くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2013/04

かつての田中村。 天正8年(1580)に津軽藩祖為信の臣で太郎五郎吉祥の子田中惣右衛門宗久の領地となり居館が置かれたことにちなむ地名。 宗久は新屋村にも知行地を持っていたために、本田中村とも称したといいます。 田中館跡地は現在の熊野宮境内で水堀跡を僅かに ...

通称博労町にあり、枝川鶴田堰を背にして建ちます。本尊十界曼陀羅。もと弘前法立寺末。 重宝錦嚢によると文禄2年(1593)の創立。その後廃墟となり万治2年(1659)再興、延宝元年(1673)中興。 「平山日記」や「永禄日記」によると延宝3年板屋野木村に引越したとあ ...

岩木山友の会に入会させて頂いたので今朝の散歩中にパチリッ。 まだまだ寒そうな岩木山でございます。 ブログ村ランキング参加中←クリック宜しくお願いします♪ ...

日照田村から分村して成立した館前村(時期不詳)。なお、かつては建前館という丘城があった地と考えられます。 町の入口にあった力石。力石は江戸から明治の時代にかけて、鍛錬及び娯楽として力試しが盛んに行なわれました。大概は60kg以上で、中には300kg以上のものもあ ...

真言宗大谷派。本尊は阿弥陀如来。 来生寺の創建は不詳ですが、古くは天台宗の寺院で妙円寺と称していたと伝えられています。 津軽一統志によりますと「鰺ケ沢用林山来生寺」とあります。 承応元年(1652)寛永年間(1624~1643)に後裔清源が鯵ヶ沢に入り、承応元年(16 ...

津軽半島の先端部に近く、日本海の激浪により造りだされたもの。 菅井真澄は次のように記しています。 「めおと石(夫婦石、小泊村)をよじのぼった。津軽坂をおりのぼりして小泊の港についた。ここを紀井の那智の大泊村にたぐえて小泊というのだという話があった。(中略 ...

尾上町八幡崎は田圃を隔てて北に新山村、東に猿賀村、南に杉館村、西に日沼村、北西に蒲田村があります。 この地区は史跡八幡崎遺跡があり、その上に鎮座。 集落西端の宮本にある旧村社八幡宮は誉田別命を祭神とし、享和3年(1803)の寺社領分限帳によりますと、大同2年 ...

黒石市指定民族文化財です。 この庚申塔は元文5年(1740)8月22日に馬場尻村の藤治郎ほか8人が創建しました。 碑面に庚申信仰の由来等を彫り込んである貴重なもので、市内で最も古い庚申塔です。 天正13年南部氏の津軽奪回に際し、十川の萢で数多くの溺死者を出したと伝 ...

津軽三十三観音霊場。 入口附近に龍神宮がありました。 隣には池も。 龍神宮付近に車を駐車して参道を上って行きます。段数はないけど勾配はありますね。 子宝神社。 姥石神社。 山神宮。 寛永9年(1632・安政2年神社書上帳によれば寛永10年)村中により創建と伝 ...

御祭神は高皇産霊命。 草創年月日不詳。 安政2年神社書上帳によりますと湯舟・小屋敷に明暦4年創建の深山宮と安政年間創建の飛竜宮があります。 飛竜宮は神仏分離により湯舟村の高倉神社となりました。深山宮が小屋敷村の高倉神社になったか否かは不詳です。 ...

岩木山麓にあります。弥生いこいの広場の近く。 神社としての見応えこそあまり感じませんが、案内板の力強い御由緒がいいですねぇ。 案内板より。 『当集落は、太平洋戦争(昭和16年12月~20年8月)が終った昭和20年、岩木山麓の開拓より始まる。この開拓は人力のみに依 ...

禅林街にある海蔵寺(かいぞうじ)。本尊は釈迦牟尼仏。 天文3年、吉田村(旧岩木町賀田)に石見国出身の江山智永を開山とし創建。開基は大浦盛信とされています。 明応年間、盛信の父光信が種里村(鯵ヶ沢町)に創建し、次いで堀越村へ移ったとも伝えられ、長勝寺開山の ...

御祭神は罔象女命(みつはのめのみこと)でしょう。※古事記では弥都波能売神。水波能売命とも表記されます。罔象女命は水の神・井戸神。 由緒等はわかりませんが、ミヅハは灌漑の引き水のことともされ、この近郊の農業に強く関連しているものと思われます。 小さな ...

案内版より… 『ピラミッドは、エジプト、メキシコだけにあるとは限らない。したがって、茨城県磯原町にある武内家の文庫に秘蔵されている神代史によると、わが国にはエジプトのピラミッドよりなお古い数万年前のピラミッドが7基あるとされた。昭和10年に戸来村を訪れた日 ...

鳥居を潜り右に直角に曲がったところが拝殿です。 地形の勾配を考えると本来は本殿正面に参道があったのでしょうか。 神額の字が浮いてるかっこよく浮いてます。 馬頭観世音です。 鳥居に馬の顔が珍しいですね。 国誌によりますと明治初年当時に富田村の稲 ...

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