くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2013/08

新岡村は東は愛宕山、北は高地山、北西は杉沢森に囲まれた盆地で南は葛原村に接します。当村に通ずる古道には八幡から荒神山の丘陵を越えるもの、宮地・葛原から山城を経て入るもの、細越から山間を辿るもの、宮館・折笠外道森下を通って杉沢森の麓に出るものの4つがあり、杉 ...

今年も行って来ました。 かかしの里。 以前の記事「かかしの里 (弘前岳鯵ヶ沢線・中村地区)」 ただの猫。 ただの海女。 かかしじゃなく、チャかし。 研ナオコじゃなく、おいらん。 七福神。 もはやかかしではない。 モンスターズインクのマイク。 顔が雑な人。 ...

御祭神は誉田別尊。 創立年月日不詳。明治6年村社。 現在は新岡町会の守護神として敬信されています。 『八幡宮の主神は誉田別命(応神天皇)であり、本源は宇佐の八幡宮とされ、八幡宮に対する信仰は古くから最も広く信仰されてきたものの一つである。奈良時 ...

何か今更感もありますが弘前城天守の紹介。 弘前藩初代藩主津軽為信が津軽地方を統一したのが天正16年(1588)。 新しい城の地として高岡(鷹丘)を選定したのが慶長8年(1603)ですが、為信は完成を見ずに慶長12年(1607)京都にて客死し、2代藩主信枚が同16年(1611) ...

弘前城本丸を紹介していきます。 まずは下乗橋です。 内濠を隔てて本丸と二の丸に架かる下乗橋。 藩政時代には二の丸側に下馬札が置かれていたのが由来となっています。築城当初、橋の両端は土留板でしたが、文政11年(1811)に石垣に直しました。 以前の擬宝珠 ...

高おかみ神社については下記の記事を参照してください。 「高おかみ神社 (五所川原市長富)」 二の鳥居には個性的な鬼コもいます。 「高おかみ神社(五所川原市長富):鬼コ」 注連縄に交通安全などとあったので、この末社群の1つに水虎様がいるのを知りませんでした。よ ...

1891年盛岡消防よ組番屋として現在地に建てられた建物を1913年消防組第四部事務所として改築されたものが現在の建物。 現在の建物の棟札によりますと、大工石倉久太郎、同山下熊太郎、屋根葺小笠原長次郎、石工岩野兵次郎、左官工藤喜三郎、塗屋、山口平助とあります。 ...

寺宝の1つである円空作座像観音像は寛文2年(1662)に鰺ヶ沢の猟師が偶然に網にかかったものと伝えられる仏像で「海上漂流黒本尊」の別名があります。 円空は北海道で多くの観音菩薩坐像を残しており、同じ様な仕様からその内の一体が流れ着いたとも考えられます。延 ...

御祭神は譽田別尊、天照皇大神、軻遇突智命。 かつての参道は飯詰川がある拝殿正面方向だったそうです。寛保2年7月の飯詰川の洪水では町家40軒余が流失し、人馬多数が死亡したといいます。 創建は弘治元年(1555)(正応元年とも)、大房村の舘主樺澤団右衛門が勧請。 ...

「兼平天満宮 (天満神跡地・神明宮・板碑群 / 弘前市)」からの続き。 御祭神は菅原道真朝臣命。旧村社。創建不詳。 神仏習合の名残りを残す両部鳥居の稚児柱部分だけが未塗装でした。 こちらは消防に関する碑でした。 縁記修験道由緒に 「……、 慶長八年、 津軽信智公再 ...

南西に兼平山(159.3m)を負い、東は二本木村、北は五代村と築館村、南は如来瀬村に接します。兼平山の尾根は岩木おろしを防ぎ、また南東から北へ平野が広がり、古くから開けました。五代・築館・如来瀬・鳥井野などの村々は兼平を親村として開発されたと考えられています。 ...

光台寺末寺。本尊は阿弥陀如来。 お出迎えとお見送りのお地蔵さまと… お出迎えとお見送りのお猫さま。 寺伝によりますと寛文年中(1661-1672)の開基で、開山は生蓮社良往。 元禄年中(1688-1703)八世良観の代に本堂・山門・庫裏等を再建中興。盛岡三十三観音第11番札 ...

「はくちょう亭奈良屋」の駐車場隣から結構勾配のある道を登っていきます。 車は十三湖湖岸公園に停めればいいと思います。 坂の途中に長寿の水。 今泉賽の河原は縄文土器や土師器片が散布する遺跡(大石崎遺跡)として知られています。 寛文9年(1669)、今泉観音堂が ...

「暗門滝 (青森県西目屋村)」 毎日暑い日が続きますね。聖愛高校はもっと熱い!…感動しました。本当に凄いです。暑いし熱いしってことで… 滝行でもしようかと暗門まで行ってきました。 途中で奥暗門神社に参拝し、いよいよ滝行です。南無大聖不動明王ー!! って ...

↑このページのトップヘ