くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2017年03月

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浄土真宗大谷派本竜山西光寺。
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本尊阿弥陀如来。
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天正年間(1573-1592)に飯田願正(釈浄玄。越前国出身の元武士。)が草庵を結んだのが始まりとされ、慶長18年(1613)京都東本願寺の末寺として認められ開山。教如上人から浄玄と西光寺の号を受けます。田中津右衛門が西光寺建立に際して金15両を寄進。
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本堂は天保13年(1842)の火災で焼失、天保14年再建、嘉永4年(1851)再建。
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県天然記念物(平成23年8月19日指定)のシダレザクラ(推定樹齢250年以上、樹高4.5m、根周り3m)。青森県屈指の古木で平成6年に野辺地町指定天然記念物に指定、平成23年に青森県指定天然記念物に指定。
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廻船問屋を営んでいた野坂家の当主勘左衛門が延享2年(1745)に大坂から取り寄せて植樹したものと伝えます。花が咲かなくなった時があり、当時の住職が伐採しようとしたところ、桜の精霊が住職の夢枕に立ち、来年には再び花を咲かせるので木を伐らないようにと哀願。翌年からまた花を咲かせるようになったという言い伝えが残っており、明治時代にこの地を訪れ、その話を聞いた大塚松洲(岩手県一関の人)が漢詩を残しています。
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「題本龍山西光寺畔桜」(本龍山西光寺畔の桜に題す)
老桜元是有因縁(老桜元是れ因縁有り)
百年免得樵翁斧(百年免れ得たり樵翁の斧)
春風千枝爛漫時(春風千枝爛漫の時)
幽香偏向仏前吐(幽香偏に仏前向かって吐く)
但怕鐘磬声相振(但怕る鐘磬声相ひ振るい)
清浄境裏動花神(清浄境裏花神を動かすを)
通訳:西光寺の枝垂桜の老樹は、樵の斧によって切り倒されることなく、百年の樹齢を重ねてきたが、これも何かの因縁によるものであろう。春風にうながされて花が咲きそろい、ほのかな香りが仏前にただよってくる。釣鐘や磬の音が境内に響き渡れば、花の精も、はっと夢からさめることだ。(八戸工業高等専門学校名誉教授四戸俊一)
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案内板より…『シダレザクラ(枝垂桜)は、エドヒガンの一品種で別名イトザクラとも言う。この桜は長寿の木として知られ、西光寺のシダレザクラも長年の風雪に耐え、毎年春には多くの花をつけて風情のある姿は人々に親しまれてきた。シダレザクラの本来の自生地ではない本県で、樹齢200年を超えるものは極めて少なく貴重である。(以下上記と同文のため省略)』
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シダレザクラの横の松。
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っていうかどの木も立派!
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石灯籠(平成20年5月吉日)。
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鐘楼。
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浄土宗福聚山海中寺。
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大泉寺の末寺。本尊阿弥陀如来。
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ふ、ふかいです!
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海中寺は慶長2年(1597)に開かれ、元は馬門村の海辺にありましたが、海触により延宝2年(1674)に下町に移転建立。文政6年再建。
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北前船の廻船問屋とも繋がりが強く、弘化2年に橘屋吉五郎(讃岐国塩飽島の船主、浜町の常夜燈も寄進。)が手水石を寄進。
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本尊の木彫阿弥陀如来像(像高3尺の木像・昭和33年青森県重宝指定)は鎌倉時代に制作されたと推定。
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伝承によりますと文化14年に海中寺が火災で焼失し本尊も粉塵に帰しましたが、檀家である石松氏が伊勢参りの際に大阪の伝光寺を訪れると霊夢に阿弥陀菩薩が立ち、自らを海中寺の本尊にするように諭したそうで、伝光寺の住職も快く快諾し道場にあった阿弥陀如来像を背負って野辺地まで運んだと伝えられているそうです。
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本尊阿弥陀如来は3月19日-25日、11月6日-15日に公開されているそうです(事前予約必要。日にちも一応ご確認下さい)。
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延命・子安地蔵堂。
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稲荷宮。
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鐘楼堂…鐘楼なし…修理中かな。
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墓所の方にあった手水鉢と観音像。
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手水鉢の龍がいい感じ。
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水が出てなかったけど。
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曹洞宗日照山常光寺。
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報恩寺(盛岡市)末寺。
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寛永9年(1632)日戸内膳の開基と伝えます。
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野辺地城時代に城主であった日戸内膳行秀の菩提寺となり境内には墓碑が建立されています。天保元年に延命地蔵尊が建立されています。
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石川啄木は岩手県盛岡市にある常光寺が生誕の地であり、野辺地の常光寺には伯父である葛原対月和尚が住職だったこともあり、3度も野辺地を訪れているそうです(明治37年時19歳・明治39年時21歳・明治40年時22歳)。
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花鳥号碑。
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花鳥号碑(野辺地町指定有形文化財)…『明治9年(1876)の明治天皇奥羽御巡幸で、御料馬「花鳥」は7月13日に野辺地の行在所に到着すると同時に斃死し、翌日早く、行在所に隣接しているこの常光寺に葬られました。白布四反を馬体なりに縫って包んで埋めたと言います。この花鳥をたたえ、その死をとむらう石碑が宮内省により送られ埋葬地に建てられたのは明治11年のことです。石碑の銘文は、明治期を代表する漢詩人・書家である長三洲(廿+火・ひかる)による漢詩と書です。三洲筆の習字本は小学校の教科書として使用されていました。明治天皇の全国各地への御巡幸は明治新政府が行った重要な政策の一つですが、その足跡を伝える貴重な石碑です。なお、愛宕公園には昭和4年(1929)に建てられた花鳥号の等身大の銅像があります。』
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石灯籠。
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石灯籠一対(天保4年4月3日)。
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三十三観音。
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六地蔵。
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