くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2016年02月

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一之鳥居は別な場所にあるのですが、車を停める場所がありません。一之鳥居を過ぎて次の信号(食堂にしき)を左折してしばらく進んだ場所に広い駐車場があります(約300m)。
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社務所。
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猫神社。
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猫がたくさんおります。
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猫神社横のおみくじ納所。
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稲荷社。
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稲荷社前の狛犬。
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台座を見る限り、屋根瓦設置用のシーサーっぽい。頭には宝珠。
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赤河童の手水舎。
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遠野物語によりますと「他の地方の河童は緑といわれているが、遠野の河童は赤い。口が大きい」という記述があり、当手水舎には遠野物語の河童を忠実に表現した焼き物があります(沼田三次郎氏作)。
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鳥居立替記念碑…『二の鳥居、過去3回修理修復するも300年以上経過し、危険な状態となり以前の鳥居と同寸法に立替え、平成7年6月30日完成す。総事業費4,795,202円。寄附者数3,185人。平成8年6月30日建立』
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二の鳥居。
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参道。
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三の鳥居。
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三の鳥居と馬場。
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渡回廊と馬場。
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遠野郷八幡宮馬場(遠野市指定文化財・昭和56年2月指定)。
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『馬場面積10107㎡・南端の直接コース218m。このような広面積の馬場があるのは、全国でも珍しい。寛文元年(1661)松崎町宮代にあった八幡宮を現在地に遷宮した際に造営された。古式豊かな流鏑馬(遠野南部流鏑馬・昭和54年指定)の行事は祭典の日に奉納されている。』
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休憩所と御神木の切株。
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旗枠奉納者名碑(昭和9年9月15日)。
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「鳥類昆蟲類の安樂地としてゐますから境内地で捕獲又は追いまわさないで下さい。」
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御祭神は誉田別尊、大国主神、事代主神、少彦名神、御年神。
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八幡宮の由緒は詳らかではありませんが、文治5年(1189)平泉の藤原氏追討に従軍として功があり、源頼朝から遠野郷を賜った阿曽沼広綱が宇夫方広房を代官として送り、松崎村駒木に「舘」を築いて氏神の八幡神をまつって遠野郷を統治し、その後、阿曽沼親綱が横田城を築いて、城の鬼門である東北の方角にある宮代に八幡宮を勧請して崇敬したのが始まりとされます。
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慶長5年(1600)、阿曽沼氏衰退後南部領となり、寛永4年(1627)南部直栄が八戸から転封し、八幡宮は古来より源氏の氏神であったので南部家も厚く崇敬し、社領10石を寄進。更に直栄は寛文元年現在地に遷宮。
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大正2年本殿・幣殿改築。昭和25年八幡神社を遠野郷八幡宮と改称。翌26年には出雲大社の御分霊他三柱の神を合祀。昭和42年には創建780年・現在地遷宮300年を記念して幣殿・拝殿を改築。昭和62年「遠野郷八幡宮創建八百年誌」を刊行し、八百年大祭を盛大に執行。
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平成14年6月から遠野郷八幡宮創建820年・現在地遷宮350年記念事業を興し、平成15年9月に本殿屋根改修、幣殿改築、平成16年10月には「お待殿(参拝者控え室)」を改築。平成19年3月に社務所を改築。同10月には「遠野郷八幡宮創建820年・現在地遷宮350年記念事業完成記念誌」刊行、記念事業完成奉告大祭を盛大に行い現在に至っています。
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狛犬二対。
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拝殿。
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向拝。
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蟇股と木鼻。
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本殿。
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御待殿。
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御祓殿。
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御祓殿神額。
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神楽殿。
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守札所。
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鬼瓦。
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鬼瓦について…『平成23年3月11日に発生した東日本大震災により、当社の社殿も被災し、拝殿の屋根瓦は鉄板に葺替えとなった。この鬼瓦は昭和40年拝殿改築の際に沼田三次郎氏(明治33年2月5日生~平成6年2月7日没)の手により作られたものであり社紋は「向鳩」である。平成23年9月15日』
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少し暗かったのですが、通り沿いに「東崗公園・歓喜大観音石像・観音霊場三十三観音」という大きな看板が見えたので少しだけ立ち寄ってみました。
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場所はかつての東十二丁目村。もとは西十二丁目村と一村で島村と称していました。北上川の洪水による被害が大きかった地域です。鎮守は熊野神社。寺院として曹洞宗円通山歓喜寺があります。歓喜寺内の古川氏の碑によると寺子屋教育が古川忠栄氏によって行われていました。
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裏山の東崗公園に高さ5mの歓喜大観音や三十三観音があるそうですが、もう暗かったので今回はやめておきました。まだ16時なのに。
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ってことで「歓喜寺」様のHPで御覧下さい。
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東崗公園・歓喜大観音石像・観音霊場三十三観音について…『昭和30年(1955)深沢住職は、檀徒の篤信者古川純三氏と相談して、寺有の裏山を地域住民の労力奉仕を得て4年がかりで地域の憩いの場としての展望公園を造立、東崗公園と名づけた。昭和47年(1972)には篤志者多数の浄財をもって高さ5mの歓喜大観音を中心に三十三観音、交通安全観音など45体の石像を境内と同公園内に造立、展望佳絶と深閑静寂なる観音霊場公園の観を呈している。歓喜寺境内には宝暦9年9世毒龍和尚代の経塚造立の石灯籠があり、又文化13年建立の六地蔵尊がある。なお昭和28年建立の英霊供眠の地蔵尊も建立されている。当寺の什宝として天保14年東十二丁目絵図、それに天文4年から大正11年まで、184冊の暦が欠本なく全部そろっている。又歓喜聖天像を奉安、「夫婦和合」「商売繁盛」の御利益を垂れている。なお当寺は当国八十八ヶ所札所の第七十七番である。』。東十二丁目絵図を見ることができたら、この付近の散策が楽しくなりそう。
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歓喜寺は正保元年(1644)花巻市太田の昌歓寺10世渓岩光浦大和尚が、当時の嶋村長根の郷土で通称万九郎、古川太郎右衛門の帰依を受け、境内地となる山林三町歩有余の土地の寄進を受け開創。開山の渓岩和尚は、沢内村の玉泉寺の開山にもなっており、当時2世端室和尚が中興となっており、勧請開山ではないかと考えられています。
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本尊は釈迦牟尼仏ですが釈尊特有の螺髪がなく、聖観音像のようですが、頂上の肉髻がありません。寄せ木造りで年代不詳。台座は元文2年(1735)京都の仏師駒野丹下作。平成9年3月に花巻市の指定文化財に指定。
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文化6年(1808)に本堂、文政4年(1822)に庫裡を再建。本堂の茅葺きを戦前に茅葺きにし、昭和63年(1988)には銅板葺きに改装。
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嶺雲閣。
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経塚造立の石灯籠。
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筆塚。
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「雨に打たれても 風に吹かれても 雪に埋もれても じっと微笑かけるお地蔵さん」
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おさめ観音。
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その横は…雪女姿女?って見えます。違うかな。
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忠魂碑等。
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古川氏之碑と謝恩碑。
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六地蔵。
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英霊供眠の地蔵尊。
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他にも色々ありましたが暗くてよく見えませんでした。
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作務お疲れ様でございます。
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筒木坂村には神社として北西端に延宝5年創建(もしくは再建)の山神社、薬師堂、弘化年間(1844-1847)創建の正一位稲荷宮があります。
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治右エ門沼の南に鎮座。
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手すりはあるのですが…
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結構きつい坂道です。
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見えてきました。
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到着。三角点。
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稲荷神社。
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由緒等はわかりません。
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外観はお世辞にも立派とは言えませんが、中は綺麗にされています。
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高山稲荷神社で管理されているのかな。
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末社稲荷宮。
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下りも気を付けましょう。
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