くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2014年09月

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福島城の支城。
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嘉吉3年(1443)又は永享4年(1432)、三戸南部氏によって福島城を追われた安東盛季は唐川城、そして柴崎城へと逃れたそうです。
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安倍安藤氏顕彰之碑。
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案内板より…
「唐川城は十三湖の北岸に位置する標高160mの山城である。城郭は堀によって、大きく3つの郭(北郭・中央郭・南郭)からなる平坦面と帯郭で構成されている。北・南郭には現在でも大きな井戸跡がある。城郭は十三湖や日本海の状況が手に取るように把握することが出来る理想的な立地であった。」
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展望台もあり景色がとても良いです。
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正面の岩井牧場と十三湖のコントラストがいいですね。
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写真ではわかりにくいのですが、遠くには岩木山も見えるのですよ。
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牧場に近寄ると…
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うわっ!みんなこっち見ている(笑)
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こちらは外浜奇勝にある菅江真澄の絵です。唐川城跡から十三湖や岩木山を描いたものです。
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すぐ春日内観音堂があります。
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また古館遺跡も近郊にあります。
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町田は弘前城下西北、北は中崎、南は船水、西は藤内、東は岩木川に接する村。
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天文年間(1532-1555)の津軽郡中名字に町田とあり、また慶長14年(1609)の町田勝右衛門宛の津軽信枚黒印知行宛行状に村名があります。正保2年(1645)の津軽知行高之帳では鼻和郡に村名があります。
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一の鳥居からは直角に曲がるように参道が続きます。
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町田八幡宮の御祭神は誉田別尊。貞享4年検地水帳に村中抱えの八幡社地があります。
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当神社は、文明年間(1469年~1487年)には南部氏の家臣町田孫十郎、慶長15年 (1610年) には津軽氏家臣藤三郎が館主となり、町田館の館神として祀られ、明和の頃より町田村の氏神として村民の崇敬を集めていました。
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現在も館跡地を境内としています。
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境内はまるで堀跡に囲まれているよう。
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ししおどし手水舎。
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御神馬も阿吽な感じ。
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現在の拝殿は平成12年7月に新築したもの。
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庚申塔…猿田彦大神&月夜大神。
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青面金剛とお地蔵。
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鎮座350年祭記念、400年記念碑など。
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青森市内で最も古い縁起を持つ神社です。
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大星神社まで遠い村の人々は昭和初期まで馬で参拝。藩政時代には大鳥居の左に下馬があり、合子沢川の橋を渡った右側に馬を繋いだそう。
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御祭神:天之御中主神(妙見大神)、稲荷大神、八幡大神、大山祗神、春日大神、下湯薬師神、白龍神、青龍神、黒龍神、十和田龍神、八大龍神、天神地祇神。
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左方:磐裂神・根裂神・素戔雄神。右方:経津主神・武甕槌神・神倭磐余彦神・日本武神。
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天文年間(1532-1555)の津軽郡中名字に妙見堂の名が見えます。貞享4年検地水帳によりますと横内村地内泉川に妙見堂地・境内林4町8反余が見えます。弘前藩主の祈願所で外ヶ浜一帯の住民にも崇敬された妙見宮(妙見堂北斗寺・横内妙見とも呼ばれます。※蓮華寺は北斗寺を移したものとも伝えます。)の詳細な由来については以下に記します。
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延暦11年(792)、蝦夷鎮護の祈願所として草創。延暦20年、坂上田村麻呂将軍東夷征討の時に本社殿を再興して妙見宮と称し天之御中主神を祀ります。
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津軽藩の成立により外ケ浜の古社として津軽為信公が再建し、慶長年間(1596-1615)に塩足翁彦神社を合祀。元和4年(1618)2代信牧公の社殿修復参拝を賜り、4代信政公は社殿の再建並びに庭園を築いて桜樹を移植し境内を整備し、9代寧親公は幕府より蝦夷地警備を命じられ、蝦夷征伐に由緒が深い当神社に壮麗なる本殿を構築し、御神器諸物、御真筆の社号(妙見堂)の額を奉納。明治3年(1870)まで妙見宮と称していましたが、同年神仏分離令により大星神社へ改称。妙見菩薩像は蓮華寺に移されました。
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菅江真澄が津軽の奥にて次のように記しています。『左手に妙見菩薩の林があり、神さびた鳥居をはいって大同の昔をしのんだ。仏や菩薩を祭る寺にも鳥居をたてて、しめをひき、神のようにあがめ祭るのは、すべで陸奥の習俗である。』
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また、菅江真澄がすみかの山で次のように記しています。『妙見堂は丑寅(北東)にむけて、大きなとちの木の下につくられてあり、未申(南西)に荒川の水が流れて、たいそう涼しい。かの胆鹿島の社のあったあとをたどり、正徳4年(1714)と書き記されてある石灯籠に歌をかきつけた。そのむかし、天台宗の北斗寺という寺があったという。神主阿保某のもとに代々伝わる獅子頭があり、また古い仮面が7つ蔵されている。神主阿保安政が語るには、「田村麿が征夷大将軍として蝦夷人をおびやかそうとしたとき、大勢の兵士らが着けた面だとか、北斗七星になぞらえて神事の舞がおこなわれたときの7つの面だとも言い伝えられており、むかしは12面あったとかいわれています。この面を人に見せてはならないと、遠い先祖のころから唐びつのなかに深くひめかくして、さらに見せたことがありません」という。』
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坂上田村麻呂と古面について(小友叔雄筆『鬼面と阿屋須の伝説』より)…『(前略)田村麿将軍は事の容易ならざるを感じ、北斗七星に北方鎮護のため悪鬼退治の冥福を祈り寝につきたるに、夜中北斗七星降り告げて曰く、この仮面を被りて兇賊を征せよと。目が覚めて、あたりを見るに計らずも枕上に鬼面七箇があった。これ神の賜ものなりと、神慮の程を畏み奉りて、夜の明くるを待って隊長七名にこの鬼面を被らして、井戸沢を指して進撃せるに、不思議や番狗いかに胡茄吹けども雲霧起らず、毒矢を放つもあたらず、これをみて鬼賊共おそるること甚しく、ついに井戸沢の巣窟をのがれ出でんとするもの多ければ、女酋阿屋須これを制し、自ら修羅王のごとく荒れふせぎ戦うと雖も、力つき擒となり本営行岳に送られた。副首領頓慶なるもの頓慶山に潜伏しおるを知り、これを攻めたるに、これまた如何に胡茄を吹き、毒矢を放ちたるも何んの効がなく、鬼賊共捕えられ、副将頓慶は佐和山において遂に討たれ、田村麿将軍は夷賊平定後、横内村に鬼面七箇を納めて妙見社と崇め、北斗寺を建てて祀った。』
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花崗岩の大鳥居は文化6年(1809)に狩谷えき斎(江戸本郷湯島の米問屋津軽屋の当主)により建立。
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右「爰修其祠我侯粛霊辰昭臨永賚多福」
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左「文化六季正月 狩谷望之建」
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花崗岩は江戸から海上運輸されたものと考えられています。鳥居を寄進した文化6年には蝦夷地警備を命じられた9代寧親公も神器と額を奉納していることから、津軽屋の寄進も蝦夷地警備に絡んだものと思われ、妙見堂と青森湊の関わりを示します。塩足翁彦神社の合祀もそうですが大星神社は海運と深い結びつきを感じます。
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昔は境内が綺麗に濠に囲まれて、大きな神楽殿(妙見宮の辺り)があったようです。
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手水舎。
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土俵。
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本殿。
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妙見宮。
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社号の額。
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妙見宮内。
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妙見市民館。
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薬師神社。薬師神社右側には土居跡などが残っています。
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不明の社。境内左に村の各家で祭っていた屋敷神が集められ、神主が祝詞をあげて拝んでいるというようなことを何かの文献で読みましたが、これがそうなのかはわからず。
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記念碑等。
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厩舎。
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石碑がたくさん祀られています。
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「石神大明」、「金毘大明」、「馬頭観音」、「猿田彦大神」、「栗島大神」、「不動明王」、「山ノ大神」、「竃神明」、「龍神大明」、「二十三夜」、「庚申大明」。
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円形の池がありました。
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橋で中央に渡れます。
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中央には何らかの石があるだけでした。黒い蛇もいましたけど…。
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こちらには…
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猿田彦大神。
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馬頭観世音菩薩。
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季節外れのシダレザクラ。
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妙見橋。
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新妙見橋。
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新妙見橋のたもとに大豆坂街道の追分石(1807)があります。
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立派な追分石です。
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「右弘前 左横内」。
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