くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2016年01月

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二代藩主信枚の治世中に染物業者を紺屋町におきました。慶安の絵図では100余軒の紺屋があります。「封内事実秘苑」には元禄3年(1686)に弘前に織座を始めたとあり、絹職人高森太郎兵衛を京都より招き、織座で専ら軍旗を織りました。次いで元禄12年10月、織物師欲賀・富江の両名が弘前着、同13年4月に織座の敷地が定まり、織物師弥兵衛・甚九郎・忠兵衛・その他糸繰女わさ・さつ・せん、糸取女しな・かつ等10数名を京都より招き、11月初旬から元寺町で織り始めます。翌14年(1701)3月には野元道玄が壮大な機業場を紺屋町に建て、これを織座又は織物会所と称しました。野元は古義茶道に通じ造庭の名人で、新寺町本行寺貞昌寺茂森町隣松寺の庭は彼の造園と伝えます。また、製紙の技術にも通じていました。ちなみに小沢村の野元という小字は、織座附属として桑・楮・茶を植えた場所。
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織座の職人の多数は京都(主に近江)から招かれており、一家を挙げて来弘した者もあり、その京風な生活は付近の住民に少なからざる影響を与えたと考えられます。
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織座があった頃の古地図(※下の地図とは別)を見ると織座付近に織座稲荷神社という社が鎮座しているのがわかります。比較的あたらしい昭和10年地図では株式会社弘前織物などが見えますが稲荷神社はありません。
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織座稲荷が記される古地図とは少々場所が異なるのですが、紺屋町には現在も稲荷宮が鎮座しています。少なくとも明治以降の古地図にも織座稲荷神社の名は見えますし、拝殿内には明治期の絵馬も奉納されており、当町の歴史から推測すれば、織座を始めとし、足軽、橋守、舟守、醸造、魚店など様々な人々に崇敬され、現在は紺屋町の産土神として鎮座していると考えられます。
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向拝下。
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拝殿内。
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明治16年旧6月奉納の絵馬。
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天岩戸隠れの絵馬。
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白狐一対。
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本殿。
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手水舎。
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末社。
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庚申塔2基。
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町有財産の表示。
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御祭神は迦具土神(軻遇突智命)。
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創建年月日不詳。
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明治6年村社。
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晴山の産土神として崇敬されています。
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狛犬一対。
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本殿。
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大木平は標高が高く、高原野菜(南八甲田高原野菜)の名産地となっています。
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大木平小中学校(廃校)横にあった碑…『我等が大地』。
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隣には校歌(作詞:小野清勝)。
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ちょっとした森の中に建つ鳥居。
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小高い丘になっています。
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境内には特に何もありませんでした。
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御祭神は天照皇大神・大山祇大神。例祭日は7月12日。
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宮司はこの地に入植した工藤家が務め、後に生家の田舎館堂野前八幡宮を継いでいます。
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「奉祭天照大神大山祇大神開墾事業完成諸災消除守護攸」(昭和26年)・「幸福神社と大和神社合祀並新築祭執行」(昭和45年)の棟札あり。
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