くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2015年08月

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東京都江東区白河。浄土宗 道本山 霊巌寺。
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本尊は阿弥陀如来。
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寛永元年(1624)開山雄誉霊巌。日本橋付近の芦原を埋め立てた霊巌島に創建。数年後には檀林が設置されて関東十八檀林の一つとなります。
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明暦3年(1657)の大火により延焼した後、万治元年(1658)に徳川幕府の防火対策を重視した都市改造計画の一環として現在地に移転。
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11代徳川家斉のもとで老中首座として寛政の改革を行った松平定信の墓をはじめ、今治藩主松平家や膳所藩主本多家など大名の墓が多く存在。
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本堂。
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寺務所。
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六地蔵。
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銅造地蔵菩薩坐像(江戸六地蔵の一つ)。
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『江戸六地蔵の由来は、その一つ太宗寺の像内にあった刊本「江戸六地蔵建立之略縁起」によれば、江戸深川の地蔵坊正元が不治の病にかかり、病気平癒を両親とともに地蔵菩薩に祈願したところ無事治癒したことから、京都の六地蔵に倣って、宝永3年(1706)造立の願を発し、人々の浄財を集め、江戸市中6か所に地蔵菩薩をそれぞれ一躯ずつ造立したと伝えられています。各像の全身及び蓮台には、勧進者、その造立年代などが陰刻されており、神田鍋町鋳物師太田駿河守正義によって鋳造されたことがわかります。六地蔵のうち、深川にあった永代寺の地蔵菩薩(第6番)は、廃仏毀釈で取り壊され、5躯が残っています。六地蔵のうち、霊巌寺の地蔵は第5番目で、享保2年(1717)に造立されました。他の六地蔵に比べ、手の爪が長く、宝珠を持つ左手の指のうち、4本の指が密着した形になっています。像高は273cmあり、かつては鍍金が施されており、所々に金箔が残っています。江戸時代中期の鋳造像としては大作であり、かつ遺例の少ないものであることから文化財に指定されました。』
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※六地蔵
宝永5年(1708)品川品川寺(東海道)
宝永7年(1710)浅草東禅寺(奥州街道)
正徳2年(1712)四谷太宗寺(甲州街道)
正徳4年(1714)巣鴨真性寺(中仙道)
享保2年(1717)深川霊巌寺(千葉街道)
享保5年(1720)深川永代寺(水戸街道・現存せず)
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松平樂翁霊域。
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松平定信墓。
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『松平定信(1758-1829)は8代将軍徳川吉宗の孫、田安宗武の子として生まれ、陸奥白河藩主となり、白河楽翁を号していた。天明7年(1787)6月に老中となり寛政の改革を断行、寛政5年(1793)老中を辞している。定信は老中になると直ちに札差統制(旗本・御家人などの借金救済)・七分積立金(江戸市民の救済)などの新法を行い、幕府体制の建て直しを計った。また朱子学者でもあり「花月草子」「宇下の人言」「国本論」「修身録」などの著書もある。』
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法然上人御生誕850年慶讃記念の勢至丸さま(法然上人御幼名)。
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大間越街道沿い、驫木郵便局の向かいにあった馬頭観音堂です。
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馬頭観音堂からは少し離れた場所ですが、遠く田園の向こうに小さな鳥居が見えたので向かってみました。
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鳥居をくぐって少し登った場所にあったのは…
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竹越元次郎之像(昭和30年旧8月1日竹越貞次郎建立)!!
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誰!?
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勉強不足ですいません。深浦町って竹越という名字が多いですよね。ちなみに菅江真澄の交友だった小浜屋三代目竹越理右衛門貞易は驫木村・桝形村の開村を自費で行った開墾開拓の恩人です。台座には「桝形村初開之人 竹越元治郎貞養 文化10年癸酉謹建」とあります。
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隣にあった石碑(彰徳碑)を見てどういう方なのか察しがつきました。
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「堰筋穿通 開田之祖 竹越塚(文化9年壬申8月28日)」とあります。また、深浦浜町の富士権現宮に、竹越元次郎貞養奉納の臥牛俚明画「竹」図絵馬(文政4年(1821)12月28日)と、桝形村竹越忠助奉納の臥牛俚明画「梅」図絵馬墨画(同年同月奉納)があり、桝形村開発の貴重な資料とされているこからも察しがつきますね。いずれも有形文化財です。この地は恐らく竹越元次郎の屋敷跡・墓地跡と考えられます。
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むしろこちらが不明過ぎます…。
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椅子じゃないよね?(笑)
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気になったので図書館で調べようと思ったのですが、そもそも何というキーワードで調べたらいいのかもわかりませんでした。
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知っている方がいらしたら教えてください。
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鳥居横にある菅江真澄の道。
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『寛政8年(1796)7月16日、真澄は「海榴(椿)崎や見なん」(「外ヶ浜奇勝」)と出かけ、その途中にこのお宮に参拝した。「新山権現とてほくらあるに ぬさとりたいまつ」ったとあるが、正しくは「深山」で真澄が男鹿の真山神社の「シンザン」が頭にあっての誤りだろう。祭神は金山彦命である。』
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参道。
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参道途中の末社。
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龍神宮・弁天宮・産土神社。海上安全をしたもの。
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こちらも末社。
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不動尊。
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深山神社の御祭神は金山彦命、大山祇命。
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創建年月日不詳。かつての新山宮(新山大権現・深山大権現)。大澗、横磯、小福浦の産土神。
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延宝年中(1673-1681)に村中にて再建。元文元年(1736)もしくは元文3年(1738)再建。明治6年から同10年に大舘村社貴野神社へ合祀。明治10年4月復社。
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横磯の獅子舞(大澗獅子舞)で有名です。一人立ち三匹子の形式、鹿系統で、弘前市和徳より伝授されたと伝わります。「由来書」とうたわれている歌本は、安政4年(1857)に原本より更に半紙に毛筆で写したもので、巻物ではなく小冊子に綴じられており、その表紙の冒頭に「天宝2年(1831)7月7日」とあり、これが横磯獅子舞に関して知ることのできる最も古い年代らしいです(※深浦町HP参照)。
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トチノキ。ケヤキやハリギリなども有名らしいよ。
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