芦野村の稲荷神社。通称若松町。 石燈籠は両方とも崩れています。 狐一対。 勧請年月日及び由緒等は不明。明暦2年(1656)再建。合社として保食神社(惣染堂)があり馬頭観音を祀っているようです。金木郷土史による芦野公園の説明によると、芦野公園付近には三本松の ...
2015年11月
稲荷神社 ・ 弁天宮 (深浦町田野沢)
高台にあります。 天和年間頃の田野沢村は山手にあり、本田野沢村と田野沢新田からなり、後に海岸通りに移って1村となります。塩釜が2ヶ所あり、製塩が行われていました。 御祭神は宇迦之御魂命。 創建不詳。宝暦10年(1760)村中にて再建。 明治初年に地内成瀬の竜田 ...
稲荷神社(鶴田町強巻)
強巻村。岩木川の自然堤防沿いに立地し、洪水に悩まされた地域です。 元禄3年(1690)創立。 大行院の配下にあった見重院であり、かつては修験の持宮と伝える稲荷神社。 御祭神は倉稲魂命(保食神)。 縁起に「貞享3年津軽藩重役大道寺隼人、間宮求馬の両士、新墾巡親 ...
深沢地蔵堂 ・ 深沢賽の河原堂(つがる市富萢町)
深沢地蔵堂。徳本上人の3回忌並びに、文政3年(1820)に天明の大飢饉(3-4年。死者81,700名)で餓死した無縁仏の冥福を祈り、湊迎寺17世良鼓意全和尚により建立。徳本上人は江戸の人物で、一成寺(一行院とも)の僧侶。 古来より萱葺平家建の堂でしたが、昭和27年4月の大火 ...
江東天祖神社 (砂原神明宮 / 江東区亀戸)
御祭神は天照皇大御神。 柳島村(現江東区亀戸及び墨田区錦糸・泰平・横川・業平の一部)総鎮守神明社。 応永10年、慈雲山龍眼寺の開山沙門良傳が再建。 良博の夢にて観世音菩薩が現れ、堂の下に御本尊と御神体があるとお告げになったと伝え、その御神体を祀って神明宮 ...
春日神社(深浦町北金ケ沢)
参道途中に踏切があります。 気をつけて渡りましょう。 一之鳥居の近くにあった石。 手水舎。 海が見えますね。 石鳥居をくぐり… 石段を登って行きます。 勾配はありますが距離はさほどないので楽勝です。 鳥居が多いですね。 御祭 ...
りんご大観音像 ・ 南田温泉ホテルアップルランド (平川市)
温泉に行って来ました。 紹介するのは温泉じゃありませんが。 りんご大観音像(高さ16m)。 左手でりんごを空高くかかげています。 中々の存在感。 館内からエレベーターで上がりますと、台座の中に入って拝むことが可能です(東館3階屋上)。参拝自由。 手水舎。 ...
最勝院 紅葉 2015
弘前市の最勝院です。 たくさんの人が紅葉を楽しんでおられました。 『金剛山 最勝院 part1』 『金剛山 最勝院 part2』 『最勝院水屋』 『新寺構』『南溜池 ・ 津軽氏城跡 ・ 弘前城跡 ・ 新寺構 (弘前市)』 『仁王坂』 『出間館 & 銅屋町』 『八坂神社横の名無坂』 ...
原別稲荷神社 (青森市原別)
原別村。上海原に稲荷神社があります。 御祭神は倉稲魂命、猿田彦大神、大宮能女命。 同社は永和年間(1375-1379)に浪岡の北畠顕能が建立。 万治年間(1658-1660)に弘前町の武士棟方角之亟が漁民とともに再建。※慶長2年(1597)再建説もあり。 原別 ...
天満宮 ・ 不動明王 ・ 袴形池など(つがる市車力町)
調べたところ、「車力中の西のスキー場の頂(55m)に天満宮が鎮座」があるとのことで行ってみました。草木に埋もれてわかりにくいのですが、石段もきちんとあります。 しかしながらまったく整備されておらず、通行不可能です。 社殿も荒れ気味です。 社殿内。御祭神は菅 ...
熊野宮(鯵ケ沢町中村町)
一之鳥居横に池が2つ。 立派な池です。 祠もあります。石のようなものが奉納されていました。 池脇の石碑は読めませんでした。 更に向かいにも池。 こちらは祠を囲むような池です。 弁天様です。 祠の横の石碑は読めず。 鰺ヶ沢町中村町下清水崎 ...
小幡八幡宮 (かまやの七色たい焼 / 板柳町)
小幡村は古くは新屋村と称しており、天保4年の村絵図には掛落林村之内新屋村と見えます。貞享4年検地の際に小幡となり、享保11年に独立。小幡八幡宮境内に隣接して、旧満州皇帝溥儀の侍衛長を務めた工藤忠閣下の生家「皇帝の森」があります。 天和元年(1681)建立。御祭神 ...
稲荷神社(つがる市木造大湯町)
大湯町村は亀ヶ岡築城に際し、城地東部に開かれた町屋敷ですが、築城中止によって目覚ましい発展は見られなかったといいます。 築城及び当地域の開発を担当していた奉行大湯彦右衛門の墓が残っています。開村は元禄9年(1696)。 創建不詳。享保7年(1722)、村中安全・ ...
一丁木の大銀杏(大公孫樹) 弘前市相馬
弘前市相馬字一丁木。旧相馬村の相馬村農業協同組合相馬支所の裏手にあります。 樹高約10m、幹周約9m。樹齢は数百年と伝えます。かつては作沢川・藍内川の合流点となっており、この大公孫樹は川の上に広がっており、人々はこの木に舟を繋いでいたと語り継がれています。新 ...