くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2015年10月

イメージ 1
山門。
イメージ 2
イメージ 3
狛犬一対。
イメージ 4
イメージ 5
山門と仁王門の間。
イメージ 6
イメージ 7
仁王門。
イメージ 8
イメージ 9
仁王様…。
イメージ 10
大きな像を造る時は逆遠近法を用いて顔を大きめに作ったりするものですが…これは普通に見てもめちゃ長い(笑)
イメージ 11
イメージ 12
縁結びの観音様・子授けの観音様。
イメージ 13
受付付近。
イメージ 14
福泉寺は真言宗豊山派。御本尊は聖観音菩薩。
イメージ 15
大正元年(1912)佐々木宥尊(初代住職)開基。
イメージ 16
広い境内には新四国八十八ヵ所・西国三十三番観音霊場が奉安され、これらすべてを参拝するには約2時間程度を予定していいと思います。日本最大の木彫大観音が有名で、この大観音のみを参拝するのならば、車で上まで行けますので時間は要しません。非常に綺麗に整備されている境内で、自然豊かなコースが気持ち良さそうなので、私は全部回りました(紹介するのは一部です)。
イメージ 17
不動明王。
イメージ 18
イメージ 19
イメージ 20
参道。
イメージ 21
狛犬一対。
イメージ 22
イメージ 23
本堂石段。
イメージ 24
イメージ 25
本堂。
イメージ 26
イメージ 27
イメージ 28
イメージ 29
向拝の見事な彫刻。
イメージ 30
鐘楼堂。
イメージ 31
イメージ 32
愛宕堂。
イメージ 33
イメージ 34
弘法大師。
イメージ 35
各人一代守本尊禮拝所。
イメージ 36
西院の河原。
イメージ 37
新四国八十八ヵ所霊場。
イメージ 38
庫裡。
イメージ 39
紅葉した参道が気持ちいい。
イメージ 40
稲荷大明神。
イメージ 41
イメージ 42
厄除坂。
イメージ 43
男厄除坂42段。
イメージ 44
女厄除坂33段。
イメージ 45
紅葉のトンネルをくぐる素敵な坂道です。
イメージ 46
イメージ 47
坂上の厄除観音。
イメージ 48
山神。
イメージ 49
イメージ 50
左から薬師堂・山神社・白山社。
イメージ 51
イメージ 52
大観音堂へ。
イメージ 53
狛犬一対。
イメージ 54
イメージ 55
大観音堂。
イメージ 56
イメージ 57
イメージ 58
イメージ 59
大観音堂の向拝彫刻。
イメージ 60
イメージ 61
イメージ 62
力神。
イメージ 63
イメージ 64
残念ながら木像福徳十一面大観音は撮影禁止のため紹介できませんので、現地で御覧になってください。感動しますよ。
イメージ 65
どうしても現地へ行けない方のために…。
イメージ 66
福徳大悲殿…『世界平和・日本再建・戦没者菩提の三大誓願を柱とし壱千弐百年の巨木を当寺住職摺石宥然和尚自ら苦心の彫刻による力作で総丈五丈六尺(十七米)の日本最大の福徳十一面観音が奉安されている。』
イメージ 67
多宝塔。
イメージ 68
イメージ 69
イメージ 70
多宝塔…『日本国民の悲願である北方領土の返還を祈り又当山開創七十周年、大観音建立十七周年を記念し、昭和五十七年十月十七日落慶したもので、塔内には五大尊明王と四天王尊像を奉安している。』
イメージ 71
イメージ 72
池。
イメージ 73
池には龍と河童と梟がいました。
イメージ 74
イメージ 75
九重之霊廟等。
イメージ 76
イメージ 77
不動明王等。
イメージ 78
慈母観音等。
イメージ 79
イメージ 80
白衣観音。
イメージ 81
白衣観音…『白衣観音、此の尊像は第二世宥然和尚が日支事変戦死者菩提のため昭和15年に建立壱千柱の霊魂を祀る。併し平成十五年五月二十六日午後六時二十四分県全域を震駭させた震度六弱の三陸南地震で亀裂崩壊せるを見るに忍び難くこの度左記有志の温情により再建立の運びとなりました。茲に尊像の霊魂を修法し現世の不滅を祈り隔世を継承するものであります。』
イメージ 82
西国三十三番観音霊場。
イメージ 83
イメージ 84
イメージ 85
毘沙門堂。
イメージ 86
毘沙門堂…『毘沙門天王・七福神の一因で北方を守護する尊像として多くの願いを聞いて下され福徳を与えて下さるので多聞天とも稱す。当山第二世宥然和尚齢九十才の作で総丈十二尺(四米)が奉安してあります。』
イメージ 87
イメージ 88
五重塔。
イメージ 89
角度を変えて…。
イメージ 90
イメージ 91
イメージ 92
五重塔…『世界平和・鎮護国家・北方領土返還を祈願するため建立したもので塔内には東方阿しゅく如来、南方宝生如来、中央大日如来、北方釈迦如来、西方阿弥陀如来の五如来・尊像を奉安している。』
イメージ 93
護摩堂。
イメージ 94
イメージ 3
イメージ 2

イメージ 1
立山稲荷神社という標柱から歩いて向かったのですが、立山稲荷神社は見つけることができず、鹿嶋神社に辿り着きました。こんなことってあるんですね(笑)地図では溜池付近に立山稲荷があるようですが、どうやって行ったらいいのかわかりませんでした。
イメージ 2
かつての館岡村(元は亀ケ岡村の一部で亀ケ岡城築造起工後に館岡村・享保11年築城については度重なる洪水により困難を極め、一国一城令により中止。)になります。寛文年間以降に野呂理左衛門が中心となって開拓。
イメージ 3
鹿嶋神社の御祭神は武甕槌神。
イメージ 4
イメージ 5
創立年月日不詳。
イメージ 6
明治6年旧社格を村社に列格。
イメージ 7
狛犬と御神馬。
イメージ 8
イメージ 9
イメージ 10
庚申塔、二十三夜塔、猿田彦大神等。
イメージ 11
イメージ 12
イメージ 13
イメージ 14
イメージ 15
小祠。
イメージ 16
中には女神型の水虎様。
イメージ 17
イメージ 18
オオバボダイジュ。
イメージ 19
イメージ 20
狸がいたけど馬頭観音。
イメージ 21
こちらは鹿嶋神社より少し離れた場所(立山稲荷神社標柱がある道路沿い)にあった山の神。
イメージ 22
イメージ 23
シンプルな建物です。
イメージ 24
由緒等はわかりませんが、山の神なので、その信仰目的等の察しはつきます。
イメージ 25
イメージ 3
イメージ 2

イメージ 1
かつての新里村。貞享4年検地水帳には光宮太夫抱えの熊野堂や村中抱えの稲荷社地があります。
イメージ 2
イメージ 3
新里村稲荷宮は寛文元年(1661)に村中繁栄・五穀成就のために建立又は再建。御祭神は倉稲魂命。嘉永7年(1854)の棟札あり。嘉永6年12月に堂宇焼失のため、それより古い棟札はすべて焼失したといいます。明治初年に新里村の熊野宮に一時合祀。
イメージ 4
奉納された物にはいずれも「福田子村」とありました。神社隣の建物は福田子集会所です。現在の福田村とは場所が少し離れますが、かつては福田村と称したのでしょうか。ちなみに現住所は弘前市新里西里見です。
イメージ 5
イメージ 6
菅江真澄が「津軽のをち」で、寛政9年に外崎村の枝村寺内村に板碑があるのを聞き、福田村でこれを見つけ、「福村のこなた福田といふ村の田の岸に、おどろ夏草しげりあひたるをかい分れば、正安二年、三年の石そとばの、ふたつまでありける也けり」と記しています。これについて菅江はどんな人の卒塔婆なのかはわからずと記しています。
イメージ 7
社号標。
イメージ 8
裏には「昭和3年旧6月9日福士正勝敬白」とあります。
イメージ 9
庚申塔(慶応4年3月・村中)。
イメージ 10
末社。
イメージ 11
あまりこの地区には詳しくなく、住所の変遷に少々疑問があったので熊野宮方面へと散策してみました。
イメージ 12
福士医院という大きな病院の前を通ったら、病院の敷地内に鳥居が見えましたので詣でました。
イメージ 13
病院とかかわりのあるものかどうかは不明ですが、そこそこ立派なものです。病院ができる以前より、ここに鎮座していたような雰囲気です。
イメージ 14
イメージ 15
紀年銘嘉永元年(1848)の猿田彦大明神もありました。
イメージ 16
イメージ 3
イメージ 2

↑このページのトップヘ