ 3
参道石段。
イメージ 4
狛犬一対(日露戦役紀念・明治38年)。
イメージ 5
イメージ 6
県無形民俗文化財の斗内獅子舞が行われます。旧暦正月16日に白旗神社と修験良覚坊の墓前で獅子舞を奉納後、集落の各家を門打ちしたり、新築祝いに頼まれて家固めもします。山伏神楽に共通する演目で、権現舞・式舞(番楽・鳥舞・三番叟)、神舞(三宝荒神・薬師舞など)、曲技舞(杵舞・剣舞・傘舞・盆舞)があり、道行きの祓い芸能「七つ道具」では、太刀、長刀、杵など七種の採り物を振り舞いながら進みます。これは秋の三戸祭の神輿に随行。囃子は笛・太鼓・手平鉦・ほら貝。
イメージ 7
江戸時代初期、盛岡南部領聖護院派山伏と羽黒派山伏を支配した三戸斗内黒滝不動別当の修験威徳院が、その宗教的な支配地域を祈祷して回らせるために、白旗権現(現白旗神社)別当の修験良覚坊を中心に編成した山伏神楽。
イメージ 8
社殿内。
イメージ 9
奥州糠部三十三観音参拝記念(昭和63年5月吉日)。
イメージ 10
その他絵馬など。
イメージ 11
イメージ 12
イメージ 13
末社。
イメージ 14
イメージ 15
イメージ 3
イメージ 2

↑このページのトップヘ