くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2013年11月

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浅草神社社殿裏手にあります。
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御祭神は倉稲魂命。
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安政元年(1584)に新門辰五郎の妻が重病で床に伏したとき、山城(現京都府南部)の伏見稲荷神社に祈願したところ、その効果があり病気は全快。同2年に町の人がお礼の意味も込め、伏見稲荷神社から祭神御分身を当地に勧請。その後、小社を創建し被官稲荷神社と名付けられました。
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現在は浅草神社の末社としてその境内に祀られています。
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名称の由来は不明。被官とは官を被るということから、就職・出世と解せばよいとのこと。
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被官稲荷神社正面の鳥居は新門辰五郎により奉納されたもの。
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安政2年に創建。一間社流造。
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社殿は杉皮葺で創建以来のものであり、間口1.5m、奥行約1.4mと小さいものですが覆屋を構えて保護されています。
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覆屋は大正期の建築物と推測。
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関東大震災・東京大空襲にも奇跡的に焼け残った大変貴重な建築物となっています。
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御祭神は土師真中知命、檜前浜成命、檜前竹成命。相殿は徳川家康、大国主命。
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旧称は三社権現・三社明神社といい、現在でも三社様として広く親しまれています。
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『推古天皇の36年3月18日。漁師の桧前浜成・竹成兄弟が隅田川で漁労に精を出していましたが、一匹の漁もなく網にかかるのはただ人型の像だけでした。幾たびか像を水中に投げ捨て、場所を変えて網を打ってもかかるのはやはり人型の像だけでした。兄弟も不思議に思い、その尊像を捧持して今の駒形から上陸し、槐の切り株に安置しました。土師真中知にこの日の出来事を語り一見を請うたところ、土師氏はこれぞ聖観世音菩薩の尊像にして自らも帰依の念心仏体であることを兄弟に告げ、諄々と功徳、おはたらきにつき説明しました。兄弟は初めて聞く観音の現世利益仏であることを知り、信心をもよおされた二人は深く観音を念じ名号を唱え、「我らは漁師なれば漁労なくしてはその日の生活にも困る者ゆえ明日はよろしく大漁を得させしめ給え」と厚く祈念。翌日に再び網を浦々に打てば願いのごとく大漁を得ることができました。土師真中知は間もなく僧となり、自宅を改めて寺となし、観音像を奉安して供養護持のかたわら郷民の教化に生涯を捧げました。これが浅草寺の起源。土師真中知の没した後、間もなくその嫡子が観世音の夢告を受け、三社権現と称し御祭神の3人を神として祀ったのが三社権現社の始まり。以上によりますと、創建は1350年程の昔となりますが、これは少々無理があり、平安の末期から鎌倉にかけて権現思想が流行しだした以後、三氏の末裔が崇祖のあまり浅草発展の功労に寄与した郷土神として祀ったものと推定されます。奇しくも明治維新の神仏分離令により浅草寺との袂を分かち、明治元年に三社明神社と改められ、同6年に現在の名称に至ります。』
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社殿には鳳凰・麒麟・飛龍などの霊獣が描かれていて大変美しいです。
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狛犬。
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境内の片隅にひっそりといた狛犬。
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かわゆす。
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屋根の上にも狛犬。
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神楽殿。
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神輿庫。
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花塚。
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文化元年(1804)建立。
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江戸・東京の農業「檜前の馬牧」について。
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初代中村吉右衛門句碑。
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「女房も同じ氏子や除夜詣」。
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花柳壽輔の句碑。
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「雷は田町をよけて鳴りわたる」。
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古扇納め箱について。
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扇塚。
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百度石。
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友情はいつも宝物碑。
『1976年に、「週刊少年ジャンプ」で連載を開始して以来、多くの人々に愛されてきた「こちら葛飾区亀有公園前派出所」。物語の舞台となるここ浅草は主人公である両津勘吉を育み、また多くの感動を生み出してきました。この碑は、両津勘吉の少年時代の友情を描いた「浅草物語」にちなみ、人を思いやる気持ちの大切さ、そして子供たちが夢や遊び心を忘れず健全に成長してくれるよう願いを込めて建てられました。』
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『ある日、浅草で一緒に遊んだ同級生が偶然再会。かつての悪ガキ両津勘吉は警察官に、かつての優等生は、逃亡犯になっていました。両津は、子供の頃にここ浅草神社(三社様)の神木、槐(えんじゅ)の木の下に一緒に埋めたベーゴマの話を持ち出して二人の友情を確かめ合いました。そして、逃亡犯は自首することになったのです。』
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「こちら葛飾区亀有公園前派出所」石碑建立記念タイムカプセル埋蔵の碑(2015年8月6日開封予定)。
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神木『槐』。
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神木『槐』の木の由来。
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市川猿翁の句碑。
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粧太夫歌碑。
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久保田万太郎句碑。
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「竹馬やいろはにほへとちりぢりに」。
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川口松太郎句碑。
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「生きるということはむずかしき夜寒かな」。
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その他、河竹黙阿弥顕彰碑など多数の石碑等があります。ちなみに下の写真は読めなかった石碑(社殿横の石碑)。
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※社殿裏の石碑等は「金龍山浅草寺~其之肆」の記事に一部掲載しております。
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本堂裏築山周辺を散策。浅草神社裏手から浅草寺裏手にかけて。
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一葉観音像。
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竹本津賀太夫の碑(文政10年(1827)建立。「大江戸のつよきひいきの力にぞ、かかる千曳のいしぶみはたつ」)。
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菅沼定敬の歌碑(嘉永3年(1850)建立。「敷島のみちにはせきもあらなくに、なとてこころのとほらざる覧」)。
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山東京伝机塚の碑。
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大谷米太郎夫妻像(昭和42年建立)。
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宝篋印塔。
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法華経供養塔(享保19年(1734)建立)。
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消防殉難者表彰碑(大正元年(1916)建立)。
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如意輪観音像(享保20年(1735)僧常念造立。写真左)・法華経供養塔(延宝5年(1677)木食阿闍梨安信和尚造立。写真中央)・地蔵菩薩像(堺町の山城屋万之助が先祖供養の為に建立。写真右)。
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十万人講供養塔(享保6年(1721)観音堂修繕に際して別当公然僧正が組織した講中)。
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二層四面に十六羅漢像を肉彫りした宝篋印塔(寛延2年(1749)萩原三郎右衛門奉献。写真左)・宮古路豊後椽の墓(写真右)。
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阿弥陀如来像。
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釘供養碑。
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その他、並木五瓶句碑、宝篋印塔(宝暦3年(1753)建立)等があります。
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こちらは九代目市川団十郎の十八番「暫」の銅像。
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十二代目市川団十郎襲名を機に復元。
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新奥山。
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瓜生岩子銅像。
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三匠句碑。
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一葉観音像(右)・高橋石斎の碑(左)。
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戸田茂睡墓と半七塚。
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戸田茂睡墓。
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半七塚にいる三足蛙。
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曽我廼家五九郎顕彰碑と永生の壁。
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喜劇人の碑。
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新奥山にはその他に会田先生算子塚、正岡子規句碑、映画弁士塚、石井漠「山を登る」記念碑、浅草観光纉緒の碑、五瀬植松碑、三十六歌人碑、瀧沢世古碑、福地桜痴紀功碑などがあります。
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