くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2016年05月

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阿闍羅山から岩木山。
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再訪です。
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堂標(大正元年8月17日)。
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元和9年(1623)頃、十一面観音堂と呼ばれていましたが、その後観音堂となり、明治5年の神仏整理で末社もみな廃堂となり解体。復活再建年は不明ですが、石仏の近くに明治40年建立の石燈籠(現存せず)があったことからそれ以前の復活と考えられています。なお、昭和初期の鳥居が三基あったそうですが現存していません。
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明治3年3月の神仏混淆神社調査に長利帯刀社司は「八幡宮と末社神明宮は残し、観音菩薩堂は明神宮に改称し、末社も祇園宮(牛頭天王堂)と稲荷宮として残す」と報告されています。
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末社。
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地蔵堂。
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大変綺麗に祀られており崇敬の篤さを伺えます。バナナは真っ黒だったけど。
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新しい石燈籠一対。台座は古いものです。
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社殿前にかつての石燈籠と思わしきものがありました。
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石仏。
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聖観世音。
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板碑三基。右は元水入りの寺屋敷跡にあったもの。種子アク。嘉元の頃のもの。中央は西信逆修の板碑。種子アー。左は八幡館の阿部氏の敷石となっていたもの。種子不明。
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入口にある板碑一基。種子アー。「右志者為高慈父十三年徳治二年九月日」と見えます。西信が父の13年忌に追善供養した板碑と考えられています。
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板碑の裏側に倒れて放置されているいくつかの石には、色々と文字が彫られていましたが、すべで破損しているため何なのかは不明です。
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神明宮といえば…弘前市下湯口の神明宮のアクセスが増えています…巖鬼山神社も…アニメ「ふらいんぐうぃっち」の人気恐るべし!笑
さて、こちらは平川市高畑の神明宮。再訪です。由緒等は以前の記事を参照してください。
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社号標は「御大典記念。昭和3年7月16日、吹上・高畑村中。」
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参道。
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高畑城跡標柱…『築城年代は不詳。大光寺城南備の砦で、元亀(1570~)の頃は平岡惣右衛門盛影が城主であったが、乳井大隅建清に攻略された。その後、南部勢が大挙してこの城を攻撃したが、遂に落城しなかった。この城は、三郭から成っていたという説もあるが判然とせず、今は北方の堀跡に面影を留めるのみである。』
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参道鳥居。
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手水舎。
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拝殿正面。石燈籠一対。
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拝殿正面。御神馬(昭和32年旧9月)と狛犬一対(明治32年7月16日)。
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拝殿。
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向拝下。
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このタイプは見たことないかも(笑)
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本殿。
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扉も開いており、状態があまり良くありませんね。
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本殿の懸魚(ないけど)の上辺り…
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怖っ!
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本殿横の建物。不明。
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本殿横にあった石碑。
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どうやらかつての石燈籠のようです。
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こちらの建物は不明。
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庚申塔。
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日露戦役紀年碑。
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馬頭観世音。
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社殿横に小さな狛犬がいました。
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筆塚。
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裏面の文字ははっきりと読み取れますが、平仮名部分が私の苦手な崩し字だったので読みませんし、読めません。読みたい方は現地へ。冒頭は「権大僧都福泉院即洞法印は…」から始まります。紀年銘は慶應4年3月25日。總門弟等建立。
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