くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2016年01月

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旧相馬村。
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野脇橋から見える木の麓。
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川沿いに鎮座。
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明治10年建立と伝えます。
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元は桐の木沢と共同で造営にあたりましたが、今は向山の氏子で奉仕。
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平成16年11月29日、堂宇建立の棟札(施工:弘前市下湯口、石岡祐治)。
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鳥居奉納は昭和34年旧2月8日。
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絵馬等。昔からこの付近の蛇は神の使いだから殺してはならないと代々言い継がれているそうです。
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棺森山の北、大森山と立構山を直線で結んだ中間、栩内川上流、川沿いに鎮座。
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元禄15年の堂社縁起修験道由緒に「湯口村山之神宮東覚院」とあります。元禄11年(1698)、湯口・悪戸両村にて建立。
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本堂の横に大山祇神社(山の神様)。
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小さなお堂ですが丁寧に祀られています。
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ちょうど私が訪れた際にも参詣に来ている方々がいました。様々な方々に崇敬されているのがわかります。
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一之鳥居は昭和51年4月12日に寄贈されたもの。
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大山祇神社を右折すると林道湯口線。注意書きがありますが、普通の車ですんなり走破したことあります。
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あれは棺森かな。メノコが殺されて埋められたという伝説が伝わる山です。遺体を埋めた棺森からは夜な夜な女の声が聞こえたりと、奇妙なことが起こったために、その後は石戸神社に遷し祀ったとか。現在も山頂にはお墓があると伝えますが未確認。
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さて、話が逸れてしまいましたが、本堂の横にはもう一つ鳥居があります。
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案内板によりますと弘法大師・竜神様・大日様・神明様が祀られているようです。
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弘法大師像(昭和29年旧3月20日建立)。
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大日様。
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正面に巨石が見えます。
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少し登って…
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その下に小祠。
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神明様です。
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道が続いていたので向かってみたら…
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行き止まりでした。
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と思いきや道!?
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急勾配な為、途中でやめておきました。たぶん道じゃないです。
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あれ?竜神様が見当たりません。
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案内看板による位置にはベンチがあるだけでした。
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御祭神は大物主神・大山祇神・事代主神。
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寛永17年(1640)勧請。山王林に鎮座。
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明治6年3月に宮田村八幡宮に合祭するも同8年2月に復社。同9年12月村社。
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貞享4年検地水帳によりますと、山王林が見え、同地区に山王堂・境内山1町3反余があります。
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神仏混淆神社調帳によりますと、明治初年に日吉神社に改称を願い出るも叶わず廃社とあります。明治6年から8年にかけては宮田八幡宮に合祀されており、現在は日吉神社ですが、今なお山王さまと呼ばれ親しまれています。戦前までの祭日は歌会などもあり、大変賑やかなものであったといいます。現在の大祭は諏訪神社関係の神主が神楽を奉納しているようです。
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天正6年(1578)8月(もしくは寛永17年(1640))、矢田・山王・長森の3村にて再興し産土神として尊崇し日吉神社と尊称。
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津軽藩主信牧公が山王宮を信仰して津軽家の祈願所に列せられ、山王宮御分霊を弘前城下の田茂木町に遷し祀りましたが、社地及び堂宇ともそのまま据え置かれていたために村中鎮守として尊崇。
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鎮座地は野内ですが隣りの矢田地区の産土神社となっています。
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社殿内に御祭神・御事歴・由緒・祭日の説明(大正13年1月26日御成婚紀念)があります。
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