くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2017年04月

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日蓮宗行方山妙安寺。旧本山は池上本門寺、池上芳師法縁。斎藤氏館跡(斎藤政賢)に鎮座。
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「六郷領新宿村行方山妙安寺12世日深」。
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永禄年間に円光院妙安尼が夫の行方修理亮義安討死後、兄の斉藤政賢の屋敷内に開創した庵室が起源。
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天正17年(1589)池上本門寺、妙本寺両山12世仏寿院日現が玄首院日建を勧請開山として寺に改めました。
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明治初年の神仏分離の際、蒲田八幡宮の八幡神像を妙安寺の七面堂に移して毎年1月に八幡講が行われていました。
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この像は寺伝によると、右手に軍配、左手に経巻を持つ僧形で、日現が古川薬師安養寺との法論に勝利したことを記念し仁王像と共に持ち帰り、論破の証左として軍配を持たしめたといいます。
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昭和20年(1945)東京大空襲で諸堂焼失。八幡神像も焼失したことにより八幡講は廃止されました。
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妙安尼供養塔(大田区文化財・昭和49年2月2日指定)…『宝篋印塔、高さ124cm。御北条氏の被官人、当地の地頭行方修理亮義安の室、妙安尼の供養塔である。妙安尼は、義安の死後この地の豪族、兄斉藤政賢の屋敷内に庵を結び、池上本門寺12世日現に帰依し、天正17年(1589)に没した。その後この庵室が妙安寺となった。この供養塔は、台石の銘文により寛永20年(1643)に造立されたと考えられる。』
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日蓮聖人坐像(大田区文化財・昭和49年2月2日指定)。
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『桧材寄木造、彩色、玉眼。像高36.7cm。台座の裏に、慶長17年(1612)石井新右衛門尉の発願によって造立された旨の墨書銘がある。この周辺に石井姓は多いが、石井新右衛門尉については明らかでない。後年修理塗替えが施されている。在銘の祖師像として、本区では池上本門寺祖師像に次ぐ古いものである。』
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道沿い(岩木川沿い)にあった小野忠造翁頌徳之碑。裏面碑文…『小野忠造翁は幼名を竹次郎と呼び安政2年1月5日父小野七右衛門の4男として三好村鶴ヶ岡に生れ昭和2年2月6日齢70有3歳にして長逝さるその生涯波瀾重疂數奇な運命を辿りつつ該博な識見と不撓不屈の精神を以て郷土開發に志し光萢種井萢の開墾並に十川の築堤と岩木川改修により郷土農民積年の憂たる水魔の災害根絶に身命を捧ぐその努力が報いられ遂に上司の手によりその實現を見るに至り今や三好の里も美田と化し岩木川沿岸の農民またその恩恵に浴す翁逝いて20有餘年茲に治水の恩人翁の徳望と偉大なる業績を永遠に景仰せんため頌徳之碑を建立するに當り深き感銘を以て之を記す 昭和24年8月9日建立』
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小野忠造翁頌徳之碑の隣りには「故力士」という碑があり、たくさんの名前が彫られていました。
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裏面には「昭和24年旧7月15日藻川渡場より移動」とあります。
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近くにあった鳥居と木。
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かつての鳥居はもう少し大きかったみたい。
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庚申塔です。
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紀年銘は明治・大正。
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石灯籠と狛犬も一対ずつありました。
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狛犬の紀年銘は昭和26年旧4月○○日。
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御祭神は伊邪那岐尊、もしくは伊邪那美命・熊野速玉神・家津美御子神の三柱とも伝えます。
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万治元年(1658)もしくは万治2年旧9月9日勧請と伝えます。元治元年再建。明治6年4月村社。
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半漁半農の村であったため、海上安全を願って熊野大権現として崇敬。 悪病の流行して村が全滅の危機に直面した際に、村人が日夜参拝したために事なきを得たの云い伝えあります。昔から神主はおらず、野辺地神明宮で兼務し、後に野辺地八幡宮で兼務。
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毎年正月に悪病払いの神事として人形祭が行われていたそうですが現在はないようです。月例祭(ツキマツリ)、正月の宮参りとカドウチ、秋の例大祭クニチがあります。
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熊野神社には獅子頭が祀られており、行事の際にその舞が奉納されます。
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現社殿は昭和59年9月改築。
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社号標「熊野社」(明治16年4月吉日)。
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一之鳥居再建紀年銘(平成14年4月吉日)。
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灯籠一対(昭和60年9月吉日)。
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石灯籠一対(昭和15年10月9日)。
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狛犬一対(昭和9年正月9日・馬門村中建立)。
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台座の一番下に「カメダサカン」(亀田左官工業)の文字。
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手水舎。
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神威如天碑(大正12年4月9日)。
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社殿改築工事記念之碑(昭和59年8月15日竣工)。
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社殿横の建物。
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向拝。
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中には馬頭観音の大きな幟がありました。この馬頭観音は明治以前は遍照寺で祀られていたもので、カバタ横浜家の水車小屋を経て、大正2、3年にここへ移され、大正10年に祠が建てられました。
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社殿横の建物は不明。ちなみに事前の調べでは境内には稲荷様と蒼前様が祀られるとあり、蒼前様は上記馬頭観音かと考えられますが、稲荷様(昭和42、43年に熊谷儀三郎家で祀っていた京都伏見稲荷)についてはわかりませんでした。
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