くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2017年09月

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私が思っていたほどの変化はありませんでした。
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よって特にコメントはありません。
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強いて言うならば、大きな変化はこの新築分譲マンションと
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ツルハドラッグくらいですかね。
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「穴守稲荷」と聞くと「稲森いずみ」を思い浮かべます…というどうでもいい余談から其之弐のスタートです。さて、穴守稲荷神社には末社がたくさんあります。
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穴守稲荷神社奥之宮鳥居。
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大雨の時にこの鳥居は助かりますね。
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昔の鳥居はもっと凄い数で、本当に参道は傘いらずで歩けたそうです。
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石灯籠一対。
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奥之宮。有名な招福砂はここで頂けます。
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「老人が漁に出て魚を釣り上げて魚篭に入れたが、中を見ると湿った砂があるだけだった。翌日も翌々日も大漁となるも、篭をみるとやはり湿った砂があるばかりであった。老人はいぶかしく思い、村人たちにこのことを話すと、村人たちはこれを狐の仕業として稲荷神社を取り囲み、一匹の狐を捕まえる。しかし、老人は狐を許してそれを解き放った。それ以降、老人が漁にでると必ず大漁となり、篭には多くの魚とわずかばかりの湿った砂が残るようになった。老人が砂を持ち帰って家の庭にまいたところ、客が途切れることなく訪れるようになり、老人は富を得た。そのため、穴守の砂には招福のご利益があるとされ、今も多くの参拝者を集めている。」(wikipediaより)
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招福砂の由緒…『このお砂をいただき、家運繁栄あるいは清めのお砂として撒かれますと人の心を和め祓いと導きのある徳、即ち神福が授り商売繁昌、家内安全、心の願いが叶えられる招福の砂として広く稱えられております。』
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開運稲荷神社鳥居。
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石灯籠一対(一基破損)。
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開運稲荷神社。
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狐の種類も様々ですね。
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出世稲荷神社鳥居。
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石灯籠一対。
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出世稲荷神社。
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繁栄稲荷大明神鳥居。
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繁栄稲荷大明神。
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必勝稲荷社。
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必勝稲荷社横の奉納記念碑(読み取れず)。
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築山稲荷神社鳥居。
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石灯籠。
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築山稲荷神社。
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大雨だったので写真は撮ってませんが、奥之宮の反対(裏)側にまで築山があり、その先(本殿裏)は築山への細い登り道となっており、福徳稲荷社、幸稲荷社、末廣稲荷社、御嶽神社(頂上に鎮座)などがあります。所謂御室(狐穴)かと思ったのですが富士塚っぽいです。でも羽田神社の富士塚の説明に「大田区唯一の富士塚」とあるから富士塚とはまた違うんでしょうね。
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狐塚社。
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このように小さな末社がたくさんありますが、どれも凄いです…狐の数が…。
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飛龍明神碑。
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社務所・御祈祷受付所。
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祓所。
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神楽殿。
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神輿庫。
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納札所。
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御神木。
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参道正面の鳥居にあった石碑。
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他にもいっぱい見所があるかと思います。何度も言いますが、今回は大雨だったのでじっくり見ていません。実は2度目の参詣ですが、2度ともゆっくりできていません(雨が降っていない駅前の写真は以前のもの)。傘を手放せなくて御守すら買う気が起こりませんでした。稲荷様!恵みの雨をありがとう!3度目行くぞー!(ノ゚ο゚)ノ オオオオォォォォォォ-!
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穴守稲荷駅(京急電鉄)。
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駅を出るといきなり鳥居です。
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個人的には鳥居の向こうに見える「はねだぷりん(手造りぷりん)羽月」「炭火焼やきとり倶楽部」に参拝したい気持ちでいっぱいです。我慢我慢!
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鳥居の手前では「コンちゃん」という狐が出迎えてくれます。
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駅から神社までは数分で着きますが、稲荷橋や大鳥居などに寄り道しながら穴守稲荷神社へ向かいました。
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穴守稲荷神社の入口は正面、左右と3ヶ所ありました。
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全部くぐる私。
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こちらの看板は境内案内図ではありませんが、この絵を見れば入口3ヶ所がわかりやすいですね。
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っていうかこの絵の築山の完成図が凄いですね。
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本当にこうなるのかな。怖くて登れないよ。
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穴守稲荷神社御遷座50年記念事業「参道整備」敷石境石奉納者芳名。
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行事案内。年間分かと思ったら毎月きちんと書いているんですね。
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社殿正面。
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手水舎。
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手水舎木鼻。
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手水石。
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灯明台(川口穴守稲荷講・灯明料100円)。大雨だったのでやめておきました。
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石灯籠一対。
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凛々しい狐様一対(昭和39年6月吉日補建)。
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穴守稲荷神社の御祭神は豊受姫命。
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文化元年頃、鈴木新田(東京国際空港内)開墾の際に、沿岸の堤防がしばしば激浪のために害を被り、ある日堤防の腹部に大穴を生じて海水が侵入。そこで文政元年頃、村民相謀り堤上に稲荷大神を勧請したところ神霊の御加護によって風浪の害なく五穀豊穣したといいます。「風浪が作りし穴の害より田畑を守り給う稲荷大神」と神徳を称え、穴守稲荷神社となりました。江戸時代には「穴守」という名前が「穴を(性病から)守る」に通じると考えられて、遊女達の信仰を集めたといいます。明治、大正、昭和時代に最も隆昌に至り、崇敬者は国内は勿論遠く海外にも及びました。昭和20年8月、敗戦という未曽有の大混乱の中、米軍による羽田空港拡張の為、従来の鎮座地(東京国際空港内)より48時間以内の強制退去を命ぜられます。同年9月に地元崇敬者有志による熱意の奉仕によって境内地700坪が寄進され、仮社殿を復興再建し現在地に遷座。それ以来、崇敬者各位の協力により、社殿・奥宮・神楽殿・社務所・展示場・神輿庫・納札所等復興し、目下境内整備を実施中にて、漸次昔の面影を取り戻しつつあります。
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本殿。
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長くなったので、『穴守稲荷神社 ~ 其之弐(東京都大田区)』へ続く…
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