くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2014年07月

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社号標横の地蔵堂。
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由緒等は不明ですが、昭和11年に36戸(内21人が船沢村出身)が入植して開拓された場所です。つまりそれ以降の勧請と考えられます。ちなみに上弥生は戦後の開拓であり、旧岩木町に属しますが、弥生は船沢地区に属していることから異なる地域となります。どちらの地区の住民も開拓にあたり、とても努力と苦労を重ねてきたはずです。
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保食神社は弥生地区の産土神として崇敬されてきたのでしょう。
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社殿。
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本殿。
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児童愛護林という御大典記念碑には昭和3年11月の紀年銘と富栄尋常高等小学校の文字が見えました。現在の弘前市立船沢小学校です。
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弥生町建立の庚申塔。紀年銘は昭和39年9月10日。
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足元に「S59年結友会12名」という石版がありました。弥生地区の青年部らしく、弥生登山道の刈り払い等の活動が行われているみたい。
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錦華公園の東側を文化学院前のとちの木通りの方へ上る坂。坂下を道なりに進めば富士見坂の中腹に交差、坂の途中で山の上ホテル側へ進めば吉郎坂の坂上になります。坂上は神田駿河台。
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意外に細長い坂道で、周囲の建物や錦華公園の樹木等によって薄暗さを感じます。緩やかに湾曲しています。
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標柱より…『この坂を錦華坂といいます。名称は坂下に錦華小学校があるからです。この坂を勧学坂と呼ぶのは誤りです。この坂は大正13年(1924)8月政府による区画整理委員会の議決により新らしく作られた道路です。「議決要綱の三」には「南甲賀町より袋町三番地を横断して裏猿楽町二番地先錦華小公園東側に通ずる六米街路を新設」とあります。』。
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この坂を勧学坂と呼ぶのは誤りです…何も言ってないのにいきなり間違いを指摘される(笑)
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勧学坂はかつてこの付近に存在した坂でしょうか。江戸時代に錦華坂は存在せず。この付近の坂道の説明板には「大正13年(1924)8月政府による区画整理委員会の議決により新らしく作られた道路」という記述がよく見られ、恐らく関東震災後の区画整備により、かつての坂道は消え、全く新しい坂道になったということなのでしょうね。ちなみに夏目漱石が学んだ錦華小学校は現在千代田区立お茶の水小学校となっています。
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御祭神は大国主命、事代主命、大山咋命。
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貞享4年検地水帳によれば甚之丞抱えの山王堂がありますが、これが日吉神社です。
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創建不詳ですが、貞治3年(1364)大和国南都の田村作ノ丞が建立し、永正年間(1504~1520)に大浦光信(1460~1526年)が再建したと伝えられます。
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結構な歴史がありますね!
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明治初年の国誌によれば相殿に地内の八幡宮、稲荷神、大川村より遷座した熊野宮、稲荷神が祀られています。
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本殿。
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鍵がかけられた社殿内に鬼コがいます。
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かなり個性的。
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大きさも結構あります。
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保食神(満州事変・支那事変)と忠魂碑。
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庚申塔など。
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聖観音菩薩。
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福神。
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忠魂碑。裏の建物は物置小屋。
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末社。
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左の祠は水虎様などが祀られます。
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右の祠は牛頭天王尊。
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脇侍の…猫!?(笑)
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裏手は川です。
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境内のもう一つの建物は観音堂でした。
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石碑にあったように聖観音菩薩なのかな。
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津軽三十三ヶ所観音霊場御朱印がありました。よく見たら入内観音堂のご朱印だけがまだ…あと一つ…もどかしい(笑)
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