くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2013年03月

イメージ 5
こちらの八幡宮は金峰神社の裏手にひっそりとあります。なぜかやたらと蜂がいたので注意です。
イメージ 6
由緒等不明。
イメージ 4
貞享4年検地水帳によりますと村中抱えの八幡社地と座王堂地がみえます。
イメージ 3
一の鳥居は立派でしたが拝殿は質素でした。
イメージ 2
拝殿内を覗いてみましたら…中は本殿でした。
イメージ 1
ブログ村ランキング参加中←クリック宜しくお願いします♪

イメージ 7
東洋初の地下鉄駅。関東の駅百選認定駅。当初の地下鉄は銀座線浅草ー上野間(2.2km)です。地下鉄浅草駅は浅草寺をモチーフに作られており、これは昔のままの姿です。日本最古の地下鉄の出入口…通称赤門。
イメージ 8
ブラタモリでやっていましたね。地下鉄の造りは昔の面影を色濃く残しており、天井は低くなっており、更にはベルリンやニューヨークの地下鉄を参考に鉄骨鉄筋コンクリートで造られたそう。上野まで手掘りだったのも驚きでした。
イメージ 9
イメージ 6
ブラブラして辿り着いたのは戦災慰霊碑。墨田公園は空襲で亡くなった方々を仮埋葬した場所らしです。
イメージ 10
イメージ 4
言問橋の縁石。
イメージ 11
1992年に欄干を改修した際に基部の縁石を切り取ったもの。1945年の東京大空襲の際に言問橋は猛火に見舞われて多くの方が亡くなりました。この縁石は当時の痛ましい出来事の記念碑としてここに保存されているものです。
イメージ 12
現在の橋の親柱は一部未改修のため現在も東京大空襲で焼け焦げた際の黒ズミが当時のまま残っています。
イメージ 13
イメージ 14
空襲の際に焼死した人の遺体から流れ出た血と脂のシミが焼きついたものと言われています。生々しくも風化されてはいけない記憶。ちなみに以前紹介した江戸東京博物館裏庭にも言問橋の欄干と縁石が展示されています。
イメージ 3
M50マグネシウム焼夷弾。
イメージ 2
B29の機関銃。
イメージ 1
wikipediaより…
「1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲の際には、浅草方面の人が川の向こうに行けば助かると思い言問橋を渡ろうとしたが、反対の岸にいる住民(向島・本所地区)も同じ事を考えており、橋の上で合流してしまい、身動きが取れなくなったところで橋の上にも火災旋風が容赦なく襲いかかり、耐えかねた人々は次々と欄干から身を躍らせ、死体で埋まった隅田川に落ちていったという。空襲が終わったあと、隅田川は一面凍死体が浮き、言問橋の上には黒焦げの焼死体が、河川敷にも積み重なった累々たる死体の山が築かれていた。」
イメージ 5
ブログ村ランキング参加中←クリック宜しくお願いします♪

イメージ 4
御祭神は誉田別尊。
イメージ 5
中里村袴腰岳に鎮座していたのが現白旗神社に遷座(仮殿)し、天正2年(1574)に現社地へ遷座と伝えます。
イメージ 8
イメージ 9
袴腰岳山頂には現在も深郷田に遷されたという八幡神の小さな祠が祀られています。
イメージ 11
イメージ 12
天正7年(1579)に再建し、中里、 深郷田、 宮野沢3ヶ村の産土神となります。
イメージ 14
安政2年(1855)神社書上帳に「中里村宮野沢村深郷田村草創之節信仰仕、深郷田村江引移申候数、百年之儀ニ付年月不詳、天正七年再建」と見え、八幡宮の棟札の中に寛永5年(1628)のものがあることから、深郷田村の開村が早かったことが伺えます。
イメージ 15
江戸初期には八幡宮があり、深郷田村は八幡村と称していたと思われます。
イメージ 16
寛文年間(1661-1672)頃より深郷田村と称していたようです。享保11年(1726)に西接する大里村が八幡村に改称。
イメージ 17
菅江真澄が外浜奇勝にて、『三箇田に別れて、八幡村、深江田村をすぎ、年を経た林にはいると、八幡の御神のまえをゆく道にでた。いま通ってきた村の名は、この八幡をさしていうのであろう。木々も年を経ているので由緒もあろうかと、その神主にたずねたが、こたえはなかった』と記しています。
イメージ 18
イメージ 19
イメージ 27
元禄9年(1696)蓮門精舎旧詞に永禄元年(1558)真蓮社良覚上人建立とあり、寺伝に万治2年(1659)閑栄開基という浄土宗悟真山善導寺が近くにあります。 
イメージ 28
イメージ 29
イメージ 30
「宝永五戊辰年八月」「寛保二壬戊年八月」「安永六丁酉年九月」「文化元甲子年十一月」の棟札があります。社宝の八幡宮と書かれた額面は神祗伯資延王の直筆と伝えます。
イメージ 10
拝殿内からずっと笛の音が鳴り響いていました。
イメージ 7
山大神之碑。
イメージ 24
イメージ 25
イメージ 3
こちらには神輿が。
イメージ 26
イメージ 23
イメージ 22
聖徳太子碑。
イメージ 6
イメージ 21
こちらは少し離れた場所にある八幡御蔵跡。
イメージ 20
享保8年(1723)金木新田富野村から移された弘前藩(津軽藩)御蔵跡。※享保18年(1733)説あり。面影はなし。
イメージ 13
こちらは最寄の深郷田駅。昭和7年(1932)開設。
イメージ 1
この付近は底無し沼として知られていて、鉄道建設には難渋を極めたそうです。無人駅素敵♪
イメージ 2
ブログ村ランキング参加中←クリック宜しくお願いします♪

↑このページのトップヘ