くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2016年12月

十和田市深持長下。何も書かれていない&貼られていない掲示板みたいのが気になり、その裏に回ってみたら鳥居がありました。気比神社&桂水大明神のすぐ近くです。 白龍大権現大神。 由緒等はわかりませんでした。中には不思議な石が祀られています。顔のようにも見えます ...

小さい社です。 蟇股や木鼻はなかなか立派でした。 境内に転がっていた石。恐らく「昭和8年6月」。何かはわからず。 その他にも石がゴロゴロ。由緒によると最初は石で塚を造ったそうなので、その名残りかも知れません。 松巳稲荷の由来…う~ん下部分がほぼ消えてます… ...

上北郡東北町大浦中久根下。小川原駅・小川原郵便局の付近。 由緒等は不明。新山神社(新山大権現)なのかな。 蟇股。十拳剣を持って八岐大蛇(八俣遠呂智)を退治する須佐之男命?に見えます。やっぱり漢字は違えど新山神社かも。 木鼻。 海老虹梁と手挟。 社殿内。 ...

北浜川児童遊園内にある坂本龍馬像。 浜川砲台跡から敷石の一部が発見されたことを記念し、平成16年に高知市から寄贈され(強化プラスチック製)、その後平成21年に新たにブロンズ像の龍馬像が建てられたようです。つまり二代目龍馬像。 一応現代版と比較してみる。 立会 ...

濱川総鎮守。 由緒…『祭神:天照大御神・豊受大神・建御名方神。天祖諏訪の両社は江戸時代から此の地の鎮守とし神威昭々郷土の発展と共に今日にいたりました。昭和36年1月氏子各位の要望により天祖神社諏訪神社御改築奉賛会が設立せられ新社殿を建立し昭和40年11月1日両社 ...

津軽忠臣之碑を目指します。目印はこの手書き看板(津軽忠臣之碑(六羽川の戦い)五百米先・右側)のみ。住所的は平川市高畑高田。 しばらく歩いて行くと途中に彌佐堰工事記念碑がありました。 竣工昭和27年5月1日。結構古いものですね。 彌佐堰工事記念碑の少し先を右に ...

野辺地の総鎮守。 参道。 参道の石燈籠一対(平成6年9月15日・還暦報賽・第13代宮司林全造)。 見応えのある石燈籠でした。 参道の狛犬一対(昭和12年9月15日)。 更に参道を進みまして… 鳥居。 社務所。 野辺地八幡宮です。 広い境内ですね。 石燈籠 ...

品川区立北浜川児童遊園内の小高い場所に鎮座しております(むしろ境内に公園があると言うべきかも)。旧松平土佐守下屋敷の海岸寄りの地。かつては北浜川の鎮守諏訪神社(寛永8年以前の創建)が鎮座していたそうですが、諏訪神社は南浜川の鎮守天祖神社に合祀されて天祖諏 ...

長木川南に鎮座。長木川は大館市を西流する川で、炭塚森・東股山に源を発した大川目沢と支根刈沢が合流し、鯰沢と合して長木川となります。更に深沢川・小雪沢川・大茂内沢などを合わせて大館市を貫流し下内川に合流。川名は天然の秋田スギに由来。 唐破風懸魚の竜。 扁額 ...

『御祭神天照大神。例祭日7月16日(前夜祭7月15日)。由緒沿革…草創年不詳。寛永3年(1626年)、伊勢三日市七太夫と申す人が当地へ下ったとき、伊勢太新宮の御神璽と御榊を御下しになり、浦町村の勘解由という者に預け、それを浦町村元伊勢に奉祀。寛永20年(1643年)、津 ...

元禄10年(1697)津軽4代藩主信政公が勧請した津軽四社(郡内四社・藩中四社)の紹介です。祈雨祈晴・五穀豊穣・領内安全の祈願所。藩主の崇敬が非常に厚く、神事は厳かに行われ、藩内社家頭小野若狭(八幡宮宮司)が藩主の命を奉じ、藩主又は家老に随伴し、途中行列美々し ...

元禄10年(1697)津軽4代藩主信政が勧請した津軽四社。祈雨祈晴・五穀豊穣・領内安全の祈願所。藩中四社・郡内四社などとも呼ばれています。その四社とは広瀬大明神・龍田大明神・加茂大明神・貴船大明神のこと。吉川惟足から吉川神道の奥義を授けられ、神道に精通している ...

岩手県遠野市小友町。遠野七観音(山谷観音・松崎観音・平倉観音・鞍迫観音・宮守観音・山崎観音・笹谷観音)の第一番札所。十一面観音像を安置。 入口付近に石塔がいっぱい。馬頭観世音や金毘羅大権現等の石塔。 駐車場に車を置いて歩いて行きます。 「おく山や はち ...

旧三厩村文化財指定「藤の木」一株の標柱。 横には菅江真澄の句があります…「春は咲く花の姿を寄る波に見せてぞかかる浦の藤島」 参道途中に地蔵菩薩の堂宇。 堂内。 地蔵菩薩。 藤の木前の赤い鳥居と木製の鳥居… かと思ったら鳥居ではなく支柱でした! 何かもう… ...

天空橋駅前にある人道橋。 天空橋…『平成5年(1993)、東京国際空港の沖合展開によって、京浜急行空港線が延伸されました。それに伴い、海老取川の対岸に空港線と東京モノレールが接続する羽田駅が開設しました。海老取川の西側(現在地)には昭和31年(1956)開設以来、 ...

社号標(昭和11年旧8月10日)。 鳥居神額(大正4年8月10日)。 微妙に曲がっている参道が気になります。 宝永2年(1705)に弘前藩斎藤武兵衛(庄屋。斉藤左馬之助の孫)が新田開発のため勧請。 以後八重田村中にて再建。 村の東端を流れる掘替川(掘川)は、 功績を偲んで ...

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