くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2016年04月

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食べ過ぎ
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飲み過ぎ
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胃のもたれ
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写真目的ではなかったのでこのくらいで。
桜のハート探しがブームらしい。美味しいものならいっぱい見つけたよ。
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どんなに小さな情報でもいいそうです。
情報提供、情報拡散。
是非とも御協力をお願い申し上げます。

西谷壮平さんの投稿(Facebook)
英語による投稿(Translated into English)
中国語による投稿 (Translated into Chinese)
西谷壮平さん(Twitter)

拡張型心筋症
腎不全
血液透析
心腎同時移植

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掃部山公園紅葉坂入口。
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『江戸時代まで、このあたりは「不動山」と呼ばれる海に面した高台でした。明治初期には、日本初の鉄道開通に携わった外国人技師の官舎が建てられ鉄道事業の拠点となりました。鉄道開業後もこの山の地下水が鉄道用水に使われたことなどから「鉄道山」と呼ばれるようになりました。明治17(1884)年、旧彦根藩士(滋賀県)らが一帯を買い取り庭園化し、井伊家に寄贈したことから、井伊掃部頭直弼にちなみ「掃部山」となりました。明治42(1909)年、横浜開港50周年を記念し井伊直弼の銅像が建立され、同時に井伊直弼の子息・直安によって水泉も設置されました。大正3(1914)年には、井伊家よりこの地は横浜市に寄付され、植樹、設備を整え、掃部山公園として開園しました。掃部山公園には現在約200本の八重桜が植えられ、明治以来の桜の名所としても知られています。震災や戦災で焼けた後も、市民の献木運動で桜や梅が植えられるなど、地域の人から大切に守られてきました。また昭和40(1965)年からは、毎年8月に、伝統芸能や茶道に通じた文化人である井伊直弼をしのび、野点や琴・尺八の演奏などを楽しむ「虫の音聞く会」が開催され、長きにわたり夏の風物詩として親しまれています。平成8(1996)年、横浜能楽堂が公園の一角に移転されました。これは、旧加賀藩(石川県)の藩主前田斉泰の屋敷にあったものが移された、本格的な能楽の舞台です。2階の展示廊には、能装束や楽器などの能楽資料が展示されています。』
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絵葉書「横浜掃部山桜花満開」。
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近郊の地図と昭和30年代の横浜市三千分の一地形図がありました。
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銅像広場。
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井伊直弼の銅像。
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第二次世界大戦中に金属回収指示により銅像は取り払われましたが、昭和29年(1954)に開国100周年を記念して横浜市が再建。台座部分(妻木頼黄設計)と水泉(井伊直安寄贈)は平成24年3月28日に横浜市認定歴史的建造物に認定されています。
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台座の方が歴史的価値があるんですね。妻木頼黄は有名な赤レンガ倉庫や横浜正銀行本店別館の設計もした人です。
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水泉。
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水泉と井伊直弼銅像。
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井伊掃部頭ゆかりの地標柱。
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掃部山公園の一角に横浜能楽堂があります。
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能舞台は明治8年(1875)に東京は根岸の前田斉泰邸に建てられ、染井の松平頼寿邸に移築された旧染井能舞台で、関東地方では最古の能舞台。平成8年(1996)に横浜市指定有形文化財に指定されています。
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公園内散策。
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公園内に池を配した和風庭園がありました。
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『現在掃部山公園になっている土地は、明治初期の新橋横浜間の鉄道敷設に携わった、エドモンド=モレルなどの鉄道技師の官舎が建てられていたほか、ここの地下から湧く水を蒸気機関車の給水に利用していたことから、鉄道山と呼ばれていました。その後、明治17年に本市の開港にゆかりの深い井伊直弼の記念碑建立の際に、横浜正金銀行松井十三郎ら旧彦根藩士により買い取られ、井伊家の所有となりました。掃部山公園内の日本庭園などは井伊家所有の時代に築造されたものと考えることができます。その後、大正3年にこの土地が井伊家より本市に寄贈され、掃部山公園として公開されました。公園の南西側の一角にある能楽堂は、平成8年3月に完成したもので、横浜市の有形文化財に指定されている旧染井能舞台を館内において移築・復元しているものです。この染井能舞台は、もともと明治初期に加賀藩主だった前田斉泰公が東京根岸の自邸に建てたもので、後に東京駒込の染井に移築され、戦後には能楽再興の本拠地となっていたものです。このように明治以来の長い歴史と文化的要素を有する掃部山公園では、地域の人達が中心となって、これらの歴史とゆかりの深い薪能や虫の音を聞く会などのお祭りが催されるなど、地域の人々に親しまれています。』
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この石はなに??
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…こっちが聞きたい。
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飯岡幸吉歌碑。
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『まちなかに 緑をたもつ掃部山 ましてや虫を 聴く夜たのしき』
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遊具のある広場。
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この辺りは明治末期から昭和49年中頃まで茶店があり、夏にはかき氷やラムネ、冬にはおでんなどを販売し地元に人に親しまれていた場所らしいです。井伊家の植木職人が藩主の薦めで始めたものですが、二代目が亡くなった時点で市の条例に基づき廃止となりました。
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なお、公園の近くには神奈川県立音楽堂、神奈川県立青少年センター、神奈川県立図書館などもあります。
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それでは…岩亀横丁でご飯食べて帰ります。
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