くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2014年10月

イメージ 3
近くには日蓮宗高楯山妙竜寺(寛永年間にあった正行庵跡地に昭和22年建立)や高楯城趾があります。
イメージ 4
御祭神は宇賀魂命。宝暦12年(1762)勧請と伝えますが、貞享元年に飯詰村庄屋作右エ門が藩へ提出した天和の書上帳添図によりますと、現在地に「稲荷宮地長二間横二間草山場広」とあり、勧請年は更に遡ると考えられます。
イメージ 5
イメージ 6
イメージ 7
高楯城南丸の西方に祀られる正一位稲荷大明神で高楯城の城神です。
イメージ 8
古来高楯城の地名は飯塚盛と称しており、また稲城とも称したそうです。
イメージ 9
イメージ 10
正平6年(1351)藤原藤房公が伊勢神宮の外宮豊受大明神宮司藤原総宮大夫山城守より守尊符に持参した御神体。
イメージ 11
イメージ 12
大正12年6月本殿・幣殿・拝殿改築。昭和26年6月本殿・幣殿・拝殿改築。昭和61年幣殿・拝殿新築。
イメージ 13
イメージ 14
年末12月31日に行われる裸参りが有名で、毎年全国各地から有志が集まるそうです。「サイギ、サイギ」のかけ声とともに約500m練り歩いて五穀豊穣を祈願し神社へ供物を奉納するそう。
イメージ 15
末社。
イメージ 16
1つは石が奉納されていました。
イメージ 2
もう1つは大山祇神?
イメージ 1
イメージ 3
イメージ 2

イメージ 1
創建不詳。かつては大宝寺城内西御門付近にあった城内天神でした。
イメージ 2
天保11年(1840)の由緒書上帳によりますと、慶長8年(1603)最上義光公がその城代原美濃守に命じて、城池改築の折、城内西門脇の天神を城下五日町に遷座。御神体を奉安してある御厨子が逸品で総桧柾材であることから、少くとも文明(1469~1486)直前頃創建と推定。
イメージ 3
延宝2年(1674)旧天神町西に、更に宝永7年(1710)現在地に遷宮。
イメージ 4
御祭神は学問の神である菅原道真公ですが、豊作・災難除け・海難除けなど幅広い御利益があります。
イメージ 5
拝殿は昭和48-49年に屋根こそ茅葺から銅板葺に替えられましたが、宝永7年遷宮当時のままの重厚さを保っています。
イメージ 6
イメージ 7
本殿・幣殿は昭和6-7年に造り替えられました。
イメージ 8
多くの藩士の名を連ねる数々の絵馬がその信仰の篤さを物語ります。
イメージ 9
イメージ 10
通称化けものまつり(天神祭・庄内三大祭の1つ)が大変有名です。道真公が九州太宰府に配流された時に公を慕う人々が時の権力をはばかり、姿を変え顔を隠して密かに酒を酌み交わし、別れを惜しんだという言い伝えにちなむ歴史深い祭りで、5月25日の例祭当日には城下町のあちこちに化けものが出現するそう…楽しそう♪
イメージ 11
神輿殿。
イメージ 12
イメージ 13
イメージ 14
稲荷神社。
イメージ 15
八幡神社。
イメージ 16
イメージ 17
地主神社・慈善社。
イメージ 18
イメージ 19
石碑・末社等。
イメージ 20
孝行橋…橋は?(笑)
イメージ 21
手水舎脇に金剛力美濃守力石という碑がありました。
イメージ 22
これが力石かな…齊藤美濃守君碑と彫ってあります。
イメージ 23
天満宮・猿田彦大神。
イメージ 24
イメージ 3
イメージ 2

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3
御祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命。
イメージ 4
創建不詳。
イメージ 5
弘前并在々浦々建立堂社帳によりますと、「大川村、熊野宮、永禄6年」 とあります。
イメージ 6
安政2年神社微細調・社司書上帳によりますと、「大川村、熊野宮一宇、右者、初創年月不明に候えども、慶安4年、村中繁栄のため再建仕り候」とあります。
イメージ 7
貞享4年検地水帳によりますと、宮太夫抱えの熊野堂と村中抱えの熊野堂地があり、当熊野宮は宮太夫抱えの熊野堂と考えられます。
イメージ 8
明治初年に青女子村の日吉神社に相殿として遷座していました。
イメージ 9
御神馬。
イメージ 10
狛犬の台石にミニ狛犬。
イメージ 11
イメージ 12
イメージ 13
イメージ 14
イメージ 3
イメージ 2

↑このページのトップヘ