くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2017年02月

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青森市橋本に鎮座。
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浦町神明宮由緒(案内板より)…『浦町神明宮は青森浦町元伊勢という所に鎮座して青森町神明宮と呼んでいたが寛永3丙寅年(西暦1626年)伊勢三日市七太夫が当地に罷り下ったとき大神宮御榊御神璽を御下されたのが創建と伝えられています。御祭神天照大御神。例祭日毎月16日月次祭・1月朔日元旦祭・6月15日前夜祭・6月16日例大祭』
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社号標。
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明治百年記念・昭和43年10月吉日・敬神会建立。
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庚申塔。7つの石塔があります。
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※下記の()内説明は案内板によるものです…6つの石塔の説明がありました…1つ足りません。
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猿賀山大権現(寺町石工・松田屋玉吉、兼平巳之吉)、猿田彦大神(弘化3丙午年8月7日・裏に「講中」の2字あり)、猿田彦大神(明治10甲庚旧閏5月17日・講中秋村勘兵衛、秋村万兵衛、秋村佐助、窪田忠太、久保金作、中村甚三郎、関五助、秋村茂助、中村倉吉)。猿田彦大神。山神(原子岩次郎)。岩木山(昭和2年8月16日平井留吉)。猿田彦大神(明治43年8月15日・浦町久保田万エ門四代目立之)。
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社務所。
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手水舎(明治45年旧6月16日)。
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狛犬一対(昭和56年6月16日・浦町神明宮敬神會)。
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石灯籠一対(昭和43年10月吉日・敬神会、明治百年記念)。
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狛犬一対(昭和26年9月15日)。
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社殿。
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社殿内。
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草創不詳。
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寛永3年に伊勢三日市七太夫が当地に罷り下ったとき、伊勢太神宮の御神璽と御榊を御下されたのが創建と伝えられています。その頃、青森開港の最中により浦町勘解由という者にお預けになり浦町村元伊勢に奉祀。
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このように元は青森浦町元伊勢に鎮座していたわけですが、寛永20年に青森繁栄のため柳町へ遷宮(現浜町神明宮)。しかし浦町町民は元伊勢の場所打捨て難く、神明宮社司柿崎兵庫太夫大隅はじめ浦町町民の嘆願により享和2年再興。
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明治6年村社。明治41年神饌幣帛料供進社に指定。昭和20年の戦災にて、本殿・拝殿・社務所・祭器庫の何れも焼失。昭和39年に浦町氏子中の熱心な篤志により現社殿を近代的及び不燃質の鉄筋コンクリート造として新築復興。
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岩木山大神。
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石塔湯殿山(木食行者 鉄門上人 文政10年10月 裏面信仰中)。
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案内板より…『この石塔は、直指庵より移転したものである。直指庵とは、元禄14(1701)黒石法眼寺の竜峰和尚が隠居寺として浦町(現在の平和公園付近)の5500平方㍍の広大な敷地に作った庵寺のことです。六世住職(真明)の時、明治4年10月29日、凄惨な強盗事件が発生し、その後、この庵寺は衰退していった。明治24年、東北本線が開通、この敷地は浦町停車場用地に買い上げられたため浜田玉川へ移転した。現在の直指山、見性寺はこの庵寺の生れかわりです。』
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龍神宮。
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初代小原流青森支部長竹浪一昌先生顕彰碑…『明治中期小原雲心宗匠は投入盛花という新しい華道形式を創立され、小原流、今日の礎を開かれました。竹浪一昌先生はその形式を大正初期に逸早く本県に導入せられました。当時他流には新華道形式がなく諸流の先生方をも対象に普及に努められ、また子女の情操教育にと学校、会社、等々に出張教授をなされ、その薫陶をうけられた方は数えきれません。今日の本県に於ける、小原流、隆盛の基を築かれ、同時に華道の発展に多大の盡力を致されました。その功績により昭和36年11月3日第3回青森県文化賞を受賞なされました。先生の大きな足跡を称え、これを後世に伝えたく、この度門下並に有志一同相図り顕彰碑を建立致しました。昭和55年9月23日小原流一昌会有志一同』
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浦町神明宮再建記念碑…『当浦町神明宮は天照大神を御祀り申し上げ寛永三年此の地に祠堂を建て神璽を安置してより実に三百三十八年になります。此の間浦町の氏子は産土の大神として朝な夕な嚴かに奉仕して國家の安穏五穀の豊穣家内の安全隆昌を祈って参りました。鎮座ましましてこのかた氏子はもとより近郷近在者老若男女の深い信仰をあつめ社殿また壮嚴清雅当市においても屈指の神社でありました。然るに惜しむべし昭和二十年七月二十八日夜の戦火を受けて焼失し以後長く仮社殿のまま最近に至ったのであります。此の度氏子崇敬者各位の御協力のもとに社殿を復興して威容を整え以って広大無辺の御神徳にこたえ奉る決意を致し着々準備を進め昨三十八年十月ようやく着工本日茲に竣工をみるに至りました。こえ偏に関係者各位の献身的奉仕の賜と深く感謝致すものであります。仍ってここに記念の碑を建て再建にあたって物心両面にわたり特に御盡力下された方々の芳名を刻みその勞に報いると共にこれを後世に伝える縁にしたいと思うものであります。昭和三十九年七月二十二日浦町神明宮敬神会会長横山実』
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社殿裏にあった使われていない小祠。
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御祭神は天照大神。
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草創は延宝3年(1675)。かつての惣染堂で、安田安右衛門により下安田村に牛馬安全のため勧請。天明年中に安田村へ移転。境内の権現様由来によると昭和3年に近野321より現在地の近野118ノ2に移転。
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青森県神社庁HPによりますと草創年不詳、延宝3年勧請、享保13年安田村中にて再興。青森平野の西部丘陵上に鎮座し、安政2年神社書上帳によりますと、江戸期には惣染堂とも呼ばれ、明治6年村社、明治41年 神饌幣帛料供進社に指定。
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手水舎(昭和59年8月12日)と手水石(昭和58年8月16日)。
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石灯篭二対(明治19年・昭和11年)。
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こちらの建物は不明。倉庫っぽい。
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御神馬(昭和29年旧8月16日・昭和29年5月3日青森市・大野村合併記念)。
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建物が立派。上部に鳥居が付いてるし。
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狛犬一対。
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台座「昭和40年7月16日、函館市、鈴木繁太郎・仝節」
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拝殿。
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向拝神額。
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本殿。
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招魂堂。
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忠魂碑。
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裏面紀年銘…「明治44年7月3日」。
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馬頭観音堂。
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権現様。
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権現様の由来…『安田神明宮が昭和3年に近野321(旧神明宮跡地)より現在地の近野118ノ2に移転された当時、この地には既に権現様が安置されていました。(明治の末か大正の初めに建立された様だとの事を聞く)信心深い人々の信仰をうけておりましたが、昭和37・8年頃、権現様の御神体が何者かに盗まれ津軽海峡を越え北海道方面に持ち去られたと言う風聞があります。これを嘆いた信仰心の厚い、風晴たよ氏、三橋ナサ氏の両名は御神体をおさめるべく、発起人となり権現様の再興を志し、信奉と信仰心の厚い人々と誘い合わせ奉賛を得て、大野山下地区の石橋技術工芸師による、頭が獅子、尾は竜の新しい権現様をつくり、昭和39年頃安田神明宮へ鎮座させました。この権現様は高い山より見下ろし、悪病悪人を防ぎ、信仰する人々の幸せと併せて五穀豊穣を守護する神であります。その後、風晴たよ氏と三橋ナサ氏の両名は再び、権現様本殿建立に奔走、多くの信仰者の協力、協賛を得て昭和41・2年に宮大工棟梁、風晴徳英氏が精魂を込め大工技能を存分に発揮した本殿を当時15万円の費用を以て建立しました。(棟梁は平成14年7月百歳で天寿全うす)権現様再建に力を尽くした、発起人の風晴たよ氏は平成6年12月22日、83歳を以て、また三橋ナサ氏は平成7年12月31日、80歳を以て共に天寿を全うされております。両名が約30年に及ぶ永い間、権現様に尽力された功績並に鎮守の神々に寄与された功績は誠に大なるものがあります。茲に権現様に対する今後の管理運営について、三上喜栄氏より規約議案が提示され、役員会を開催、平成8年8月31日付けで役員21名を選任、安田権現様の会が結成されました。権現様の御縁日は毎月旧暦14日と定められました。尚、左記の品を奉納致しました。幟3本・提灯2個・紫巾1式・座布団1枚・袢天10枚・しごき10本。今後共、町民各位におかれまして権現様を神明宮の守護の神々と併せてご信奉、ご参礼拝賜りますよう謹んでお願い申し上げます。平成14年8月22日(旧7月14日)安田権現様之会。会長風晴かほる・企画葛西喜美。追記…平成12年7月3日、有志一同(15名)権現様(御神体)並びに前記奉納品を弘前市愛宕山橋雲寺に参拝し、祈祷していただいて参りました。』
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猿田彦大神碑など。
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猿田彦大神の紀年銘は天保14年9月20日。他の2基は判読不能。
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「神明宮」と彫られた碑。
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昭和21年9月16日安田村中。
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日露戦役紀年「天照皇大神宮」碑。
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明治40年旧4月16日建立。
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柴田貞二の「義鑒」碑(昭和9年11月大野村建之)。
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碑文…『柴田君諱貞二東津軽郡大野村之碑人以明治四十一年五月生於其家君為人謹巌実直不啻勤精家業又常致力於公益是以為鄰里所敬愛偶昭和九年甲戌二月二十三日為衆従事於改修村道於細越館地内鋭意採掘土砂誰謂為雪崩所襲忽而逝行年二十有七豈可勝於悽戚乎雖然君殉公誠心與大野村倶伸於無窮頃者有志胥謀経村會決議擇貞珉勒其徳以埀於後昆云爾』
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神社前の風景。高台にあるのがわかります。
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神社の横は墓所になっています。
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聖観世音菩薩石像。
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身代地蔵堂。
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扁額には「安田山身代地蔵堂・昭和54年8月15日・入竺沙門比丘 徳明書」とありました。
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地蔵堂の横にあった百萬遍(昭和6年安田村中)。
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十和田市深持後平。集落の産土神社。
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晴山獅子舞(市指定文化財)で有名です。
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社殿内。両脇には晴山獅子舞の獅子頭がありました。
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桂水大明神碑(獅子舞一同奉納)。
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石灯篭一対(昭和51年9月3日)。
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晴山気比神社の裏手に桂水があります。
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一段下がった桂の根元から水が湧いています。
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結構水が湧き出ていました。
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小祠が2つあります。
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1つは鏡、1つは空っぽでした。
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私たちの名水(指定昭和62年2月27日)桂水大明神の水…『天正の頃(1573-1592)岩手県上閉伊郡米田村からの行者が修業の途中病いにかかった。苦しみもがえて桂の根元から湧き出る水を飲んだところ、不思議と病いが治り命をとりとめここに住み着いたといわれる。それ以来「医者じい」と呼ばれる人が住みつき「桂水」をもとに薬をつくり、近在の人々を病気から救っていたといわれ、現在でも観音様としてまつられている。当時、人家もなかったこの地域が柱の根元からこんこんと湧き出る水が身体によい秘薬だといわれるようになってから、徐々に人々が住むようになり現在地の桂は樹齢400年といわれる。また、この周囲にはゴヨウマツやサワラの切り株も400年をかぞえる。今日の晴山集落は桂水が元で、その頃から人々が住むようになったといっていいだろう。勿論、桂水は近年まで全戸の大切な飲料水で村人の感謝の気持ちは、「桂水大明神」の社を建立することによってまつられている。なお、現在では水量が5分の1程に減っているが、健康のためにと水を飲みに訪れる人が多くいる。昭和63年3月25日十和田市』
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