くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2016年12月

イメージ 1
詳細は以前の記事も参照ください。
イメージ 2
イメージ 3
案内地図。
イメージ 4
赤倉霊場案内略図。
イメージ 5
大石神社(下宮)からの地図。
イメージ 6
以前は無かった鳥居。
イメージ 7
鳥居の昇龍&降龍。
イメージ 8
イメージ 9
平成26年8月5日(旧7月10日)奉納。
イメージ 10
イメージ 11
かっこいいですね。
イメージ 12
鳥居を潜って行きます。
イメージ 13
イメージ 14
参道両脇には記念碑や石灯篭もたくさんございます。
イメージ 15
イメージ 16
イメージ 17
イメージ 18
イメージ 19
イメージ 20
イメージ 21
一基崩壊していました。
イメージ 22
小さな池。
イメージ 23
水子観世音堂。
イメージ 25
イメージ 24
大石神社の湧水。
イメージ 26
大変人気の水ですが、珍しく人がいませんでした。
イメージ 27
瀬織津姫かな。
イメージ 28
龍神御鎮座所と大石川。
イメージ 29
川の水がありませんでした。
イメージ 30
近くにあった石。
イメージ 31
面白い形をしていますが何なのかは不明。
イメージ 32
社殿。
イメージ 33
イメージ 34
社殿前に色々あります。
イメージ 35
古い石灯篭や扇形の手水鉢。
イメージ 36
イメージ 37
こちらの観音像の石版には「教岳院台丸谷教全」とあります。
イメージ 38
こちらは馬頭観世音でしょうか。馬に跨っています。
イメージ 39
狛犬一対。
イメージ 40
イメージ 41
イメージ 42
イメージ 43
台座…『須藤三右エ門』『慶應元年七月十日』
イメージ 44
イメージ 45
台座より…『この「こまいぬ」は、二代目須藤三右門が孫衛士が生まれた時病弱な為、無病息災を祈願して慶応元年旧七月十日に奉納したものである。右の通り証明し奉納する。平成九年八月十二日(旧七月十日)(1997年)六代須藤賢一70才・七代長男公基49才・八大公輔22才。参考[系図](生年月日)初代須藤山三郎(不明)・二代三右門(文政14年8月15日)・三代代次郎(天保12年4月7日)・四代衛士(慶応元年5月5日)・五代昌義(明治29年3月31日)・六代賢一(昭和2年4月28日)・七代公基(昭和23年10月25日)・八代公輔(昭和50年9月19日)以上』
イメージ 46
向拝下。
イメージ 47
絵馬。
イメージ 48
イメージ 49
拝殿にはたくさんの絵馬が奉納されており、子授け安産の神、縁結びの神、農耕神や牛馬の守護神、竜神、水神としても信仰されており、住民の生活に密接に関わってきたと考えられます。
イメージ 50
社殿横の建物。恐らく神楽殿。額束の紀年銘は昭和39年8月9日。
イメージ 51
社殿横にあるたくさんの厩。
イメージ 52
イメージ 53
この馬に乗って淡島神(女性に関するあらゆることに霊験のある神)がやってくるのでしょう。
イメージ 54
イメージ 55
イメージ 56
本殿。
イメージ 57
本殿前狛犬一対。ピントずれてる。
イメージ 58
イメージ 59
昭和59年度厄年者による奉納。紀年銘は同年4月3日。
イメージ 60
石造の獅子頭(4月8日)。
イメージ 61
本殿裏手にある磐座。千曳岩。千引大明神。古事記では黄泉国には出入口が存在し、黄泉比良坂といい、葦原中国と繋がっているとされるます。伊邪那岐命は亡くなった妻の伊邪那美命を追ってこの道を通り、黄泉国に入ります。変わり果てた伊邪那美命の姿を目撃した伊邪那岐命が、黄泉国から逃げ帰る場面において、追いすがる妻や手下の黄泉の醜女たちを退けるため、最後に黄泉路を塞いだ大石を道反大神といいますが、この大石は千人の力でしか動かせない千曳岩であり、これをもって悪霊の出入りを禁じました。このことから大石神社(千曳岩)は霊界である赤倉の入口、岩木山登拝口の赤倉山霊界に鎮座した境界石(番人石)とも捉えることができそうです。
イメージ 62
本殿横の石祠。
イメージ 63
御神木の五本杉。
イメージ 64
イメージ 65
何やら不思議な形をした松があります。
イメージ 66
行ってみましょう。
イメージ 67
一本の枝だけが不思議な形をしております。金精神…いや、不思議な形の枝です!
イメージ 68
枝の周囲には毛のように枯木が絡まり、枝の下には銀の鈴が二つ付けられています。この二つの鈴を鳴らしてお参りするようです。
イメージ 69
どの角度から見ても不思議な形をしています。
イメージ 70
木の下には不思議な形をした賽銭箱もあります。
イメージ 71
紀年銘は平成24年旧7月10日です。
イメージ 72
大石神社からの眺望。
イメージ 73
イメージ 74
イメージ 3
イメージ 2

イメージ 46
大鳥居と大鳥居改修記念碑(創業80周年記念・昭和36年5月)。ここからそこそこ距離があります(歩ける距離です)。
イメージ 45
別名「天神七座神社」「七座山天神宮」。当地方の受験の神様として有名。
イメージ 44
御祭神は國常立尊、國狭槌尊、豊斟渟尊、伊奘諾尊、伊奘冉尊、菅原道眞尊。
イメージ 42
イメージ 43
今から約1300年前の斉明天皇4年(658)、阿倍比羅夫が水軍を率い、蝦夷征伐のためこの地まで赴きました。この軍に対し、齶田(アギタ)・渟代(ヌシロ)・肉入籠(シシリコ)の蝦夷は「私たちは弓矢を持っていても決して敵対するものではない。齶田の浦神(七座山天神宮)に誓って申し上げる」と許しを乞いました。首長である恩荷(オガ)のこの言葉に、比羅夫は彼等の降伏を認め、馳走してねぎらい、七座神社には船一艘と五色の綵帛を奉納し、この地域の平和と発展を祈願したと云います(日本書紀)。
イメージ 40
イメージ 41
また、天正18年に豊臣秀吉が北條氏を討ち果した際、故あって織田信雄公が秋田に流されました。その時、家臣浜田与衛門が主君のため一心に七座天神宮に祈願してその御加護によって無事帰ることができたと伝えられています。藩主佐竹公もまた、代々七座神社を信奉し、巡国のたびに詣で、掛軸や刀剣類を奉納し、社殿の造営にも多額の募財を献じています。
イメージ 39
天明8年(1788)、古川古松軒は七座神社を訪れ神社の縁起を聞き『東遊雑記』にその内容を記録しており、当時の別当は「斉明天皇が開基で、それ以外に由緒は知らない」と答えたそう。七座神社は七座山を祀っていましたが、古川古松軒はこの態度に「昔は神と言っても、古墳や山や海を祀っていたことは古書に記されているが、今では社などを美々しく建設し仏教を真似て祀っている。昔は明鏡を信仰の対象としていても、今ではそれに納得せず色々飾り物を並べて、不思議を信じるものなのに、この別当の態度は殊勝だ」と書いています。
イメージ 38
大正13年(1924)には、坊沢村の神明社司官の長男で、坊沢小学校校長、水沢小学校校長、宮城県師範学校教諭、陸軍幼年学校教授、帝国女子専門学校主幹等を歴任した嶺脇及多が七座神社の社司となり社殿の建築を行ないました。明治15年県社。例祭日は5月8日。
イメージ 36
イメージ 37
手水舎。
イメージ 35
社務所。
イメージ 34
神楽殿。
イメージ 33
石灯篭三対(順に昭和14年5月・昭和33年11月8日・■■4年■月21日)。
イメージ 26
イメージ 27
イメージ 28
イメージ 29
イメージ 30
イメージ 31
イメージ 32
狛犬一対。
イメージ 20
イメージ 21
イメージ 22
イメージ 23
イメージ 24
イメージ 25
七座神社と米代川を挟んだ対岸には七座山があります。境内から米代川原に通ずる石段を上り下りしての参拝だったのは、阿倍比羅夫が船を繋いだという故事によるものであり、今なおその古ぼけた43段のきだはしは信心の篤い崇敬者の参道となっています。
イメージ 19
七座には三湖伝説が残されており、七座神社の七座山に向かっている鳥居付近から米代川を眺めると、川の中に巨石があり、これが八郎太郎が投げた石だという伝承が残っています。八郎太郎はこの地でダムを造り住んでいましたが、神々が八郎を追い出そうとして白鼠をつかわしたという。鼠は土手に穴を掘り始めたがこの鼠を襲おうと猫たちが集まってきたので、神々は猫をつないでこれを防ぎました。そのため昔はこの地を猫繋といったそう。後に短くなり小繋になったと云います。小繋には禁鼠大明神の祠があり、七座神社で鼠除けの札をわけているのもここからきています。
イメージ 17
イメージ 18
七座神社境内林(指定昭和62年4月1日)…『七座神社、斉明天皇4年(658年)阿倍比羅夫の来航やそれ以前の伝承を持つ古社で、祭神は天神七代、のちに菅原道真を祀る。江戸時代には領主佐竹氏の崇敬を受けた。米代川に沿って七座山と相対し、境内にはうっそうとした林が形成されている。この境内林には大木(樹木)類30科48種、草本類39科126種が生育しており、クロビイタヤ、オオメシタモドキ、エゾエノキ、フジカンゾウなど分布上注目すべき植物が含まれているほか、樹齢200年というフジ、樹齢300年以上のオンコ、樹齢500年を超えるケヤキは二ツ井町の古木名木に選ばれている。平地において貴重なものが多いことから、保護すべき文化財であるとして昭和62年4月1日旧二ツ井町の天然記念物に指定された。平成25年10月1日能代市教育委員会』
イメージ 16
境内林の樹木。
イメージ 12
イメージ 13
イメージ 14
イメージ 15
記念碑に立て掛けてあった「三湖物語 八郎太郎伝説の地 七座天神」標柱。
イメージ 11
『十和田湖や鹿角で敗れた八郎太郎は、安住の場をこの地に求め、米代川を堰き止めたが、これに反対する天神様との力くらべに負け、川を下って立ち去った。川を堰き止めた堤は、天神様の使いである白ネズミが穴をあけて破った。このとき猫をつないだ所をコツナギ(小繋)という。』
イメージ 10
不明の石祠。
イメージ 7
イメージ 8
イメージ 9
七座山石鳥居寄附人名碑。
イメージ 6
こちらは破損した地蔵様…
イメージ 5
ほとんど首なし(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
イメージ 4
忠魂碑。
イメージ 3
慰霊碑(昭和36年3月8日・天神地区遺族一同建立)。
イメージ 2
七座山神社碑。
イメージ 1
イメージ 3
イメージ 2

イメージ 40
南部藩創建、上北八幡宮・七戸新舘八幡宮こと新舘神社。新舘八幡神社流鏑馬は大変有名なもので、昭和41年まで行われていたそう。幕末期に流鏑馬神事に参加する者は当八幡様で禊をし、八戸の櫛引八幡宮に参拝してから乗馬したと伝えます。また、宝暦年間に刻まれた権現様が伝わり、神楽舞も継承されています。なお、青岩寺の仁王像は明治6年に神仏分離によって新舘八幡宮から移したものです。
イメージ 41
正治元年創建。源頼朝の臣、南部光行が藤原征討の功により糠部五郡を加封され三戸に城を築き、三男の三郎朝清を七戸に配置。朝清は正治元年に糠部滝沢から八幡神形を七戸に遷座。当時の名称は七戸八幡宮。以後、歴代七戸藩主の崇敬を受け、数次にわたる社殿修復等の棟札及び古文書等が残されています。徳川時代には、北辺警備の要衝七戸城を巡察する盛岡南部藩主が当神社に奉幣して鎮護の祈願をするのを恒例としており、その歳の古文書及び奉納された武具等が現存しているそうです。明治6年村社。明治14年郷社。明治34年に新嘗祭新穀献納が許されており、新栗が宮内省に献納されました。
イメージ 42
境内案内板より…『●一、創建…当神社の創建は正治元年(西暦1199年)といわれています。南部藩の祖、南部三郎光行が藤原征討の功績により南部地方を鎌倉幕府から許され、その三男南部三郎朝清を七戸に配置した。その朝清が甲州南部庄から、八幡宮を此の地に遷座したのが当神社の創祀とされています。●二、御祭神…御祭神は誉田別尊といわれる第15代応神天皇をおまつりしています。応神天皇は古代日本を全国統一された後、各地を巡り農業、畜産、工業を指導奨励された天皇として知られています。●三、御神徳…農業、産業、畜産の隆盛。商売繁盛、家内安全、交通安全、厄除、安産、病気平癒、学業成就、大願成就。●四、例祭…毎年9月15日例大祭。』
イメージ 43
石灯籠一対(安政3年8月15日)。
イメージ 44
イメージ 45
イメージ 46
石灯籠一対。
イメージ 47
イメージ 48
白石号(昭和7年5月15日建立。生産者白石松太郎)。
イメージ 49
新舘財産區記念碑(昭和40年4月)。
イメージ 50
裏面に新舘財産区の由縁が彫られています。読んでいません。すいません。
イメージ 51
手水舎。
イメージ 52
嘉永元年8月15日。
イメージ 53
狛犬一対。
イメージ 54
イメージ 55
イメージ 56
イメージ 57
紀年銘は安政3年8月15日で、最初の石灯籠と同日です。
イメージ 58
社殿横にも入口があります。
イメージ 59
なかなか趣のある鳥居で、石灯籠も両脇にあります。もしかして元の一之鳥居かな。
イメージ 60
イメージ 61
石灯籠一対(文化8年8月15日)。
イメージ 36
イメージ 37
イメージ 38
イメージ 39
征清凱旋紀念碑(明治29年旧8月15日)。
イメージ 35
うん?よく見るとこちらの社殿横の鳥居のちょうど向かいにも、更に社殿らしき建物がありました。むしろそのための入口に感じます。
イメージ 34
裏に回ってみました。
イメージ 33
穴から中を覗いてみると眩しいくらいに輝く観音様や不動明王。
イメージ 32
大変立派なものでした。
イメージ 31
両脇には狛犬までおられます。
イメージ 29
イメージ 30
戻りまして…
イメージ 28
社殿横の立派な建物。神楽殿でしょうか。
イメージ 27
社殿。
イメージ 25
イメージ 26
向拝神額。
イメージ 24
唐破風。
イメージ 23
唐破風懸魚。
イメージ 22
蟇股。
イメージ 21
木鼻。
イメージ 17
イメージ 18
イメージ 19
イメージ 20
拝殿の脇障子。
イメージ 15
イメージ 16
拝殿内。
イメージ 14
色々と奉納されていました。
イメージ 10
イメージ 11
イメージ 12
イメージ 13
本殿。
イメージ 9
本殿裏の森の中にあった鳥居と祠。
イメージ 8
馬頭観音(蒼前様)でしょうか。
イメージ 7
中には愛嬌のある赤い馬。
イメージ 6
その近くにあるイチョウ(天然記念物)。
イメージ 4
イメージ 5
『幹周囲9.2m。樹高約30m。樹齢800年(推定)。所有者新館節郎。新舘神社の創建は、鎌倉時代初期正治元年(1199年)と伝えられる。このいちょうは、おそらく天狗杉(現在、町歴史民俗資料館で保存)と同時代に植えられたと思われるが、由来等については定かではない。以前は、気根が大きく垂れさがり「子安いちょう」「乳もらいの木」として母乳不足の婦人達から広く信仰された時代もあった。いちょうは寿命が長く縁起がよいところから「町の木」として指定されている。平成8年11月1日東北町教育委員会』
イメージ 3
近くで見たら結構でかいっ!樹齢800年だもんね。
イメージ 1
イメージ 2
イメージ 3
イメージ 2

↑このページのトップヘ