くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2015年03月

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国道7号線を走っていて白い鳥居がポツンと建っているのを見たことがありませんか?田んぼに鳥居だけ!?って思わせるあの神社の紹介です。
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もちろん鳥居だけではなく、田んぼの奥に社殿があります。一の鳥居のすぐ先にある鳥居は百万遍、庚申塔、馬頭観音です。
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かつての下十川村。羽州街道に沿いで浪岡川と十川に挟まれた場所。
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文明年間(1469-1487)には下富川と呼ばれ、天正6年(1578)大浦為信の浪岡攻めの記録には十川とあります。
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青森県租税誌によりますと、古くは十河村で、享保12年(1727)下十川村に改称。天和4年(1684)の絵図には三田八幡宮・稲荷堂・一里塚・御鳥屋場などが見えます。貞享4年(1687)検地帳には八幡社地が三町歩もあります。
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旧村社八幡宮は延宝3年(1675)下十川村中で勧請。
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御祭神は誉田別命。
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あまり見たことのない風貌の狛犬です。
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明治6年4月村社。明治13年再新築。明治21年社殿を再建築。
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社殿の両脇には御厩舎。
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観音寺の南西に鎮座。
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入口付近にある庚申塔。多数の名前と「嘉永元戌年申八月吉日(1848)」「當邑講中」「各二世安楽」「配方手傳 久栗坂村」などと彫られています。
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庚申塔の裏には「別當權大僧都劔藏院良…(その下は埋没)」と見えます。
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かつては観音堂であり、劔藏院という修験の職掌になっていた時期があるのですが、ここにその名残が伺えます。
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こちらは何の石碑だろう。
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円の中に読めない文字。
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その下に「奉正○大神○」…ダメヨーダメダメッ!読めない。
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左右の文字も…「久栗坂村…」…ダメッ!読めない。
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御祭神は高おかみ神。
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水神としても崇拝されています。
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縁起によりますと、慶長元年(1596)に当村の開発の際に田地から発見された観世音像を、津軽家中野宮一郎兵衛と村民が堂を建てて崇敬。その場所には1本のケヤキの古木があって御神木といわれていました(ケヤキの古木の下に小祠があったといいます。)。明治初年の神仏分離で高おかみ神を勧請して川上神社と改称。旧村社。
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現在の社殿は、当初の場所が狭かったために、明治25年(1892)9月27日に移転改築したもの。当初は村の東南、浜田750番地に社殿が建立されていました。明治42年に一度全焼しているようです。
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前身の観音堂は貞享4年(1687)の根井村の検地帳に出ている観音堂。久栗坂じゃなく根井村なんですね。土地勘がない地域なので混乱します。
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神社総代はムラで数名が選ばれ、その中から責任役員として諏訪神社の柿崎宮司等3名の宮司が選ばれており、神社のことはムラ総出で行ってきたそうですが、現在は総代が行うことが多いといいます。大祭の準備はムラのカミ・ナカ・シモの各地域から当番制で出されています。
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案内板由緒より…『御事暦…髙オカミ神ハ伊弉諾尊ノ御子々座マシ雨ヲ掌ラセ給フ御神ニシテ山上ノ龍神ト申シ奉ル即旱天ニハ雨ヲ降ラシ霖雨ニハ之ヲ晴ラシ千五百秋ノ瑞穂ノ國土ヲ永遠ニ潤シテ五穀豐饒ヲ守ラセ給フ廣大ノ御神徳アリサレバ朝廷ニ於テ炎旱霖雨ノ際ハ髙オカミ神ヲ祀レル社ニ奉幣祈祷ヲ給フヲ例。由緒…慶長元年勸請明治六年三月村社ニ列セラル』
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狛犬は参道から見ると、顔だけ社殿を振り返っているようなスタイル。
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境内の隅に山頂薬師堂がありました。
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庚申塔など。
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山神。
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女坂。
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かつての桜庭村で、津軽一統志によりますと、桜庭山陽光院の由緒書に、藤氏支流桜庭良正が南部から入った時、大浦為則より桜庭村を所領として与えられたとありますが、その年時は不明。
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慶安2年道筋帳によりますと、宮地村か国吉村を経て川原沢金沢へ至る道筋があり、集落はこの目屋街道沿いに発達。
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貞享4年検地水帳によりますと、村中抱えの八幡社があります。
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明治初年には一時多賀神社の相殿となっています。
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明治6年村社。
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末社。
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字は消えて読み取れませんが薬という字が見えました。薬師様かな。
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御神馬。
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こちらは何だろう。壊れた燈籠にも見えますし、どことなく動物にも見えます。
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