くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2014年01月

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御祭神は大国主神、少彦名神。 
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かつての千年村で昔は勝田村と称しており、延宝・貞享年間までに開村し、千年村に改称。千歳村とも書いたそう。
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宝永2年6月8日勧請。
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明治6年4月に稲垣村沼舘に鎮座する天満宮を合祀。この天満宮は宝暦2年に稲荷神社を合祀、大正5年に二柱神社と改称して現在に至っています。翌7年12月復社。 
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拝殿軒下に般若(( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
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大黒天は神道の大国主神。
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紀年銘昭和12年の馬頭観世音。
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庚申塔など。事前の調べでは境内には甲子様3基、猿田彦大神3基、二十三夜塔、馬頭観世音2基、大黒様石塔、稲荷様、馬石造、岩木山があるといいます。
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こちらは岩木山。かつては女性が岩木山に登拝できなかったために、ここで拝んでも御利益があるようにと建てられたものです。
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この方は不明。
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スマートな狛犬。
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必死にしがみついているミニ狛犬。
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近くに地蔵堂があります。旧稲垣村には化粧地蔵が数多く存在します。
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地蔵様と水虎様が向き合って安置されているとのことでしたがわからず。
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こちらの水魂神塚は『水虎様への旅~農業土木文化の時空』でも紹介されています。これを水虎様としているのかは不明。水魂神塚は明治43年に中島谷直吉家で建て、その後ここに移転したものです。
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一の鳥居に鬼コがおります。
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細長い参道が山へと伸びています。
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鳥居があって…
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更に…
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山の上へと伸びています(笑)
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思ったより急な参道でした。
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上りきったところに金木町名木アカマツ3本。
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樹齢推定500年。
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かつての中柏木村になります。
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安政2年神社書上帳によりますと、元禄年中の頃に嘉瀬村の薬師堂が当山へ飛来したとあり、長富村と同新村と共に祭祀修復にあたったと伝えます。このほか、地内鎧石に磯崎神社があり、明治6-8年には小田川村の立野神社に合祀されています。
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御祭神は大己貴命、少名彦命。
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青森県神社庁によりますと建立年月日不詳。文政年中の勧請。
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明治6年旧小田川村立野神社へ合祭のところ同年復社。同9年村社になり、大正11年4月幣帛供進神社に指定され、昭和25年6月境内地譲与。
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こちらは馬頭観世音。
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こちらの小さな祠には…
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石版女神型の水虎様。
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さてと…
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下りますか…。
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盛岡天満宮の南西に位置します。
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御祭神は底筒男命、中筒男命、上筒男命、神功皇后。別当は津守越後で航海安全の神として信仰されました。
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元は下厨川村境田川原に鎮座した古社で(一説によりますと康平6年(1063)、源八幡太郎義家が厨川の柵政略の際、大阪の住吉大社の御分霊を厨川・住吉の地に勧請し、戦勝祈願に併せ地方鎮護の神として崇敬を捧げたといいます。)、寛政の頃に商船が行方不明になった時、卜者が色々と占っても不明で、当社の別当の霊感によって行方が判明したことから、商人たちに大いに信仰が起こり、新庄村の藤ヶ森の地を願上げて、同7年頃に新たに社殿を建立して遷座したと伝えます。
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社前の石灯籠には海上安全・大坂問屋中などの文字が刻まれています。かつては社前を流れる川を桜川と称し、それに沿って盛岡天満宮から盛岡八幡宮前へ通ずる道は往古の街道だったそう。
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社地は盛岡藩主の別荘である藤ヶ森屋敷の内といわれます。
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元禄11年(1698)、南部行信により御殿・御茶屋などの華麗な普請が行われ、大蔓の藤があったので藤ヶ森御屋敷と称したそう。藩主が遊山のため当社を訪れ、更に東方にあった谷屋敷まで御殿の裏伝いに逍遥したといいます。後に楓樹が植えられ、同15年には楓の森屋敷と称されました。
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本殿。
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こちらは本殿の横にありました。
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神楽殿でしょうか。工事中です。
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社務所。
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御由緒
『当神社は、今から900年前の康平年間、陸奥守源朝臣頼義公が、安倍貞任討伐の勅命を奉じ、陸奥に下向の節、大阪住吉大社の御祭神、底筒男命、中筒男命、上筒男命、及び神功皇后御4柱の御神霊を勧請して、当時の岩手郡厨川村住吉の地に奉祀せられたもので、尓来地方民の信仰篤く、歴代南部藩主も亦殊の外崇敬せられ、33世利視公の寛政7年5月18日、社地を御寄進、社殿を御造営し、現在の地(当時岩手郡浅岸村字藤ヶ森)に遷座申し上げ今日に至ったもので海上守護、縁結び、浄化の神、交通安全、商業繁昌、詩歌文敎、安産の守り神として“住吉さん”の愛称を以って市民大衆に親しまれています。今日2000坪の広大な境内に繁げる欅の大木や、端麗精巧な8基の大燈籠は当神社の叙上の由緒を雄弁に物語って居り、最近は自動車の交通安全祈願や、入学考試の成功などに、霊験あらたかなりとして広く若人たちの尊信するところとなって居ります。』
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盛岡市指定有形文化財
『住吉神社の石燈籠八基。住吉神社は寛政7年(1795)5月20日、下厨川村から当所に遷座された神社で、石燈籠は遷宮9年後の文化元年(1804)から8年かけて4座4対の合計八基が奉献設置された。側面参道向き部分には「海上安全」の刻字があり、住吉信仰に基づく航海安全の祈願崇敬によって奉献されたものであることがわかる。願主は「大坂問屋中」とあり、盛岡城下の豪商近江屋・渋屋をはじめ、領内各地及び上方と広域な経済交易に関係した人々によって寄進奉納された。石燈籠はすべて花崗岩製で、昭和4年の市道新設にともなう社殿と参道の移動により、北側へ12m並行移動して現在地へ移設されたが、ほぼ奉納創建時と同じ配置で復元されている。江戸時代後期の盛岡城下における経済流通史及び地方文化の特徴を如実に物語る貴重な石造記念物である。』
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指定保存樹木3本(ケヤキ2本イチョウ1本)があります。また7月14日~15日の例祭では神楽、民謡など郷土芸能の奉納や、カラオケ大会、ビンゴ大会、餅撒き大会など各行事を行っており、特に締め括りの富くじ大会では沢山の氏子が参加して盛大に行われているそう。
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