くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2013年05月

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樹齢250年以上、樹高11メートル、幹周3.1メートル。
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元禄16年小栗山村の千年山、茂森町の長勝寺構入口右堀端とともに外瀬村にも薬草が植えられ、藩の薬園が置かれる先駆けとなりました。
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藩の薬園は戦前までその面影を残していましたが、その名残りがこのモクゲンジです。
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モクゲンジは別名センダンバノボダイジュといい、仏教の聖樹であるインドボダイジュの代用として寺院に広く栽培されていますが、元々は夏に花を採取し、風邪の咳止めや殺虫に用いるための薬用だったそう。
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弘前藩主津軽寧親によって開設されたばかりの藩校稽古館に呼ばれ、薬事係に任命された菅江真澄が「白藤明神という社地に名高いおおふじの古木がかかっている神前を過ぎて、外瀬という村にくると、垣根のなかに囲われて数多くの薬草が植わっているのは藩主の薬園である。」と記しています。
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モクゲンジの麓には鳥居や拝殿等があります。
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中の額縁には『弘法大師』とありました。
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近くには向外瀬霊園。
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如来堂があり、たいそう立派な仏像がありました。
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六地蔵菩薩堂。
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近くの地蔵堂。
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美しいY字路に華を添えています(←視点が間違っているw)。
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向外瀬村の百万遍塔。
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五能線線路に近い村外れに位置する神社。
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寛永11年(1634)創建。
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御祭神は薬師神少彦名命及び大巳貴命の二柱。
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祭日は旧暦7月8日。
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当初は飛竜権現を合祀していた薬師堂。
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旧村社荒磯崎神社は林崎集落の鎮守神として崇敬を深めてきたそうです。
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明治3年の神仏分離により、闇おう神社となりましたが、間もなく現在の荒磯崎神社となりました。
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興味深い伝説があるので紹介します。
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社殿に乞食が泊まり込み、ご神体を盗み出し、それがいつの間にか下北の恐山に納められていたそうです。恐山には林崎神社という祠があり、そのご神体は林崎の方角を向いているのですが、そのご神体を林崎の人たちが取り返しに向うと必ず風雨になるそうです。
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また荒磯崎神社の神は、ウドで目をついて怪我をしたことがあるため、昔の村の人々は決してウドを食べなかったといいます。
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末社の稲荷宮…っていうより薬師如来堂ですかね。
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薬師如来は目の病気を治す仏として有名です。
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祠の周囲には…
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穴のあいた石がいっぱい奉納されています。長勝寺の薬師堂や弘前神明宮の薬師如来でも説明致しましたが、目が通るようにと穴あき石やそれに紐を通したものを奉納するのです。
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「穴が通る=よく見える」ということに由来します。前述した伝説に大いに関連していそうですよね。
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大きな庚申塔が(猿田彦大神)が2基あります。
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あっ、お碗だ。
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本尊は釈迦如来。もと隣松寺末寺。
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長勝寺並寺院開山世代調によりますと、元和3年(1617)の創建で、開山は隣松寺3代喜山了悦。開基は不詳。曹洞諸寺院縁起志(宗徳寺蔵)によりますと、宮館村に創建されたと伝えます。
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正徳元年(1711)の寺社領分限帳によりますと、慶長年間(1596-1615)弘前に移ったとあり、実際の創建は記録に残る年代より遡ると思われます。
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寺伝によりますと、3代藩主津軽信義の愛妾悪戸御前が、いったん荒果てた福寿院を再興したと伝えます。
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山門左手の鎮守堂の延命地蔵は悪戸御前の寄進と伝えます。
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