くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2016年04月

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以前水道坂と称して、弘前スタジアム脇の坂道を紹介しましたが、その時に発見した鳥居と祠の紹介です。弘前市斎場の裏手にあたり、唐内坂(袋の宮の神)、熊野宮、出雲大社弘前分院、弘前寺などが近くにあり、それらの関連を考えてみましたが、結局のところ不明です。そういえば常盤山別荘の痕跡探しをするのも忘れてました。
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夏が近づくと草木がひどくて近寄れません。
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鳥居です。元々は赤い鳥居でした。
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すぐ裏には巨大な弘前スタジアムが見えます。
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さて、祠の中央には神像が一体と熊野大神の神札。やはり熊野宮と関係するのか!?
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っと思いきや、更に両脇には狐様と何枚かの棟札があり、大山祇大神、水波能売命、火産霊大神、稲荷大神など様々な神の名前が見えます。やはり不明です。棟札をすべて調べれば紀年銘などから何かわかるかも!!と思いましたが、何と祠内には鳥の死骸らしきものが…無理です。鳥の巣に化していたのか…いずれにせよ調査は強制終了です!
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唯一のヒントは祠の横にある立派な殖林記念碑。紀年銘は大正12年10月。西澤家11代の茂三郎建立。11代目…さぞかし立派な方に違いない。この方について調べれば由緒がわかりそう…ですが、調べてません。すいません(笑)
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一之鳥居と手水舎。
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ここから本殿までは想像した以上に距離を感じると思います。
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途中にあった石碑。かなり丁寧に祀られていますね。
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文政6年(1822)幸神。
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鳥居奉納記念碑。
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距離はありますが参道は綺麗にされており、歩きやすいです。
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鳥居も多かったです。
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同じ鳥居なので何番目の鳥居かわからなくなります。
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わかりにくいかも知れませんが、下の写真の鳥居の右側に、草むらですが本殿横まで繋がる道がありました。
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もう一息。
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到着。
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青森県神社庁HPによりますと、御祭神は軻遇突智命。火産霊神ともいう火の神で、火を守護せられる神を祀っています。神社庁の写真には石燈籠が写っていますが、無くなっていました。
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創立年月日不詳。
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赤石川河口の旧赤石村に鎮座しており、農漁業の氏子による信仰が篤いそうです。
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例祭には津軽神楽が奉納されており、湯立神事も行われます。
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貞享4年検地水帳によりますと、地蔵堂地、熊野堂地がみえます。安政2年神社書上帳によりますと、延宝3年(1675)再建の貴野宮と永禄5年(1592)創建の熊野宮がみえます。
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つまり木野宮以前は地蔵堂だったようです。国誌によりますと、明治初年には水波能売命を祀る赤石村貴船宮がみえ、熊野宮などを合祀しています。水波能売命ってことで、現在とは御祭神が違いますね。
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祠掌奈良冨之進、祖主水貞親と伝えます。代々種里八幡宮の祠官なりしが明治6年免職となり、同4月27日当社の准祠掌となります。新撰陸奥国誌には「貞親より今の冨之進まで十七代なりと云ふ」とあります。
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本殿の本懸魚に狐がいました。
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社殿内。
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社殿内の神額には三社宮とあり、左右にも2つの祠があります。
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これは憶測ですが、左右の絵馬から察するに稲荷宮と龍神宮かも知れませんね。もしくは合祀された熊野宮かな。
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社殿横の手水舎。
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竜口からは山の水が豊富に流れ出ていました。
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浄土宗 究竟山 一乗院 到岸寺。
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慶長5年(1600年)創建。
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楢葉郡折木(現在の双葉郡広野町)・古本山盛徳寺・第14世一可良憲上人開山。
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慶長3年頃に福島で布教をしていた上人の説法は福島城下の人々の尊敬を集め、その噂を聞いた福島城の奉行たちが上人を城内に招き聞法したところ、その壮大高貴なる西方極楽浄土の説法に感銘し、この地に永く留まるように懇願。
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上人は福島城より当時城が持っていた金剛界大日如来「杉乃妻大佛」と本堂、伽藍、寺領、仏供米田等の寄進を受け、現在の福島市大町の4分の1ほどの寺地を賜りました。以来、到岸寺は一度も移転せず、大佛城勅願の寺です。
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浄土宗一乗院到岸寺…『慶長年中(1596-1614)に良憲一可により開山。明治14年の福島大火(甚兵衛火事)のとき焼失したが、明治17年に信夫山にあった大日堂を移し再建された。境内には、福島城と縁のある史跡が多数残されている。』
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通称亀の子石(福島城下高札礎石)。
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宝物蔵(土台は板倉藩福島城の石垣であった)。
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安産・子育・延命地蔵尊(信州高遠の石工により元文元年(1736)建立)。
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本堂。
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やはり目に見える(笑)
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本堂前。
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到岸寺の御詠歌六番札所の碑より(開山400年記念御詠歌講中一同)…『あさからぬ法の誓いやたうがんじ頼めや大悲とこゑひとこゑ』・浄土宗宗歌宗祖上人の碑(開山400年記念総代世話役員一同)より…『月影のいたらぬ里はなけれどもながむる人の心にぞすむ』。
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杉乃妻永代供養塔(到岸寺開山400年記念事業)。
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県内最大永代供養塔…『近年の核家族化、少子化、高齢化社会伴いお墓の継承問題に悩まされている方の一助になればと考え、当霊苑内に県内最大級規模を誇る総石造りの永代供養塔を建立いたしました。是非一度ご来苑ください。絶家の心配、独り身の心配、高齢者夫婦の心配、夫婦で信仰が違う心配等々、ご相談に応じます。同じ時代を生きた全ての人々の安楽のためにお困りの方全てを救います。』
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確かに大きいです。周囲のお墓が小さく見えます。
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杉之妻の大仏大日如来坐像(福島市指定有形文化財:昭和48年11月7日)…『像高235cm・本像は、福島市内の仏像中、坐像としては最大のものである。高い宝髻に日月の宝冠をいただき、ゆったりと結跏趺坐して智挙印を結ぶ、その端正な容姿は、まさに仏の王者大日如来(金剛界)にふさわしい。本像は、かつて大仏城(後の福島城)にあった杉妻大仏を偲んで、宝永年間(1704-1710)に京仏師に依頼したもので、享保4年(1719)に信夫山南麓の大仏堂に安置されてきたものである。やや彫刻的量感に乏しく、絵画的な造型処理も見られるが、高さ320cmの華麗な舟形光背ともども福島の近世仏として稀にみる巨像である。到岸寺は、その布教の縁りによって秘仏の大日如来(杉妻大仏の胎内仏)を蔵してきたが、不幸にも明治14年(1881)の甚兵衛火事によって一切を焼失するに至った。このため、明治17年に御山の大仏像を大仏堂と一緒に移築復元したのが、現在の大日如来像であり本堂である。昭和48年11月7日福島市教育委員会』
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福島県庁(大仏城)の大仏(本尊大日如来像)。杉妻大仏の二世は町なかの大仏さまとして現在も人々の信仰を集めています。
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十三佛供養塔。
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『この十三佛供養塔の下には当山第廿二世禮誉請阿眞道和尚が1991年にインド釈尊悟りの聖地「ブッダガヤ参拝」のおり福島にお連れした釈迦牟尼佛降魔尊像が鎮座なされております。境内全域と全埋葬者の鎮魂と、参詣の人々のご多幸を永遠に守護する為に「到岸寺開山四百年慶讃」を記念して建立いたしました。根わくは「三界萬霊、西方浄土」に往生せし事を、心より発願するものであります。平成16年春彼岸 南無阿彌陀仏』
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宝物蔵。
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板倉藩福島城の石垣。
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安産・子育・延命地蔵尊へ。
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元文元年(1736)建立。
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南無阿弥陀佛などの碑。
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