くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2015年01月

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唐竹の水神である弁天様です。古来より村人の崇敬が篤いといいます。
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『水神竜神 十和田信仰』(小館衷三)にも一応紹介されていますが、水神であるという一文のみです。
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弁天宮360周年記念之碑。昭和50年旧6月16日文化財保存会。
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創立は元和9年(1623)とありました。元和9年といえば薬師堂(阿蘇神社)が再建された年と一致します。石灯籠には「安政四丁巳年相馬長七」と刻みます。
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地内にあります阿蘇神社(旧久須志神社・旧薬師宮)の境内に古くからあった伝え、明治3年に胸肩神社へ改称しようとしましたが、廃堂を命ぜられて久須志神社に合祀されたとあります。竹館村誌によりますと「胸肩神社 水上の諸社」とあります。境内には「大正10年6月胸肩神社跡 相馬理太郎」と刻む碑もあったそうです。祠は神明宮と牛頭天王の祠らしく、かつては狛犬もあったようですが見当たりませんでした。
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現在の弁天宮は阿蘇神社から離れており、また、弁天宮も阿蘇神社も阿蘇ケ岳から離れて鎮座しております。阿蘇神社の由緒によりますと、村から一里余りも離れて不便なために正徳6年(1716)、阿蘇ケ岳から薬師沢に本殿を遷したそうで、以上のような経緯と豊富な湧水の場所との関連から現在地に鎮座しているのかも知れません。
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想像以上に水の勢いがあります。
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山側の至るところから弁天宮周囲の池に流れ込んでいます。
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弁天池の中央に小島があり、渡れるようになっています。
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句碑。だから達筆過ぎると読めないのですよ…。
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一の鳥居近くの松。
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ニの鳥居。
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これは…鳥居ではないですね。
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境内は巨木に囲まれています。
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かつての唐竹村で、貞享4年検地水帳によりますと、善太夫抱えの薬師堂地24歩と境内林が見えます。
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北西に新館村と沖館村、北東に広船村に至る道があり、南東には軍馬平に向かう山道があります。これが中世の南部・秋田への街道だったそうです。
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薬師堂は延暦10年(791)に坂上田村麻呂が薬師神を阿蘇ケ岳に勧請し、元和9年(1623)に薬師堂再建、正徳6年(1716)に村の有志が薬師沢に遷したと伝えます。
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明治3年に神仏分離によって久須志神社と改称した後、更に明治15年に阿蘇神社へと改称。境内には古くから弁天堂があったといいます。
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狛犬一対。
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向拝の立派な彫刻。
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社殿の側面上部等にも細かい彫刻が色々施されており、これがまたユニークで見応えがあります。
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脇障子も立派。
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こちらは脇障子前にありました。
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本殿。
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境内にあった由緒より…『當村より南の方に壱里余隔て阿蘇嶽と云う山があって、古昔延暦十年勅命によって坂ノ上ノ田村麿将軍が東蝦征伐の折山頂に本陣を据え夷を退治の末田村麿将軍が眼病に罹り難儀せられ、或夜の夢にいとも尊き二人の美女が顕われて、是より奥二十丁位経て清水あり、其水にて目を洗うならば忽ちに平癒疑いなし。我は此の土地を鎮め守る少彦名神であると聞いて夢が醒め、あたりを見ても人影更になく、是れ正しく神の御告げを信じ山頂より二十丁程下り清水をさがしたが見当らず、道に大きな石が横たわりその石に膝をついて禮拝すると不思議にも将軍の烏帽子が西の方数丁の彼方に飛び落ちたので、其所へ行って見ると果して清らかな泉がありこれこそ神の授け賜いしものと畏み清水を掬い目を洗ったところ忽ちに平癒しその徳を感じ眼病守護のため阿蘇嶽に剣を埋め薬師神と崇め社殿を建立せるも、遠隔のため参拝者の不便を考え正徳六丙申年渡辺平太左衛門字薬師澤の地へ社殿を遷す。明治2年神仏分離令により仏体取り除き阿蘇嶽古社より出土の鏃を祭神少彦名神の神璽として崇め祭替えして村社に列せられる。-古記抜粋-平成四年三月二十八日阿蘇神社氏子総代敬白』
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この由緒に出てくる清水こそ有名な渾神の清水(名水百選)。神社から少し離れた場所にあります。
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相馬貞一翁(りんご栽培に生涯かけた人物。『りんごを拓いた人々』第17話にも登場する有名な方。)鎮魂碑等。
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忠魂碑とその前に置かれている石。
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祈念の碑…「昭和60年を壽き、日本名水百選渾神の清水を祝い古き社の由来を記し、以て古里の弥栄を祈願奉る」とあり、内容は上記由緒と同じです。
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末社。
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石が祀られています。
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貞享4年検地水帳によりますと、権現堂地、稲荷社地が見えます。
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権現堂地は中世の草創と伝承され、法量権現を祀り、同権現は子授け・安産神として婦人の参拝者を集めました。
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明治初年の神仏分離によって廃堂となり、淡島神社として再興します。
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小舘衷三氏の『津軽ふるさと散歩』によりますと、「最も有名なのは青森市の孫内の淡島様である。ここは浪岡の五本松から山を越えて行く人が多かった。(中略)…ここの淡島様の別当、我満惣之助の先祖が、山で七、八寸の陽根石をみつけてきて祀り、これを拝むと子宝が得られ、また、お産が軽くなると信じられるようになった、という。ここの祭神は伊弉諾、伊弉冉命の夫婦神であることからきているのであろうか。一般には少彦名命を祀り、本地仏は薬師様で(中略)…孫内の淡島様の別当?の老婆は面白い人で、参詣の人に、この石棒をにぎらせてみて、汗をかいた人には子ができる、とご託宣を云う。それがよく当ると評判である。奉納されている絵馬を見ると、お産、育児のものが多いが、なんといっても圧巻なのは堂後にある「うまや」である。(中略)…木馬、馬人形があるわあるわ、数十、数百もあるではないか。これは産人の神様の乗ってくる自家用車なのである。お産が軽く、早く済むように助ける神様に早く来て下さいというので、産前に願い、産後にはお礼に納めているのである。祭日は旧暦の四月十四日で、昔はおなかの大きい妊婦が列をなしてお詣りしたという。この神社の出張所ともいうべきお宮は、弘前市石川の堀権現で、個人の屋敷内であるが立派な堂社が建っている。」
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あと1ヶ月もすれば出産をするという頃にお参りに行き、ロウソク・麻の紐・御守り・護符を貰い、陣痛が始まると護符を飲んで神棚のロウソクに火をつけて拝むそうです。ロウソクの火が消えると赤子が生まれるとだとか。また、社殿内には御神体とは別に保管してある長さ40㎝程の細長く服を着せた石が10本程あり(上記の陽根石)、それを抱いて寝て、石が汗をかけば子宝に恵まれるといわれおり、願いが叶った場合には倍返しすることになっているそうで、これは現在も続けられているようです。
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通常社殿は鍵がかかっていますが、近所の方々が鍵を輪番制で預かっており、社殿正面に書かれている電話番号にかければすぐに来てくれるそうです。興味津々ですが、さすがに興味だけで呼び出すのは失礼なので遠慮しました。
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本殿。
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本殿の横に馬屋(厩)があります。木馬の塗りがはげてくると祭日前に集落へ連れて帰り、綺麗に塗り直して再度奉納するそうです。お産の神はこの馬に乗って来ると云われています。
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こちらも鍵がかかっていますが窓から見ることができます。
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窓からなので写真はうまく撮れませんが確かに圧巻!
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水神の五帝竜神です。参詣した人々は祠前の2つの池でサンゴをうちます。半紙を小さく切ったものを3枚ほど重ねて米を包み池の水面に浮かべます。半紙が広がって沈むと願いが叶って御利益があるといい、また、お金を包んでお産が軽くなるようにと願い人たちもいるといいます。
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御祭神は五帝竜王と水波乃女神。雨乞いの神で石川地区(石川・大沢・松木平)の人たちがわざわざここまで来て雨乞いしたといいます。孫内の人たちは石川城の落武者が住んだところで、我満という苗字が多いそう。
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境内にある由緒案内板は小舘衷三氏の青森県の民間信仰の内容でした。よって上記と内容が被りますが、私が中略とした部分も少しあるので一応掲載しておきます。
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淡嶋信仰『子を授けて欲しい安産であってほしい子が丈夫に育って欲しい祈願する信仰は全国的なものであるが、孫内の淡嶋神社はお産の神様として津軽一円にわたって古くから信仰されてきた。そのはじまりは藩政初期に津軽の殿様が惣染堂を建て父、母、子馬の絵馬を献納した事によるともいわれ、また我満助太郎なる人物が山中で陰陽石(陽根石)を見つけ祀りこれを拝むと子宝に恵まれお産が軽くなると信じられるようになったとも言われている。いずれにしても藩政時代(1680年代)からお産の神様として厚い信仰の対象であった。木馬奉納は古代から神様の乗物は馬であり最も速い乗物であったことから神様に早く来てもらいお産を助けてもらうという願いがあり無事出産したお礼に木馬や絵馬が奉納され現在は社殿の裏に木馬や絵馬がおさめた小屋があり百体をこえる木馬が納められている。(淡嶋神社祭礼の日は、旧暦の四月十四日である。)』
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